ほとんどの人は、善も悪も持ち合わせている。
なので、完璧な善人というのは、うさんくさい。
外面がよい、100%の人が「良い人」と認めている人物であっても、
家の中では、弱いものいじめをするDV夫だったりする。
完璧に近い、良い人物という人は、たいがい、特定の宗教を信じているそうだ。
信心が、その人の悪の部分を救ってくれている。
信仰することで、苦しみや抑圧から解放されるのだろう。
ちなみに、
わたしにとってブログは、宗教である。
これって、とても大げさだが、こころが落ち着く。
祈りというものは、こころを落ち着かせるらしい。だから宗教は、人を救うらしい。
祈りの対象は、キリストでもブッダーでもない。
自分自身である。
自分のこころを整理し、もやもやを解消し、すっきりさせ、素の自分と向き合う。
悪も善も、全部含む自分を見つめる。
その上で、理想を見出し、憧れを語り、未来にも夢があると感じる。
それは、カウンセラーに相談することもなく、高名なお坊さんの門を叩くこともなく、
心療内科や精神科を訪れることもなく、
せいぜい、SNSの悩み相談をロムするぐらいで、こころを真っ直ぐに保つことができる。
ヨロヨロっとなっても、自分で、サポートする。
いいの、いいの、だめで、いいの。
あんたは、だめだけど、それでいいの。
そうやって、自分を甘やかせる。(わたしの周りでは、ブーイングの声が聞こえるが)
甘やかし続けて、半世紀。
砂糖で溶けそうな自分がいるが、して、一方で、一刀両断の自分がいる。
甘い人間など、断固、許せない。
to speak at ruin
morning bell and
did not give me leave a glimmer
after vicissitudes of life
The gate we walking
top of the mountain
years presented me with
also small proverb
the old man had a proud
stalk the most delicious
