「アートの島」直島は本当か? | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

訪日客ゼロの直島

 2020年の中秋の頃、サンライズ瀬戸で東京から高松に向かった。明け方瀬戸大橋を渡るときはいつも心躍る。大きな湖に島々が浮かぶようなその姿は、一幅の山水画を見るかのようだ。特にこの度訪れたときは、小雨の降る日は、霧に包まれて幻想的である。

 高松に着いてから港に向かい、一時間ほどで三年ぶりの直島・宮浦港に着いた。フェリーターミナルの「海の駅直島」は、妹島和世と西沢立衛のユニットSANAAの設計である。金沢21世紀美術館やすみだ北斎美術館のような、入口のたくさんある特徴的な建築だが、コロナ禍で観光客も激減したとはいえ、訪日客はゼロだった。三年前のあの訪日客のほうが圧倒的に多い直島がうそのようだった。

雨もやんだので自転車を借りて、アップダウンの激しい中を地中美術館に向かったが、全く待たずに入館できた。

 

見せ方にこだわる地中美術館の庭

入り口前のモネの庭を模した池が、雨に濡れて抒情的だ。地中美術館は環境に配慮して、本体のコンクリートの塊の大部分を地中に埋めている。そのコンクリートが見えてきた。「qīngshuǐmó(清水模)」という言葉が口をついて出てきた。中国語でコンクリートの打ちっぱなしを意味するこの言葉は、安藤忠雄の代名詞でもある。

ここの中庭の見せ方が実に興味深い。清水模の巨大な壁に、数十センチのスリットのような切れ目を入れ、そこから庭をのぞかせるのだが、人間は視野を狭められると、より集中してみたくなってくるものだ。なにかワクワクしてくる。と同時に妙なことを思い出した。昔、韓国の天安の独立記念館で、日本の警官が朝鮮人運動家を拷問している蝋人形が展示されていたのだが、それを見る方法がまさに壁に横長の隙間をあけておいてそこからのぞかせるのだった。「怖いもの見たさ」といおうか、この妙なドキドキ感のようなものを思い出した。

ただ、庭そのものは、石がどこにでもあるような石であることに気づいた。日本庭園にある名石や、中国庭園の奇岩怪石ではなく、殺風景この上ない。しかし最下層から上を除くと、三角形に仕切られた灰色の空が見えてくる。シュールだ。ただ、もしかしたら竜安寺の石庭が現れた当時、人々はあれをこんな風に見たのかもしれない。

 

間を生かしたモネとタレル

また、モネの睡蓮が素晴らしい、というので見てみたら、幅数メートルずつの睡蓮が、正面と左右の壁にあり、屛風か襖絵のように立体的に睡蓮の池を楽しめるようになっている。ただ、私が注目したのは、広いスペースにわずか三枚の絵があるだけで、そのスペースの広さに驚いた。実によく間を生かしている。

また、「光の芸術家」の異名をとるジェームズ・タレルは、露天風呂から浴室をとったかのような何もない空間の天井部分に四角形の空間を開けている。晴れていれば青空が見えたろうが、その時はまた雨が降りだしたため、傘を差しながらたたずんだ。

逆にウォルター・デ・マリアの作品は、大学の講堂を思わせるひな壇上の空間の中心に直系2.2mの球体の物体がある。そして周りに金箔を貼った直方体が三本ずつ、九カ所に左右対称に並んでいる。瞬間、曼荼羅を思い出した。それにしてもやはりそれぞれの間合いがよくとってある。どうやら全体的に「間の美学」を感じさせる。

 

韓国らしさの感じられない李禹煥(リ・ウファン)美術館

外に出ると雨はやんでいたので、自転車で李禹煥美術館に向かった。丘を下ると国旗掲揚台のようなポールが立っており、その下に巨石がごろりと置かれてある。そしてその向こうには横一列に安藤忠雄お得意のコンクリートの塊が横たわる。岩が寂しそうだ。日本の庭なら岩の周りには築山があったり、池があったり、木があったりして、周りとの関係性の中に岩もあるのだが、ここでは実に寒々としている。竜安寺にたった一つ岩があればこんな感じだろうか。

続いてコンクリート塀を歩いて館内に入るのだが、塀が高いので圧迫感を感じる。居心地はよくない。館内には絵画や石が置かれているが、やはり「間(ま)」に目がいく。絵画だけが芸術ではない。岩や木などをそのままある空間において作品とする「もの派」の主導者として昭和四十年代から活躍し始めた彼だが、自分自身庭園の一部としての岩にしか見えず、しかも、韓国人である彼の「韓国らしさ」は全く感じられないため感動のツボに苦慮する。

現代建築の殿堂、直島町役場周辺と家プロジェクト

再び雨の降る中、自転車で町役場を目指す。町役場周辺は9カ所の古民家などを再生させてアートスポットとして利用している。ベネッセ主体の「家プロジェクト」というこの試みは極めて面白い。地中美術館や李禹煥美術館にはこの島の人々の暮らしが全く感じられないのに対し、このプロジェクトは可能な限りこの集落が栄えていたころの人々の息遣いを大切にしているように思えるからだ。

また、役場そのものが、なんとあの西本願寺飛雲閣をモデルに鉄筋コンクリートで再現したものである。さらに隣接する町民会館の直島ホールは木の暖かさが感じられるモダンなヒノキ造りで、この町の現代建築と伝統建築の衝突から融合にかけるこだわりが感じられる。そして目立たないながらも安藤忠雄の代表作などの資料が展示されている「ANDOミュージアム」は、古民家の梁と柱と外壁をそのままにして、後は彼一流のコンクリート造りである。賛否両論だとは思うが、最低限の最低限は、ここに昔あった建物が偲べるだろう。

ここでようやく無料休憩所の古民家の中庭に庭らしい庭が見られてホッとする。現代アートや安藤建築は、連続で見ると疲れてくることに気づいた。船の時間もあるので、宮浦港に向かった。

I♡湯は島民にとって何なのか?

予定より30分早く着いたため、I♡湯というアートのオブジェで満載の銭湯に入ってみた。正面玄関からして、椰子の木やパステルカラーの列柱とタイルなど、かなり刺激的である。中に入ると昭和四十年代の広告の切り抜きのようなものがタイルに印刷されており、それが湯船の底に貼られている。なによりも男女の敷居のうえには象のオブジェが。そしてガラスの外にはサボテン。まことに落ち着かない空間であるが、アート作品を裸で見るという経験はそう滅多にはない。

脱衣室に置かれた資料を見ると、地元の人の利用率はわずか2%。しかも、地元の利用者にアンケートをしたところ、特にアートに興味はないが、風呂が楽しみだとのこと。ここに「アートの島」直島の根源的な問題があるのではないか。

「アートの島」とはあくまでも観光客向けの謳い文句であり、島民には島民の生活がある。そこに島民の直島と観光客の直島がパラレルワールドのように横たわっているようだ。

島を離れる時間が来た。午後の雨の中、宮浦港を離れて東隣の豊島(てしま)に向かった。すると、この二つの島がダークな一面を持つことを実感することとなった。

 

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