ドロドロの中にも、ピカピカのなかにもタオはある 三重津海軍所と有明海 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

 有明海に生命の根源を感じた

 「タオ」っぽさを求めて佐賀をまわるにしては、なかなかそれらしいものに出会えない。しかしよく考えると祐徳稲荷神社にしても有田焼にしても佐賀藩にしても大隈重信にしても、江戸時代から近代にかけて造られたものばかりを見てきたではないか。それをはるかにさかのぼる存在を忘れていた。佐賀県南部の生命の根源、有明海である。「老子」は天地の創成について、このように述べている。 

 「有物混成、先天地生。寂兮寥兮、獨立不改、周行而不殆、可以爲天下母。(ドロドロ、ぬめぬめしたものから何かが生まれた。天地ができる前のことだ。それはシーンとしたなか、ヌ~っと現れたと思うとぐるぐる回っていくんだ。天地というのはそこからパーッと分かれて生まれたのだろう。」

 有明海の佐賀県側は、どろどろ、ぬめぬめした干潟で知られている。そこには水陸両用の魚類として親しまれるムツゴロウや、そのグロテスクな容貌から「有明海のエイリアン」と称されるワラスボ、さらに日本一のノリの養殖を誇るなど、生き物たちの宝庫である。焼酎がすすまないはずがない。

 あの母なるぬめぬめした内海から数多くの生き物が生まれてきたという事実は、「老子」の天地創成のくだりを思い起こさせる。そしてこの文章はこう続く。

吾不知其名、字之曰道。強爲之名曰大。大曰逝、逝曰遠、遠曰反。(その名を知らないのだが、とりあえず「タオ」とでもしておこう。あえて訳すなら「どでかいやつ」かな。それはズズーっと遠くに動いていったかと思うと、寄せては返すようにもどってきたりもする。

有明海のぬめぬめの満ち潮と引き潮を連想させるようではないか。そしてタオについてはこうも述べている。

人法地、地法天、天法道、道法自然。(人間は天地のメカニズムに従おうとするが、その天地もタオに従おうとする。しかしそのタオでさえ「おのずからのメカニズム」にしっかり従っている。)

 ドロドロ、ぬめぬめしたこの有明海にタオの存在を感じたかと思うと、そのタオさえをも動かす「おのずからのメカニズム」があるというのだ。

「道之爲物、唯恍唯惚。忽兮恍兮、其中有象。恍兮忽兮、其中有物。窈兮冥兮、其中有精。   (タオというのはただなんとなくヌ~っとしているくせに、その奥に何かボーっと、そしてずっしりとした何かがありそうだ。ぽわーっとした奥深さのなかに、きびきびした何かを感じるものとでもいおうか。)」

 

有明海と佐賀国際空港

 その有明海沿いに飛行機が離発着するのが見える。佐賀国際空港だ。またもや「荘子」の最初の部分を思い出す。

北冥有魚,其名曰鯤。鯤之大,不知其幾千里也。化而為鳥,其名為鵬。鵬之背,不知其幾千里也;怒而飛,其翼若垂天之雲。是鳥也,海運則將徙於南冥。南冥者,天池也。(北の海に何千キロメートルもの大きさの、「鯤(クン)」という魚がいた。そいつが鵬(ポン)という名の大きな鳥に変身するのだが、その背も何千キロという。怒って飛び立つとその翼は空から雲が垂れ込めるよう。そしてその鳥は南の海に向かって飛んでいく…)

 「荘子」は出だしからこのようなスケール違いの寓話を出してくるが、私には「北の海に住むというクン」が有明海のムツゴロウやワラスボに思えてきた。そして空港から飛び立つ飛行機を見ると、それらが「ポン」という大きな鳥になって飛び立っているかのように思えてきた。なかなかイマジネーションを喚起させる空港と海である。

それは筑紫平野が面している有明海のためである。

 

 

三重津海軍所跡-日本一「タオ」な世界遺産

 佐賀空港から「筑紫二郎」筑後川の支流、早津江川を七キロほど上流にさかのぼると、日本一「タオな」世界遺産がある。それが三重津海軍所跡である。幕末に鍋島藩はここに造船所兼ドックを置き、日本の近代化に一役買ったところである。そのため「明治日本の産業革命遺産」の一つとして登録されている。

九州各県にその構成資産はあるが、例えば鹿児島の集成館、長崎のグラバー邸や軍艦島(端島)、福岡・北九州の八幡製鉄所などは建造物が残っているが、ここは河川敷公園にしか見えない。実際は河川敷の数メートル下にあった海軍所跡を、確認するや否や埋め戻したため何も見えない。グラバー邸や軍艦島など、世界遺産を観光地化して地域の活性化につなげようとする昨今の風潮とは全く異なり、ここが歴史上果たしてきた役割と先祖の誇りを「分かってくれる人にだけ分かってもらえればいい」という思いで細々と、しかしきちんとした資料館を建てて伝えていこうという思いが伝わってくる。

「史記」によると、孔子が老子に教えをこうたとき、老子はこう答えたという。

「良賈深蔵若虚(いい商売人というのは、お宝はショーウィンドウに置かずに、蔵に隠してなにもないふりをするもんなんじゃ)」

連れて行った子どもたちはただの河川敷でもはしゃいで駆け回っていて楽しそうだったが、日本の近代化におけるあの場所の意味と、世界遺産を観光の目玉にしている風潮の中、もっと深い価値観で先祖の偉業を後世に伝えようとする人々が佐賀にはいるということを、もう少し大きくなってから教えたいと思った。

三重津(みえつ)は「見えず」ではあるが、見る人を選ぶというのがタオっている。

 

アリにもレンガにもクソにもタオが…

佐賀を離れる前に寄り道して有田町に隣接する長崎県の波佐見(はさみ)焼の窯を見に行った。もともと有田焼の下請けをしていた窯だが、普段使いの磁器の生産では全国一を誇り、近年注目されつつある。ここのやきもの公園には世界各国の窯が集められているが、やはり気になるのは朝鮮渡来の登り窯である。波佐見焼も有田焼と同じく、朝鮮人陶工李祐慶が開祖と言われ、町内の公園にひっそりと記念碑が立っている。

登り窯の周りにはぼろぼろとレンガ屑が落ちていた。おそらく掃除のときには捨てられるのだろう。ここで大切なことを忘れていた。このレンガ屑にも「タオ」が備わっていると、荘子は言っていたのだ。

ある男が荘子に聞いた。「タオっていうのはいったいどこにあるんです?」「どこにでもあるさ。(無所不在)」「もっと具体的にお願いしますよ。」「じゃあ、アリとか。」「そんなレベル低い虫にタオが?」「そう、ヒエやレンガくずの中にもあるぞ。」「ますますレベルが低い…」「それどころかクソの中にだってある。(在屎溺)」「もういいです…」

男はタオとは高尚なものだと思っていたので、多分自然の摂理とかきれいな水とか、貴金属の中にしかないかと思っていたら、「クソの中にもある」と言われてしまった。そう、清水が自然の摂理なら、クソだって自然の摂理ではないか。荘子は一見人間がありがたがるようなものにこだわることを批判したのだ。

 

だったらキラキラごてごての計算高い奴にだってタオが備わっているはず

高校時代から老荘を愛読書としてきたくせに、佐賀のような目立たないところにタオがあると思い、佐賀で「タオっぽい」ものが見つからず、ようやく泥沼の有明海にそれっぽいものを見つけたと思っていた。しかし実は大量生産の安っぽい有田焼や波佐見焼の中にも、スマートな交渉術と経理能力で自分の価値観を他国に押し付ける大隈重信のなかにも、そして殖産興業で軍備を整えた鍋島直正の中にも、キラキラでごてごてした祐徳稲荷神社にも、すべてにタオはあった(無所不在)はずなのだ。それなのにそれに気づかず、有明海にだけタオを感じ取った私の負けだった。

本を読むだけで真意を理解せず、言動にそれが現れないことを「論語読みの論語知らず」というが、私は「老荘読みの老荘知らず」に他ならなかった。タオを求めてタオっぽいと決めつけていた。私もまだまだである。これからも老荘の教えを学び、深めていこうとおもう。こんなことを言えば、あの世の老子や荘子は頭を振りながら言うことだろう。

爲學日益、爲道日損。(知識は学ぶほどにずっしりと。タオは歩むほどにひょいひょいと。)

 人生をひょいひょいと歩いていくためのツールが老荘であることを再確認して、佐賀を去った。