BRITISH LION スティーヴ・ハリス | 自然と音楽の森

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洋楽の楽しさ、素晴らしさを綴ってゆきます。

自然と音楽の森-Oct11SteveHarris


◎BRITISH LION

▼英吉利の獅子

☆Steve Harris

★スティーヴ・ハリス

released in 2012

CD-0295 2012/10/11


 アイアン・メイデンの最強のベーシスト、「鋼鉄の意志を持つ男」、スティーヴ・ハリスのソロプロジェクトバンドのアルバムが出ました。


 ソロということで、アイアン・メイデンの他のメンバーは参加していません。

 1曲でも参加していればファンとしてはうれしいけど、でも、ソロはソロと分ける姿勢は逆に本体のバンドを長続きさせるために必要だろうから、これはこれでもちろん支持します。


 スティーヴ・ハリスは作曲には関わっていますが、すべてバンドのメンバーとの共作(一部に外部からも参加)となっています。


 アイアン・メイデンではないからメイデンっぽくないのは当然ですが、僕もそれは期待していなかったけど、音と曲について見てゆきます。


 音ですが、ギターの音がやはりグランジの後のヘヴィロックの流れの音で、それ以前のヘヴィメタルが好きな人にはこれはヘヴィメタルとは映らないでしょう。

 重たい音には違いないけれど、ヘヴィメタルのように音が横に広がっていくのではなく、たてに伸びるというか、そしてヘヴィメタルのように歪むというよりは、音が削られるという感じ。

 妙にひんやりとした音、氷の棒のような感じの響きの音。

 僕は、グランジの後のヘヴィロックのギターの音をそう思っています。


 と書いて、そもそも、グランジ以降のヘヴィメタルは存在するのか、という疑問がちょっと頭をかすめたので寄り道します。

 もちろん、それ以前からやっていた人は昔ながらのヘヴィメタルの音を出していますが(中にはヨーロッパのように音を変える人も)、それ以降に出てきた人は、『バーン!』で扱っているものを聴いても、やっぱり「氷の棒」の音を出していると感じます。 

 音は誰でも作れるはずだから、グランジ以前のヘヴィメタルとは思想的に違う、ということなのでしょうか。

 多分ですが、ヘヴィメタルが持つ「熱さ」が、今のクールな若い人にはあまり受け入れられないのだと思います。


 そう思って試しに、僕が聴いたことがあるニッケルバックをWikipediaで見てみると、ジャンルが「オルタナティヴ・ロック」「ハード・ロック」「ポスト・グランジ」となっていて、やはりヘヴィメタルとは言われていません。

 つまり、ヘヴィメタルというのは、1970年代中頃から1980年代後半までに出てきた、音が極度に重たいハードロックとして年代限定で使われる言葉なのかもしれません。

 逆にいえば、「ハード・ロック」という言葉がヘヴィメタルをくぐり抜けてまだ生きている、僕はそこにちょっと驚きつつ、ハードロック好きとしてはうれしくもなりました。


 しかしそこでさらにスリップノットを調べると、ジャンルの中に「ヘヴィメタル」があり、さらには「オルタナティヴ・メタル」なる新しい言葉も使われていました。

 そうか、ヘヴィメタルはまだあるのか。

 ただ、グランジ以前からヘヴィメタルが好きだった僕からみれば、スリップノットの音は以前のヘヴィメタルとはやっぱり響きが違うので、やはりヘヴィメタルは年代がある程度特定される音楽なのだと思います。


 余談ですが、Wikipediaでも「ヘヴィメタル」だけ「ヘヴィ」と「メタル」の間に中黒「・」がないのはどうしてだろう。

 考えたのは、「ヘヴィメタル」はそれでひとつの言葉として認められている、ということ。

 ニューヨークやニューオーリンズといった都市名は中黒が使われないのと同じ。

 なお、僕は、「ハード・ロック」については日常的には中黒を入れないで書いているので、ニッケルバックの話の時に、彼らのジャンルの部分でのみ中黒を付けて書きました、どうでもいいことだけど。


 話は逸れましたが、ブリティッシュ・ライオンのギターの音もやはりどこかひんやりとした手触りの音でした。

 本人たちはどう思っている、自分たちを紹介する時はどう表現するのだろう、そこが興味深い。

 ただ、僕ももうだいぶ慣れたのか、そういう音だな、以上には何も思うところなく普通に聴いています。

 僕の音楽友だちが、どことなくラッシュっぽい音がすると評していたのですが、なるほど、ラッシュはヘヴィメタルの時代にも独特のひんやりとした音を出していて、そこにつながるのは分かります。


 

 曲について、1曲目This Is My God、2曲目Lost Worldsは僕がイメージするヘヴィロックらしい曲になっています。

 しかし、5曲目The Chosen Ones、8曲目Eyes Of The Youngはハードさもヘヴィさもない異様にポップな曲で、もう死語かもしれないけれど、ブリットポップの流れも汲んでいるように感じます。

 この2曲は、聴いていてちょっと笑ってしまいましたが、もちろん僕はポップソング万歳人間だから、これはいい意味。

 

 7曲目Judasは展開が多くて、これがメイデンっぽい、というよりスティーヴ・ハリスらしさがいちばん出た曲で、これは、メイデンとは「明らかに」違うとはいえない雰囲気。

 最後10曲目のThe Lessonは、アコースティックな雰囲気のバラードで、メイデンのJourneymanに雰囲気が似ているといえば似ています。

 ただこちらは、Journeymanのほうがメイデンの中では異質な曲だから、即ちメイデンっぽいということにもならないでしょう。


 4曲目Us Against The Worldは抒情的で、実はこのアルバム、曲が思ってもみなかったほどいいのです。

 正直言えば、スティーヴ・ハリスがどれだけ絡んでいるのかいないのか分からない上に、他のメンバーは誰ひとり知らない、あまり期待はしていなかった。

 だから余計に、曲の良さは特筆ものと言っていい。

 思わず口ずさんでしまう曲が入っている、ああ、やられた、と思う(笑)。


 しかし、どの曲も違和感なくブリティッシュ・ライオンの音の中に並んでいて、アルバムとして支離滅裂ということはなく、自然と気持ちが乗せられます。


 問題は、リチャード・テイラーのヴォーカル。

 いわゆる線が細い声で、少なくともメタルらしい声ではない。

 最初に聴いた時に僕もそう感じたし弟がそう言ったのですが、『バーン!』の評を見るとやはりそこが指摘されていたくらいで、よほど気になるんだな。


 でも僕は、3回くらい聴いて、音がハードなだけのポップアルバムと思えるようになり、そうなると線の細い声もまったく気にならなくなりました。

 弟は今でも気になるようなのですが、これは、軸足が弟はヘヴィメタル側にあり、僕はポップ側にあるからだと思います。

 下手とかそういうことじゃないし声も汚くはないので、ポップソングとしてはまあ必要最低限のものは備えていると思います。

 などと遠回しに書きましたが、個性的で魅力ある声とは言い難い、それも否定はできないかな。


 

 正直、スティーヴ・ハリスがいなければ間違いなく興味は出なかっただろうし、どこかで曲がかかっていてそれなりにいいなとは思っても、買うまではいかなかったと思います。

 バンドの人たちは、それはやっぱり複雑なんだろうなあ。

 ビートルズも大成功してアップルを設立し、無名なアーティストを育てようとしたけれど、スティーヴ・ハリスのこれもそういう意図があるのでしょうね、大なり小なり。

 英国のロック界(敢えてヘヴィメタルとは言わない)をもっと活性化させたい。

 自分たちの後継者が育っていないのでおちおちやめられない(やめてほしくないけど)。

 スティーヴ・ハリスらしさがそれほど出ていないのを聴くに及んで、主目的はそのために力を貸そうということなのかもしれない、と思いました。

 

 自分が特に応援するアーティストがそういう意向であるのなら、こちらだって協力に吝かではありません。

 結果として、それなり以上に気に入ったアルバムに出会えたのだから、よかった。

 音楽は出会いのきっかけが大事ですからね。

 この人たちがスティーヴ・ハリス抜きで次に何かを出す時は、すぐ買うかは保証できないけど、ひとまず気には留めるに違いない。


 まあしかし、気に入った以上は、次もスティーヴがいた上でアルバムを出してもらいたいですね。


 でもその前に、メイデンの新譜、まだかなあ(笑)。


 それにしてもこの邦題「英吉利の獅子」、何かを意識してますよね・・・

 「英吉利の薔薇」、フリートウッド・マック、まだブルーズをやっていた1960年代。

 もしかして、僕より上の世代の人にも訴えたいという、EMIミュージックジャパンの下心があるのかな(笑)。

 でも、それはちょっと音楽が違い過ぎるかな、一般論としては・・・

 僕はどちらも好きですけどね。



 などなど、枝葉の話が長くなりすぎましたが、あまり高くなかった期待値を何倍にも大きくして返してくれた、これはなかなか以上に気に入りました。


 ただし。

 多分、一般的な評価は、雑誌その他、もっと低いと思います。

 実は、弟も、僕がすごくいいというほどには気に入っていないようで・・・


 今回は、話8分、いや4割くらいでお読みいただければ、というのが正直なところかなあ(笑)。