ほとけが飛鳥にやってきた! | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

「あなたは仏教徒ですか?」と「お宅は何宗ですか?」の間

例えば外国のクリスチャンに「プロテスタントですか?カトリックですか?」と問うたとしよう。この場合彼らは自分のことをクリスチャンであることを前提に所属する宗派を答えるだろう。

しかし我々が「お宅は真宗ですか?禅宗ですか?」と問われたら、「父の家は曹洞宗ですが、母の家は真宗です。」などとは答えられる。だが別の機会に外国人から「あなたは仏教徒ですか?」と問われたら困ってしまうのは私だけだろうか。宗派を問われるのはこの世における家族の所属先を問われることであるが、「仏教徒」であるかと問われるのはもっと根源的な個人の信仰の問題だからだろう。

これまで通訳案内士を数百人養成してきたが、宗教を含めた日本文化に精通しているはずの我々通訳案内士の中でも「私は仏教徒です」と堂々と言える人はまれなようだ。そもそも我々の考える仏教というのは、ワールドワイドにみてスタンダードな仏教といえるのか。そのようなことを思いつつ、桜の咲くころ幼稚園を卒園したばかりの六歳の息子を連れて日本佛教のゆりかご、大和路を歩いてみた。

 

仏教伝来以前の大和の建築たち―唐古・鍵遺跡と纏向遺跡

大和の仏教文化が栄えたところとしては、奈良盆地最北端の奈良市街(平城京)、奈良盆地西側で生駒山東麓の斑鳩(いかるが)町などもあるが、この国の仏教文化が最初に花開いたのは奈良盆地南部の明日香村(飛鳥)である。

しかしそれに先立つこと八百年ほどの紀元前三、四世紀には大和三山の一つ、耳成(みみなし)山の北に位置する田原本町には、大環濠集落が形成され、すでに楼閣が建っていたという。これが唐古・鍵遺跡である。ひさしの装飾がワラビのようにクルリとカーブしていたというこの建物は、「唐古」という名から推測できるように渡来人の技術を利用したものだ。

唐古・鍵遺跡から大和川(初瀬川)を、三輪山目指してさかのぼっていくと、纏向(まきむく)遺跡である。卑弥呼が三世紀に邪馬台国を置いたという伝説の地には、箸墓古墳とともに伊勢神宮正宮と同型らしい平入りの建物と出雲大社と同型という妻入りの建物の礎石が発掘されたと言われ、興味が尽きない。

現在、唐古・鍵遺跡の弥生時代の楼閣は復元されており、昔を偲べる。ただあくまで推定復元であるので、ひさしにワラビのような飾りのついたこの建物が実在していたと考えを固定させるわけにはいかない。むしろ纏向遺跡では建物の復元ではなく、1メートルほどの高さの杉柱を六十数本埋め込み、卑弥呼の宮殿らしき巨大な建築の規模を示しているが、杉柱の上にあったはずの今はなにもない空中に空想を遊ばせるのも悪くない。ただ、いずれの遺跡にしても言えることは、仏教伝来のはるか前から奈良盆地には文明が導入されていたということだ。

「日本一小さい大仏(?)」-飛鳥大仏

 飛鳥の里をまわるには車でもよいが、あちこちで桜の咲くころだったので、橿原神宮前でレンタサイクルを借り、周ってみた。田園地帯を東に走り、飛鳥川を越えると北に丘が見える。百人一首で「春過ぎて夏来にけらし白妙の…」でしられる香具山である。香具山を見ながら自転車の後ろに乗せている息子にこの歌を暗唱させつつペダルを踏んでいると、標高152メートルと高くはない山なので、大学時代に初めて見たときにはこれがあの有名な香具山とは認識できなかったことなどを思い出した。

 そこから南に向かって丘を登り、下ったところに飛鳥寺がある。日本最古の現存する仏像で知られているこの寺をお参りするたびに思うのが、奈良のほとけたちに比べるとここの飛鳥大仏は表情がこわばっていることだ。学生時代に初めて見たときには「メカゴジラ」を連想するほどの生硬さを感じた。しかしここのほとけは奈良の他のどんなほとけたちよりも親近感が感じられる。まず金堂が小さく、そして約270㎝の高さの大仏は存在感があるからだろう。そして参拝者とほとけとの間には仕切りもなにもなく、オープンなのも、このほとけをより近く感じる理由だろう。

 渡来人の家系に生まれた鞍作鳥(止利仏師)によるこの大仏だが、表面のほとんどは鎌倉時代に焼けた後に作り直されたものという。もしこれが立っていれば一丈六尺(約480センチ)あったということから「丈六釈迦如来坐像」と呼ばれる。ただ、この小さな堂内でこそ存在感はあるが、「大仏」というにはいささか小さい。「日本一小さな大仏」というのは形容矛盾だろうか。

 

仏像が生まれるまでーインド×ギリシア=ガンダーラ佛

 現存最古(609年以前)のほとけが釈迦如来であることには大きな意味があるように思える。なぜなら釈迦如来こそ世界の佛教においてその「元祖」たるものだからだ。釈迦とは神ではない。ゴー(ガウ)タマ・シッダールタという北インド・ネパールのシャーキャ(釈迦)族の王子を指すことから分かるように「お釈迦様」とは民族名なのだ。それは例えば大和の皇子だった聖徳太子を「大和様」と呼ぶようなものだろう。ちなみに「ブッダ(佛陀)」というのは「悟りを開いた者」という意味で、シッダールタに限らずだれでも悟ればブッダになれるという。

 シッダールタ王子は人間に「生病老死」という四つの苦しみから逃れられないことに悩んで出家し、菩提樹の木の下で座って悟りを開き、弟子とともにインド各地にそれを伝えた。ただその当時は仏像というものは存在しなかった。佛教というのは拝むのが第一義ではない。正しく生きることであり、正しくものを見る教えである。紀元前五世紀ごろに釈尊入滅後、五、六百年ほどは仏像はなかった。

仏像の誕生は現在のアフガニスタンからパキスタンにかけてのガンダーラである。ギリシアのアレキサンドロスが「東方遠征」と称するインド征服を企て、この地を支配していたころ、ギリシアの彫像がガンダーラの仏教文化と融合し、仏像ができたという。それがシルクロード、中国、朝鮮を経由して日本列島にやってきた。今目の前にまします飛鳥大仏は千年以上の旅を重ねてインドから飛鳥の里に現れたことになる。

 

教え<建築・仏像の時代

できた当時は金色に光っていたであろうこの日本最古のこのほとけを前に思った。この釈迦如来坐像は苦からの解脱の方法としての「八正道」を説き続けてきたに違いない。これらは独りよがりの偏った見方を排して事実を見、それに基づき考える「正見(しょうけん)」や「正思」。相手に寄り添いつつ偽りのない言動を行う「正語」「正行(しょうぎょう」」。そして殺生や窃盗、詐欺など反道徳的な職に就かず善行に務める「正命(しょうみょう)」「正精進」、そして物事の本質をつかむ「正念」「正定(しょうじょう)」である。

ところで千四百年前、蘇我氏がここにこの寺を建て、仏像を鋳造したころ、塔を中心に東西と北に合計三棟の金堂があったという。金堂とはその寺で最も最も中心となるほとけを安置する建物だが、それが三棟あり、塔を囲むというのは、金色のほとけよりも塔のほうが重要視されていたことの表れなのだろうか。そしてそれまでこの盆地にあった大型建物というと、唐古・鍵遺跡や纏向遺跡などの楼閣建築があったろうが、それらとは比べ物にならぬほどの華やかな金堂群や塔を目撃した飛鳥の人々は、苦しみからの解脱などではなく、寺院建築や金色に輝く豪華な文明に心惹かれたに違いない。

つまりこの国の仏教文化は衆生を救うための大乗仏教としてではなく、建築や仏像といった見事な外観を誇示するものとして入ってきたのだ。

 

「仏教六世紀周期説」とネット時代こそ必要なほとけの教え

思うに釈迦の時代から六世紀ほど経った1世紀前後に仏像が生まれ、中国に仏教が伝わった。その六世紀後の七世紀前後に飛鳥の仏教文化が生まれた。そしてさらに六世紀経ってインドで仏教が廃れた十二世紀前後、この国の民衆の間に鎌倉仏教が広まった。それから約六世紀経ち、欧米の学者が仏教に関心を抱き始めた十九世紀、日本では廃仏毀釈が起こり、その後の仏教文化は葬式仏教と美術が中心になって現在に至る。

この仏教の栄枯盛衰を語る「仏教六世紀周期説」に従うとすると、飛鳥寺が創建された六世紀前後の佛教は、目を見張るほど豪華な舶来品への憧れであったろうが、それらも今や日本史の教科書の一頁を飾るに過ぎない。そして最も大切なほとけの教えが庶民のものになるまではさらに六世紀を要した。

釈尊の教えの詳細は日本史の教科書ではほぼ無視されつつあるが、インターネットが万能となった今のような時代こそ広まるべきではないか。例えばSNSだと似たような考えの人としかつながらないため、情報が偏りがちで、同じ情報に接しても自分の価値観に合わないものは無視しがちである。そんなときには「八正道」のなかの「正見」「正思」が必要なことは言うまでもない。そして情報を発信するにしても「正語」「正行」でなければ炎上する。顔も体も修理の跡だらけのこのほとけを見ていると、「本当に大切なのは仏像なんかじゃなくて教えなんだけどなあ…」とぼやきが聞こえてくるようだ。

 

ハングル版般若心経

本堂内にはハングルの掛け軸がある。よく見ると般若心経がハングルで書かれているではないか。般若心経は五世紀初めにインド僧鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)が大乗仏教のエッセンスを漢訳したものだが、後の七世紀に「三蔵法師」玄奘が命がけでインドから持ち帰り、独自に漢訳したものが、東洋各地で今なお唱えられている。目の前の釈迦如来像とハングル版般若心経に、偉大なるアジアのダイナミズムと縁を感じないではいられない。

ハングル版般若心経を見ているとハングルが脳内で漢字に置き換わり、それが意味に落とし込まれてくるのを感じる。例えば「무고집멸도」を見たら「無苦集滅道」と漢字が浮かぶ。そして釈尊が悟りを開いてから最初に説いた「人はみな苦しみから逃れることはできない。その苦しみというのは凝り固まった迷いが集まってできたもの。しかしそれも滅却できる。八つの正しい道を歩む修行をすれば。」というように、「ハングル、漢字、意味」の三段階を経て私の中に入ってくる。

時空を超えた風景

 外に出ると塀の向こうに田園が続く。ここが大和で初めての王宮があった「まほろば」である。私はここにくるたびに二つの場所を思い出す。一つは韓国慶尚北道清道群の田園風景であり、もう一つは私のふるさと、出雲安来の能義平野である。思わず息子に語りかける。

「安来に似とるのう。でも韓国にもこげなとこがあるで。」

 ふと見ると住職が板に白ペンキで書いた説明版がある。「真神原(まかみがはら)からの眺め」として始まるこの文は古代のロマンをかきたてる。

「視野を遠く放つべし。ここに立ちて見る風景は古代朝鮮半島、新羅の古都慶州、百済の古都扶餘の地と酷似しており、大陸風で飛鳥地方随一なり。日本文化のふるさとである古都飛鳥のこの風景には、古代百済や新羅の人々の望郷の念を禁じえない。 住職謹記」

 堂内でハングル版般若心経を見て、傷だらけのほとけにガンダーラとインドと中国の影を見て、美術品としておしこめられたほとけのぼやきを聴いたかとおもうと、外は韓国なのかわがふるさとなのか分からぬ風景だ。わずかの間に時空を超えてアジア一周をしたかのような眩暈(めまい)を感じた。

住職さんは日本文化のふるさとは飛鳥であり、そのルーツは古代朝鮮であり、そこに望郷の念を感じている。私は私で、日本文化のふるさとは出雲であり、出雲族のルーツの一つは古代朝鮮であると考え、いわば古代朝鮮をルーツとする地方同士で妙な親近感を感じている。

 

ギリシアの塑像×インド仏教=仏像、渡来人×土着文化=飛鳥文化

飛鳥寺が創建されたギリシアの塑像×インド仏教=仏像、渡来人×土着文化=飛鳥文化ころ、この地のマジョリティが渡来人だったというが、大和各地にも出雲系の大物主命を祭る三輪山やその南東の「出雲」集落、古代出雲発展のカギとなったタタラを司るヒメタタラをも祭神とする橿原神宮など、天皇家が支配する以前の古代出雲の存在がモグラたたきのモグラのようにあちこちから頭を出す。

そもそも「真神原(まかみがはら)」というが、私の育った雲南市には「神原(かんばら)」という集落があり、そこは日本で初めて卑弥呼が魏から賜ったという「景初三年」と刻まれた三角縁神獣鏡が日本で始めて発見された。飛鳥にいるのか出雲にいるのか朝鮮にいるのかいよいよ分からなくなってきた。

そのうちインド渡来のほとけの教えを、朝鮮・出雲・飛鳥の水で割って飲んでいるかのような気になってきた。文化の大きな流れにほろ酔い気分となりつつ、私は息子を自転車の後ろに乗せ、古代と現代、日本とアジアが交差するこの農村地帯を走り、レンタサイクルショップを目指して帰っていった。

ペダルを踏みしめつつ分かったことは、ギリシアの塑像×インド仏教=仏像、渡来人×土着文化=飛鳥文化という、この文化のブレンドこそが飛鳥の本質であるということだ。暮れなずむ樫原神宮駅前から近鉄奈良線に乗り、宿所のある奈良に戻っていった。(続)

 

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