高輪泉岳寺ー現代版忠臣蔵があったなら… | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

現代版忠臣蔵があったなら…

 上野を後にして高輪に向かった。高輪ゲートウェイ駅で降り、隈研吾設計の木製パネルがついた駅舎を背にして600メートルほど歩くと泉岳寺である。赤穂義士による「忠臣蔵」の聖地であるこの寺は三百年以上訪れる人が絶えることはない。「忠臣」「義士」等は日本での儒教において特に重要なタームであることから、日本人にとっての儒教を考えるうえでここも外せない。

しかし実は私は前からこのストーリーに対してしっくりいかないところがあった。もし「現代版忠臣蔵」があったとすると、こういうことになる。

米国大統領が国賓として訪日するというのでアサノ警備会社が入札し、警備することになった。アサノ社長が外務省に、迎賓館における接遇方面に関してどのようなことに留意するか問い合わせたが多忙を理由に無視された。そこで社長が訪日当日の迎賓館の松の木の前で外務大臣に投石し、額に二度命中して全治一か月のけがを負わせたが、取り押さえられ、自殺した。

アサノ警備会社は倒産。三百人近くいた忠実な社員のうち、翌年、大石部長のもとに集まった四十数名が、完治したがリタイアした元外務大臣の邸宅を襲って首を上げた。帰りがけに高輪の寺で「義」を守って自殺した。

 

単純な構図に見える勧善懲悪

「忠臣蔵」のストーリーを現代に置き換えるとこうなるであろう。実に殺伐した、精神病理学のケーススタディになりそうな流れではある。しかしこの事件をもとに舞台と人物と時代を変えて戯曲化すると大当たりし、三百年以上日本人のこころを揺さぶり続けた演出が、竹田出雲によってなされた。それが「仮名手本忠臣蔵」である。ここで儒教的徳目にして、21世紀にはほぼ評価されなくなった価値観が「忠義」であろが、論語にはこのような一言がある。

「殿様は殿様らしく。家臣は家臣らしく。父は父らしく。子どもは子どもらしく。(君君、臣臣、父父、子子)」

正直なところ、いくら屈辱を受けたからとはいえ殿中で「刃傷沙汰」を起こした殿様、浅野内匠頭が「殿様らしい」かどうかは大きな疑問である。しかし「家臣は家臣らしく」と立ち上がった四十七士だからこそあわれを誘うのだろうか。また、三百年以上のロングヒットを続けた「仮名手本忠臣蔵」では徹底して悪役に仕立て上げられた吉良上野介は、浅野内匠頭からわいろをもらえなかったから宮中での儀礼を教えなかったことになっている。それが実話かどうかはともかく、「論語」にはこのようなくだりがある。

「大人物にとっての最大の関心事はいかに正しいことのために命を懸けるか。対して小人物は口を開けばカネ、カネ、カネ。(君子喩於義、小人喩於利)」

つまり、浅野内匠頭=義士、吉良上野介=「カネの亡者」という単純な勧善懲悪の構図がここに当てはめられてはいるが、誇りを傷つけられたからと言っても殿中で「刃傷沙汰」を起こす程度の短気な殿さまに義=正しさが体現できるのだろうか。このようにツッコミどころ満載のこのストーリーではあるが、三百年以上の超ロングランであることから見て、日本人の琴線に触れるなにかがこの物語にはあるのだ。

 

侠客か儒者かー次郎長親分

時代は下るが、浅野内匠頭と対照的なリーダーがいる。「海道一の親分」と謳われた清水の次郎長である。幕末に旧幕府軍の咸臨丸が清水港で沈没し、溺死者の死体が浜に流れると、彼は官軍からどのような報復があるかなどは度外視して荼毘に付した。死しては官軍も幕府軍もないというのだ。その実行力に感動した旧幕府の要人、山岡鉄舟に「そなたのために命を投げ出す子分が何人ぐらいいるか」と尋ねたところ、「一人もいない。でも私は子分のためなら命を捨てる覚悟だ。」と答えた話は浪曲でも知られている。

それに比べると自分に対する忠義のために忠臣たちを死なせた浅野内匠頭の「小人」さが際立つ。孔子は言う。

「自分から命を捨てるのが親分。人が自分のために死んでくれるものと思うのは小物。(君子求諸己、小人求諸人)」

「智慧のある者はぐずぐずしない。温かい心のある者はくよくよしない。勇気のある者はびくびくしない。(知者不惑、仁者不憂、勇者不懼)」

次郎長親分というのは実に腹のある人物といえよう。そして侠客ではあっても勇気はもちろん、知恵も温かい心も備えている。まるで行動する儒者のようだ。

 

無視される吉良上野介

泉岳寺の山門の横では大石内蔵助の像が迎えてくれる。この寺を本尊のお釈迦様を参拝する目的で訪れる人はまれであろう。一方で坂の上の墓地に上がれば四十七士の御霊を慰める人々の手向けた線香の煙で墓は白く煙っている。

そもそも佛教で最もしてはならないのが殺生ではないか。それなのに資料館前には仇敵吉良上野介の首級を挙げた後、首を洗ったという井戸がある。実に血なまぐさい。しかしそこで「被害者」であるはずの吉良上野介のことを思う人はいない。実は吉良上野介は領地の現愛知県西尾市吉良では治水工事に尽力し、領地を隅々まで歩いて領民の実情をつぶさに見た名君として名高い。四十七士を讃える泉岳寺で思うのは、私の場合吉良上野介だった。孔子は「バイアスとリテラシー」に関して名言を残している。

「周りが『あいつは悪い奴』といっても鵜呑みにするな。逆に『あいつこそ男の中の男』といっても鵜呑みにするな。(衆惡之必察焉、衆好之必察焉)

坂の上の四十七士の墓地とは対照的に、だれも線香を手向ける者のない首洗いの井戸で合掌礼拝して赤穂義士記念館に入った。が、あまり見るべきものはない。いや、赤穂義士が好きで仕方ないなら別だが、実はこのお寺は赤穂義士が使用したものを、彼らの死後高値を付けて売りさばいたため、ろくなものが残っていないという。もっと「なぜ忠臣蔵が日本人のこころをつかんだのか」というようなことについて答えてくれるようなところを期待していたのだが、展示内容は十数年前に来た時とほぼ変わっていない。四十七士の木像が立体曼荼羅のように並んでいるのも悪くはないが、あまりにも地味である。ただ、ここは忠臣蔵ファンだけを相手にしているため、これで十分なのかもしれない。