日本軍による真珠湾攻撃後の1942年、アジア太平洋地域で日本の支配下になかったのはイギリス領インド、そして反共産主義の蒋介石率いる中華民国の一部でした。

ビルマは重要な戦場となります。ここで連合国がインド・中国間のの補給ラインを再開できれば日本軍は太平洋地域からの撤退を余儀なくされます。

そこでイギリスとアメリカは異例の戦術を使って日本を追い込みました。地元住民と接触して日本軍に抵抗させたのです。

アメリカはCIAの前身となる新しい組織、戦略諜報局OSSからも人員を派遣。地元の民族主義者や共産主義 者を支援しました。

リーアチームと呼ばれたOSSのチームはベトミンに活動の見返りとして武器を提供し軍事訓練を行ないました。

ホーチミンの言葉です。

ついにに民族を解放する チャンスがやってきた。日本は中国との戦争で行き詰まり、イギリスとアメリカからも苦しめられていて我々と戦うことはできない。我々が一致団結すればフランスと日本の叩き潰すことができる。同胞達よ、今こそ勝ち上がり、戦うのだ。


1944年後半になると連合国軍の猛攻を受け日本の勢いは衰え始めます。ベトミンはベトナム全土で一斉に蜂起。1945年中ごろにはザップは1万人の兵を率いる将軍となりました。しかし犠牲は甚大でした。ザップ将軍の言葉です。

恐怖の始まりだった。家族は捕えられ、家は焼かれ、村は破壊された。反日的な文章を持っていただけで撃たれたり、頭や腕を切断されて市場にさらされた。さらに活動家の首を上げた者にはたっぷりの報奨金が支払われた。しかし苦難が承知の上だった。3-4年も前にわれわれはホーから告げられていたのだ。「日本軍との戦いは始まりに過ぎない」と。イギリスやアメリカだってフランスと同じ動機を持っている。彼らは皆帝国主義者なのだ。


ビルマでのOSSの訓練風景です。アジアの情勢は動いていました。ホーチミンの予想通りでした。1945年3月日本軍はフランス軍を制圧。バオダイ皇帝を廖立しベトナム帝国を建国します。同年8月25日ビルマのラングーンに沼田南方軍総参謀長が到着し、連合軍に降伏しました。天皇による終戦の証書を受けてのことでした。耐え難きを耐え敗北を受け入れたのです。

ホーチミンの言葉です

一世紀近くにもおよぶ苦しみを経て我々は大きく前進した。これによりベトミンによる暫定政府を発足させる。この政府を中心に国全体に政策と秩序を行きわたらせるようではないか。


その一方ではベトナムには 連合国軍が進駐します。北部に中華民国軍。南部にはイギリス軍です。9月6日サイゴン。連合国軍とフランス軍捕虜が開放されました。