大乗仏教が歩く インドーシルクロードー中国から唐招提寺へのリレー | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

東大寺戒壇堂と鑑真和上

東大寺境内にあってもあまり人も訪れないようだが、大佛殿の西側にある戒壇堂にも行ってみた。江戸時代に再建された小さな建物だが、この場こそ唐僧鑑真和上が五度の渡海の失敗の末、はるばる海を越えて来日し、奈良で最初に授戒を行った場所だ。

鑑真和上が日本に来た理由は、733年に入唐した興福寺の栄叡(ようえい)、普照が弟子入りし、日本に戒律を伝えてほしい旨を懇願したからだ。それまでも奈良では皇室や貴族を中心として佛教は信じられていた。僧侶を保護するため、彼らには納税の義務を免除するだけでなく、一部の者の生活を保障したりもした。しかしそうなると納税免除が目的で頭を丸めるだけの「私度僧」とよばれるインチキ坊主たちが出てきた。

同じころ、唐では僧侶になるには厳しい国家試験があった。そこで学び、実践しなければならないのが「戒律」である。日本には佛教は伝わったが、戒律は伝わっていなかった。それは奈良佛教というのが鎮護国家のための佛教であり、僧侶のあり方まで関心がなかったし、それを定めるまで手が回らなかったからだろう。しかし唐では国家試験をパスしていない人物は僧として認められない。よって遣唐僧らも唐では私度僧と同じ扱いを受けることになった。

佛教を篤く奉ずる聖武天皇・光明皇后からすると、佛教国家元首としての体面上それは耐えられないことだったのだろう。そこで戒律の国家試験の判定を行える人材として白羽の矢が立ったのが律宗の鑑真和上だったのだ。

ところで戒律はインドで生まれたが、大乗佛教では中国で定着した。「戒」とは大乗佛教らしく在家信者も守るべき項目で、殺生、窃盗、淫行、虚言、飲酒は最低限してはならないというものである。ただ破ったからといっても罰則はなく、あくまで自分の心の中の問題であるのだが。

一方「律」は僧侶向けで、僧侶の集団(サンガ)内で守るもので、その数は250項目。そして比丘尼(尼さん)にいたっては348項目という。これらの厳しい試験の審判をすることで、僧侶にお墨付きを与えたのだが、この東大寺戒壇堂で最初に授戒した相手が聖武天皇や光明皇后、そして彼らの娘の孝徳天皇(後の称徳天皇)である。佛教に対する帰依は認められても、本格的な出家をしているわけでもない彼らがあの厳しい試験を突破して受戒するということからみて、単に権力者に対するサービスにすぎなかったのではなかろうか。

唐招提寺へー金堂にたちこめる天平の空気

「奈良市のゴールデン・トライアングル」の一大中心、東大寺から、翌日西ノ京に向かった。薬師寺のすぐ北に唐招提寺があり、そこからさらに北北東の方向には平城宮が復元されている。

鑑真和上一行は六度目の挑戦でようやく沖縄に到着し、屋久島を経て薩摩半島の坊津にたどり着いた。ちなみに1549年、このすぐ近くに漂着したのがザビエルだ。彼は欧州で宗教改革以降カトリック勢力がプロテスタント勢力に押されていたため、他のアジア諸国を経て日本に布教に来たようだが、偶然の一致なのだろうか、佛教の戒律を伝えにきた鑑真も、佛教勢力が道教勢力に押されていた唐の時代に海を渡ってきた。

南大門を過ぎて寄棟造の金堂に入る。中央には東大寺と同じく廬舎那佛が鎮座する。東大寺よりも印象的なのは中央のほとけの周りに八百数十体の小さなほとけがぎっしり並んでいることだ。これらはかつて一千体あったはずだ。「多即一」すなわちこれら千体プラス中央の廬舎那佛一体で、一つの大宇宙を表しているという華厳宗の教えが一目瞭然だ。

ここは律宗ではあるが、なぜ華厳宗のほとけなのか。奈良の南都六宗というのは後世の鎌倉佛教などとは異なり、宗派<学派、つまりアカデミックなものと思ったほうが妥当である。よって宗派を超えてほとけたちを拝んでいたのだ。

隣には脇侍として千手観音像もある。こちらも大きな腕が42本、そして小さな腕が911本も伸びている。ここまでたくさん手があると、こんがらがってしまいそうだ。反対側には薬師如来が立っており、その他四天王像や梵天・帝釈天コンビに守られている。やはりミュージアムにあるほとけとは異なり、本来の持ち場をそれぞれが守っている。さらにすごいのは薬師如来が平安初期である以外はみな奈良時代の佛像が奈良時代の建築の中に当たり前のようにあることだ。この内部は千三百年間ほとんど変わっておらず、空気まで天平の匂いがたちこめるようだ。

 

講堂と開山堂の御身代わり

金堂の北側には平城宮の東朝集殿を移築した講堂がある。後の平安京の宮殿建築さえ残されていないのにその前の時代の平城宮のものがそのまま残っているとは、この上なく貴重であろう。少なくとも金堂から講堂周辺は、内も外も奈良時代そのままの空間であるが、それより古い時代の法隆寺を別として、このようなところは奈良とはいえどここだけだ。

奥の開山堂にむかう。ここは年に一度だけ鑑真和上の遷化後に弟子によってつくられた鑑真和上像がご開帳されるが、平成になってから本物をもとに完璧に再現された「御身代わり」という乾漆像がお目見えする。五回目の航海で失明し、見えぬ眼を閉じて坐禅する和上の姿は写真で見る実物よりも生々しい。

中国人観光客が奈良に来るときは、ほとんどが奈良公園だけで終わる。しかし「公務団」と呼ばれる行政関係者や政治家、学生団体はだいたいここも訪れる。中国から日本に戒律を伝えた鑑真は、日中友好のシンボルとなっているからだ。そのときはこの御身代わり像も見ることになるが、実は実物は和上のふるさと、揚州に渡ったことがある。日中国交正常化の後の1980年と、平城京遷都1300年を記念した2010年のことだ。しかし中国において鑑真和上の知名度は初めての「里帰り」まで極めて低かった。

 

日中友好よりも大切なこと

そこでつい思い出すのが藤野厳九郎である。この名前を聞いてピンとくるのは魯迅の「藤野先生」を読んだ方だろう。魯迅が学生時代に仙台の医学専門学校で出会った福井県出身の藤野先生が熱心に教えてくださったことに対する追憶の中で、彼はこうまとめている。

先生が私に心から期待をかけてくださったこと、懇切丁寧に教えてくださったことは、中国のため、中国に新しい医学を伝えるためというレベルの話ではない。もっと高い次元でいえばよりアカデミックな、そう、新しい医学が中国に伝わっていくことを望んでのことであった。(他的対于我熱心的希望、不倦的教海、小而言之、是為中国、就是希望中国有新的医学;大而言之、是為芸術、就是倦希望新的医学傳到中国去。)

つまり「日中友好」という国同士のことよりも医学を伝えるというアカデミックな信念に燃えたのが藤野先生だというのだ。

翻って考えると、754年に東大寺に着任し、五年間ほど国家佛教のトップにたった鑑真和上だったが、759年にこの地に土地を与えられて独立した戒壇院を設けた。戒壇院で受戒するのが権力者だからであってはならない。佛の道をきちんと歩んでいく人間に限られるべきだ。和上はそのような信念を持っていたに違いない。この東海の小島に骨をうずめると覚悟したからには、やり遂げるべきことは東大寺で有力者に戒を授けることではないと、はじめからわかっていたのかもしれない。

和上は日中友好のために命がけで海を渡ったのではない。本物の佛法を守れる人間を養成するために、つまりは佛法のために渡ったのだ。国家間の有効が大切ではあるのはもちろんだが、和上は中国人である前に佛国土の住民だったように思う。

最後に唐招提寺であまり観光客が行かないが、大切な場所、戒壇院に寄った。鎌倉時代に再建された基壇のうえに、1978年につくられた半円形の石のストゥーパがある。鑑真和上の時代にはなかったものだ。しかし佛教史上意義深いのは国家佛教から脱皮して独自に真の佛法を守り伝えていく僧侶を輩出しようとしたこの戒壇院ではなかろうか。

飛鳥や斑鳩、奈良公園周辺をまわって最後にここ唐招提寺でインドのストゥーパを前におのずと腹からパーリ語の三帰依文が出てきた。

ブッダン サラナン ガッチャーミ(南無帰依佛) 

ダンマン サラナン ガッチャーミ(南無帰依法) 

サンガン サラナン ガッチャーミ(南無帰依僧)

記紀や万葉集など、日本人のこころのふるさとでありながら、天竺、震旦、高麗等、アジア文化の吹き溜まりでもあるこの大和路。インドで釈尊が語ったことを、シルクロードで鳩摩羅什が漢訳したり、唐代に中国で「唐僧」とよばれる三蔵法師玄奘が命がけで持ち帰ったりした経典や戒律。それらが鑑真和上によって日本の僧侶たちに広まっていき、千二百年後の私の中にもしみこんでいる。アジア大陸を横断したほとけの教えを感じるときにはいつもこのパーリ語が口をついて出てくる。

南大門の外に出たら日本の田園風景だ。うららかな春の大和路を後にして東京にむかった。(了)

 

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