ディエンビエンフーでの勝利にベトナム中が沸き返りました。フランスの機関で働いていたゴクアンブの話です。

最初は信じられませんでした。体が大きくて圧倒的な兵力を持つヨーロッパ人を相手に小柄で控えめなベトナム人が勝利を収めたんです。兵士たちはごく普通の市民でした。誇りに思います。


ベトミンの勝利を祝って翻る革命の赤い旗。しかし朝鮮戦争の後とあって西側諸国は共産主義の高まりへの懸念を強めました。ザップ将軍の言葉です

中国製革命が成功したことによって東西に力のバランスがもたらされた。朝鮮戦争はこの新しい世界情勢を反映したものだ。これまでインドシナ戦争はインドシナとフランスの戦いだった。そしてアメリカはフランスに加わってインドシナを支配するつもりだった。だがもはや直接戦争に加担 することは困難だ。第2の朝鮮戦争になりかねないしアメリカが絶対に勝つという保証もないからだ。しかも北朝鮮戦争で疲弊した同盟国をインドシナに引き込むのは簡単ではない。


1954年7月21日、ジュネーブ会議で休戦協定が調印されました。即時停戦の実施。北緯17度線を堺とした両陣営のの暫定的な分離。2年以内の南北統一選挙の実施。そしてラオスとカンボジアの独立が定められます。

フランスはついにインドシナから撤退することになりました。両陣営とも合意内容には不満でしたが現実的な判断でした。ザップ将軍の言葉です。

今は平和が必要だ。首都を建設し港や空港を整備して革命の成果を強固にしなければならないと。完全な独立と南北統一を果たすためには軍の整備する必要もある。


南ベトナム。つまりベトナム共和国を率いたのはアメリカの支持を受けたゴ・リンジェムです。ジェムは、旧ベトナム国軍を掌握し南ベトナム政府軍を発足させました。

1954年7月。ホーチミンはベトナム民主共和国で演説 しました。37度線から北の国した ベトナムです。

我々は数多くの勝利を収めてきた。しかし今回の勝利は特別だ。フランス政府がついに我が国の主権を認めてたのだ。フランス軍は間もなく撤退する。今後我々は南北ベトナムの統一と国家の完全独立のために全力で取り組んでいかなければならない。


ホーチミン率いる革命政府はスターリン式の経済改革を導入し共産主義を厳格に適用しました。人々は大規模な復興計画に 動員されます。記者のグエンラクホアの話です。

大勢が南ベトナムに移りました。土地や財産や地位のある人たち。カトリック教徒の大半もです。ホーは間違いなくく民族主義者の英雄です。しかし現在彼の革命政府は非情でした。反対する者は“再教育”と称して多くの場合殺されました。


1955年12月。北ベトナム政府は首都ハノイで公式発表を行ないました。

これまでの百日間で首都周辺にある村の地主の取り調べを行った。我々はあらゆる階級に属する洗い流階級に属する10万人から話しを聞いた。


一方南ベトナムでも社会は混乱していました。グエンラクホアの話です。

南にも問題がありました。宗教の対立や組織犯罪による暴力です。しかしジャメが一掃しました。バオ大帝を元首の座から追い落とし、アメリカの支援を得て南に政権を樹立したんです。

ジュネーブ協定で決定された 選挙がおこなわれる可能性はもはやありません。ベトナムを南北に分ける北緯17度線は固定されます。17度線の北には旧ソ連、そして中国と結びついた共産主義政権。そして南側にはアメリカが支援する反共産主義政権。

全国民を巻き込む戦いが始まろうとしていました。苦難の日々が終わるのは20年後です。