島原半島―殉教と認められないキリシタンたち | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

雲仙天草国立公園―戦前インバウンド発祥の地の「地獄」

 世界遺産登録されている城郭というと、まず姫路城が挙がるだろう。次に二条城、忘れられがちなのが首里城あたりだろう。しかし全く異質の城郭が世界遺産登録されている。それが島原・天草一揆の拠点、原城だ。

 島原半島は長崎県の南東に位置し、国際的な保養地としても知られる雲仙温泉や活火山雲仙普賢岳等が中心に位置する。その東の海岸にあるのが島原城、そして原城はその南の海岸にある。1929年以降の世界恐慌で外貨獲得が必要となった際、政府主導で行った「戦前インバウンド」の受け入れ先となった雲仙は、1930年代に上海等中国大陸の租界に居住していた欧米人に対して門戸を開いた避暑地である。1934年に国立公園法が成立した際、瀬戸内海国立公園、霧島国立公園とともに日本初の国立公園に指定された場所もここなのだ。

 クラシックホテルとして知られる九州ホテルは大正時代に開業した訪日客用のホテルだが、国立公園指定後はその「国際化」も加速化した。温泉と言えば卓球、という日本人だが、ここではテニスコートが多いのも欧米人滞在客の影響だろう。

 ホテル裏には熱湯が噴出し硫黄の臭気たちこめる「雲仙地獄」があり、観光名所となっている。熱湯の池からゴボゴボと泡が浮き上がってくる。歩いていると岩と岩の間から十字架が見えてきた。近づくと「キリシタン殉教記念碑」とある。ここは1627年から四年間にわたって棄教しないキリシタンたちを熱湯地獄に突き落として拷問を繰り返し、それでも棄教しなければ殺害した場所でもある。まさに地獄である。

歩くだけで頭が痛くなりそうな臭気だが、さらに進むと「阿鼻叫喚地獄」の表示が出てくる。ここで手の指を切られて逆さづりにされ、熱湯に死ぬまで漬け続けた殉教者もあったと聞いた。まさに阿鼻叫喚だったろう。

 別府の地獄めぐりや信州の地獄谷野猿公苑、登別の地獄谷など、日本の温泉には地獄がつきものだが、ここまでの生き地獄は他にない。

バベルの塔建設で怒った神と巨大城郭に怒った民

 車で山を下り、島原城を目指した。市内に入ると「白亜の塔」が見えてきた。コンクリートで復興された天守ではあるが、堀の広さと石垣の高さには驚いた。冬の青空に白漆喰の美しい五層の天守がすくっとたつ、実に見事な光景だ。復元されたもののなかでは大阪城、名古屋城に次ぐ高さの33mという。破風が全くないのは天守として珍しいが、そのためか城というよりも塔のように見える。ふと聖書の「バベルの塔」を思い出した。

 大昔は世界中が一つの言葉を話していたが、東から移住した人々が石と漆喰の代わりにレンガとアスファルトで天をも凌ぐほどの塔を作ろうとした。それを見た神は、人間の不遜さに怒り、皆の言葉が通わないようにして塔の完成を妨げたという。

 もし私が何も知らずにこの城郭だけを見て、かつて何万石だったか、とクイズを出されたら、三十万石から四十万石、いや、それ以上と答えるかもしれないが、板倉氏が築城したころは五万石に満たなかったという。それなのにこんな「バベルの塔」が建てられたのは、民から徹底的に搾り取ったからである。

たとえるなら世帯月収五万円しかないのに毎月四十万円使い、そのツケを妻と子と両親に働かせて自分は豪邸暮らしをしている男のようなものだ。神がバベルの塔を見て怒ったように、この半島では民が立ち上がり、幕藩体制の根幹を揺さぶった。それを体制側は「島原の乱」と呼んだ。

 

奪って奪って奪いつくした板倉重昌

 そもそも島原半島はキリシタン大名有馬晴信の縄張りだったためにキリシタンは多数住んでいた。有馬晴信が贈収賄の疑いで失脚し、亡くなった後も、キリシタンはこの地に残された。そしてそこに入ってきた板倉重政はおそらく日本史上最悪の重税を課した人物になった。当時「百姓は生かさず殺さず」が常識だったというが、島原藩は「百姓は死ぬまで搾り取れ」という極端な収奪を行ったのだ。納税できない者は捕まえてのみを着せたまま火をつけ、暑くて狂いまわるのを「みの踊り」と呼び、ショーにしたという。その加虐性は病的でさえあり、目を覆いたくなる。

 本来、非キリシタンならば、領民の虐待は幕府からお咎めが来る可能性が極めて高い。しかし板倉は納税しない者を「キリシタン扱い」することによって、幕府に対して残虐な扱いを正当化できたのだ。そして奪って奪って奪いつくした。

 天守内部はキリシタン資料が充実しており、城郭にいることを忘れてしまうほどだ。とはいえ、これは単純にキリシタンVS幕藩体制という単純な構図ではない。板倉の暴政に最も激怒したのは、もと有馬のキリシタン浪人たちである。世が世ならば藩政の中心にいた自分たちがよそ者に屈辱を受けているのだ。実戦での経験がある彼らが中心となり、周りを巻き込み、籠城したのはここから南西の方向にあり、廃城になっていた原城である。

天然の要害、原城にこもった三万人

 レンタカーを駐車場につけて歩きだす。半壊した低い石垣が所々続く。敵を迎え撃つための虎口(こぐち)の跡がはっきりと確認できる。有明海側に行くと、冬空なのに海面は明るい。そして真下を見ると断崖絶壁であり、天然の要害だ。1637年から38年にかけては、この海にオランダ船が浮かび、こちらに大砲を向けて数百発もの砲弾を撃ちまくっていたのを想像すると背筋が凍る。

三万七千とも八千ともいう一揆勢がここにたてこもったというが、すべてがキリシタンだったわけではない。戦が始まるとなると避難する場所がないために城内に逃げた非キリシタンもいた。キリシタンたちの怒涛のような勢いに流されて城内に逃げた非キリシタンもいた。籠城が始まると、あらゆる手立てで脱出した者も1万人いたという。もしそれが正しかったとしても、キリシタンはやはり二万人台はいただろう。

青い海の向こうは天草である。雲仙天草国立公園の、海上をロザリオのようにつなぐ島々が美しい。向こうはキリシタン大名小西行長の知行地だったが、関ケ原の戦いで小西行長は敗死してからは、彼らが種をまいたキリシタンたちは当然のことながら弾圧された。彼らはこの海を渡って原城に合流したのだ。城内を歩いていると白い像が現れた。小西行長の家来の子とされる十代の美少年、天草四郎時貞である。彼もその名の通り天草から来た。

怨念さまよう城

十二万もの幕府勢が最後に侵入し、飢え死に寸前の一揆勢を皆殺しにした。日本各地の城を歩いてきたが、一カ所で二万人以上の人々(しかも半分は非戦闘員)を殺害した場所は他にない。この城を歩きながらぞっとする何かを感じていたが、まだ怨念がさまよっているかのように思えてきた。しかもキリシタンたちは殉教として認められていない。権力者に対して反抗して死んだら、それは殉教とはいえないからだ。

城内にお地蔵さんを見つけた。説明を読むと、敵味方関係なく亡くなった人の霊を弔う「ホネカミ地蔵」である。両手を合わせて般若心経を唱えるうちに心が静まってきたのを感じた。二万人以上のキリシタンが「無駄に」殺された現場でのお地蔵さんがなぜかしっくりくる。大浦天主堂で「ナムアミダブツ」と唱えたときの心境と同じだ。地蔵に改めて合掌礼拝し、やりきれない思いをかかえつつ駐車場に戻っていった。(続)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

PRその1

ウクライナ支援募金で地理・歴史の無料受講!3月31日まで。

三月中旬から五月末までの10週間、地理、歴史、一般常識の対策講座をzoomで行っています。他にはない、試験のためだけの対策ではない、探求・発信型の独自の講座の詳細はこちらからどうぞ!

http://guideshiken.info/

 

PRその2

 この紀行文の訳しにくい個所を集めて英語、中国語、韓国語に訳していく「日本のこころを訳し語る講座」を、以下の日時に開催いたします。

英語 4月4日19時半から21時半

中国語 4月11日19時半から21時半

韓国語 4月18日19時半から21時半

初回は無料ですので、ご関心のある方はぜひともご連絡くださいませ。

特に二次面接対策だけではなく、日本文化を翻訳するには最適の講座ですので、皆様のご参加をお待ちしております。

 

PRその2 

オンラインサロン「ジモティに聞け!」

地理・歴史・一般常識はzoomで楽しもう!


4月の毎週木曜午後10時から、各都道府県出身または滞在歴のある案内士試験受験者に、地元を紹介していただきます!楽しみながら学べるこのオンラインサロン、ぜひご参加ください。


パーソナリティ:英中韓通訳案内士 高田直志
日時:毎週木曜と日曜の22時から23時00分(無料)


視聴・参加するには…
対象:通訳案内士試験を受験される、または本試験に関心のある全ての方。
事前にこちらからご登録ください。(登録・視聴は無料です。)
https://secure02.red.shared-server.net/www.guideshiken.info/?page_id=109