あるアイヌ人国会議員とそのふるさと、二風谷 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

産業都市苫小牧からアイヌの都、二風谷へ

白老町から国道36号線を東に進むと苫小牧市である。地方自治体が変わると街並みも変わるのはよくあるが、ここでは白老町のあちこちで見られたアイヌ文様は姿を消す。茨城県大洗港から苫小牧港にフェリーが出ているため、この町の通りは関東ナンバーの大型トラックでひしめき合っている。工業都市にして物流拠点のこの町とアイヌ文様は似合わないのかもしれない。

生産量日本一を誇る北海道産の更級そばを堪能してから、日高高速道路で平取町に向かう。この町には義経神社が存在するので詣でてみた。一見何の変哲もない神社ではある。ただこの土地は源平合戦のあと兄頼朝に忠誠心を疑われ、平泉で自害したはずの源義経が津軽半島を渡って蝦夷地に落ちのび、たどり着いた場所だという。そういえば下北半島にも義経寺というのがあったことを思い出した。

時代は下って江戸時代にここを訪れた幕府の官吏、近藤重蔵が、この地の首長に義経の像を贈ったことが、この神社の縁起と言われる。

 

イザベラ・バードと通訳案内士の伊藤君

さらに時代は下って明治時代にここを訪れた英国人旅行作家、イザベル・バードも、この町のアイヌ集落に三日間滞在した。明治期の「通訳案内士」伊藤君を引き連れての、東京から東北、北海道まで歩くこの長旅は「日本奥地紀行」としてまとめられている。この作品で痛烈かつ興味深い点の一つは、伊藤君のアイヌ人に対する見方である。アイヌ人に対して親切に優しくすることがいかに大切かを説くイザベル・バードに対して、伊藤君は憤慨して言う。

「アイヌ人を丁寧に扱うなんて!彼らはただのイヌです!人間ではありません。」

 そしてアイヌ人に関する悪い噂をまくしたてるのだが、肝心なのは彼が19歳にして英語の通訳者という、「開けた」人物であるという点だ。人並み以上の知性があってしかるべき青年さえ、この程度の人権感覚だったのだ。とはいえ、慣れてくると彼もアイヌ人のことを評価するようになってきた。無知が偏見を読んだのだろう。

 ところでバードはアイヌ人のことを美しいと思っている。

彼の黒髪もそれほど濃くはなく、髪も髭もところどころ金褐色に輝いていた。私はその顔かたちといい、表情といい、これほど美しい顔を見たことがないように思う。(中略)未開人の顔つきというよりもむしろ(中略)キリスト像の顔に似ている。

 彼女の「美の基準」は、どうやら西洋的な顔つきであることがここから見て取れる。一方、日本の学者たちも当時西洋で進みつつあった「人類学」を導入し、アイヌ人がユーラシア大陸を横断して極東にやってきたコーカソイドの子孫であることを「証明」しようとした。人類学者といえば、幕末に箱館の居留地にいた英国人人類学者もアイヌ人の墓を盗掘し、持ち帰って研究したというが、もしアイヌ人がコーカソイド系なら、日本人の一部は欧米人と同類となる。国を挙げて「脱亜」をはかろうとしていた明治中期はそんな時代だったのだ。それがアイヌ人墓地の国家的、組織的、学術的盗掘につながったのは言うまでもない。

 

二風谷ダムとアイヌ人国会議員

 平取の義経神社から沙流川を上ると、二風谷ダムが姿を現した。高度経済成長期に治水と利水を目的としてこの地にダムの建設がすすめられた。しかしこの地は昔からアイヌ人の聖地であるだけでなく、「カムイチェㇷ゚(神の魚)」と呼ばれる鮭が遡上してくるため、ダムを造ると鮭が登ってこられなくなる。そこで地元二風谷のアイヌの有力者、萱野茂氏、貝沢正氏などがダム建設反対運動を展開した。

結果的にはアイヌ側が譲歩せざるを得なかったが、彼らはこの日本に「先住民」という存在があること、そしてこれまでどのような扱いを受けてきたかなど、現状を日本中に知らしめることには成功した。 

 ダムを歩くと鮭が遡上してこられるように通路が造られているのが分かる。これも彼らがカネにつられて土地を明け渡さず、地道に粘り、支援者の輪を作っていった結果に他ならない。私が放浪のサイクリストとして初めてこの町を訪れた1992年当時、萱野氏は旧社会党から参議院議員として立候補し、繰上げ当選した。史上初めてアイヌ人が参議院議員となり、しかもアイヌ語で演説したのだ。

 そして同年、沙流川のほとりに開館させたのが平取町立二風谷アイヌ文化博物館であるが、当初は萱野氏のアイヌ関連の生活用具の寄贈も少なくなかったという。さらに議員としては明治時代に成立し、大正、昭和、平成と一世紀にわたって続いた「北海道旧土人保護法」を廃止させるとともに、アイヌ人の文化を継承させるために交付金、補助金などを確約させる「アイヌ新法」を成立させると、議員生活から足を洗ってこの二風谷に戻ってきた。権力にも淡泊な人物だったようだ。

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「いいことも悪いこともしっかり伝えなければな」

 この町立博物館は、地方自治体運営にしては日本政府に対する見方が厳しい。「ウパシクマ(語り継ぐ歴史)」として次のようなメッセージがパネルに書かれている。

この地には古くから人が住んできた。アイヌが自由に楽しく暮らしていた。が、大勢の和人が侵略してきてからは、アイヌにとって辛いことが多かった。いいことも悪いこともしっかり伝えなければな。これからのためだ。

 語り口はソフトだが、「和人が侵略」等という表現に怒りと悲しみが感じられる。そして「いいことも悪いこともしっかり伝えなければな。これからのためだ。」というのは、ウポポイの慰霊施設で見た

ここを訪れる多くの方に、このような歴史を理解していただくことが、未来の共生社会の礎となるものと考えます。

とは比べ物にならないくらい、心に染みる。

 この博物館も前庭にチセ(アイヌ伝統家屋)が再現され、その屋内では伝統芸能や伝統技術の継承が行われている。ただ、ウポポイが令和の国立アイヌ博物館、二風谷アイヌ文化博物館が平成のアイヌ博物館だとすると、国道237号線の向こう側にある萱野茂二風谷アイヌ史料館は「昭和」の資料館である。お世辞にも立派とはいえない古ぼけた館内だが、こここそ萱野氏が心血を注いでアイヌ文化を継承してきた拠点なのだ。

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