「徒然草」を覚えて鎌倉を歩く③金沢文庫にて:理想と現実との折り合い
貴族が支配する京の都人であった彼は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、何度も東国の武士の町、鎌倉周辺に滞在を重ねていたという。鎌倉周辺における彼の足跡ははっきりしていないが、鎌倉の外港の武蔵国六浦(現横浜市金沢区六浦)周辺にいたことは分かっている。現在、このあたりは海側には「八景島シーパラダイス」、内陸側には金沢文庫がある。「金沢文庫」駅でおりて、「神奈川県立金沢文庫」に向かって住宅街を歩く。ちなみに北条氏の一派、金沢実時が、京都の公家文化を、表面だけでなく頭脳や心情までも学び取るべく、坂東の武家の都の外港付近に図書館を設立したのがここである。よって歴史的な呼称は「かねさわ」である。今でも中世史などを研究する人には必須の専門図書館でもあり、資料館も併設されている。兼好もかつてここをおとずれたのだろうか。
住宅街の中に、突如としてまっすぐに伸びる並木道が見えてきた。その突き当たりには古びた山門が見える。そこが金沢文庫に隣接する称名寺である。「称名」とは、浄土信仰で「六字の御名」すなわち「南無阿弥陀仏」と唱えることを意味する。そしてここはこの世(此岸)から極楽浄土(彼岸)にいくことを、生きながらにして体感できる「浄土式庭園」である。池に島が二つ続いており、それらを二つの橋で結んでいる。山門付近が此岸であり、そこから一歩一歩踏みしめつつ、浄土への旅を楽しむ。そして二つ目の橋を渡りきったところが、西方極楽浄土なのだ。
それにしても、極楽は西方にあるはずだが、ここは南から北に向かって歩くのが解せなかった。が、秋の日の夕方にここを渡って、左岸を歩きながら戻ろうとしたとき、西日が橋を照らした。そのとき欄干が金色に反射した。渡っているときには気づかなかったが、欄干の外側に金箔を施していたのだ。やはりここはこの世の極楽浄土なのだと実感した。
法師としての兼好も浄土信仰の本場、比叡山横川で修行した。穢いこの世からおさらばし、光り輝く極楽浄土で楽しく過ごすため、「南無阿弥陀仏」、すなわち阿弥陀様にすべてを捧げます、と繰り返し称名せよ、というこの思想を、彼も会得したはずである。
しかし彼は死んでからの安寧よりも、むしろ「隠遁」、すなわちつらい現役を退き、心静かに過ごせる場所に移住して「セカンドライフ」を充実させよ、と考えた。現実逃避となじられても、彼は「現実」を山中の庵に引っ越すことで「現実」の内容を変えたのだ。
彼は165段で言っている。「田舎の荒くれ者たちの中にも京の雅な文化をまねる者がいる。逆にたいしたことない都人の中にも、都落ちして出世する者もいるが、『我が俗にあらずして人に交れる、見ぐるし。(自分らしさを見失ってまで人付き合いに奔走するのは見ていられない)』」これは関東の田舎者差別ではないか、と正直思う。ただ、「伊勢物語」の一章「東下り」という表現にも現れるように、都人による粗暴な坂東武者に対する蔑視はごく一般的で、兼好独自の考えではない。
京都の王朝文化を必死に学ぼうとするための金沢文庫に対する彼のまなざしも、「成り上がりの田舎者が勘違いして学問をやっている」という程度のことだったのかもしれない。「隣の芝生は青い」ではないが、本来の自分のあり方を捨てて、かっこよく見えるものを真似る、その「インチキさ」がいやだったのだろう。
だったらそんな連中と付き合わずに、孤高を保てば良さそうなものだが、彼は当地にパトロンがいたらしい。また、後には足利尊氏の弟、直義に和歌を指導したり、彼と対立する高師直に恋文の代筆をしたりするなど、その時その時羽振りのよい武将との交流を大切にしたりする。パトロンである武家を嫌いながらも、名刹の僧侶でもない、中途半端な隠者、すなわち自営業の文学者であるがゆえに、自由な生き方を守るため、不本意ながらも武家との接触をやめなかったのだろう。「これはこれ、あれはあれ」である。
大金をはたいてくれる上客ではあっても、粗野でマナーが悪いと思われた2010年代の中国人観光客に迎合しなければ、商売にならない日本を始めとする各地のインバウンド業界の人々の心に、それは似ている。
近代日本における上質な生活文化の発信地で会った銀座が、中国人観光客のスーツケースの音がけたたましく鳴り響くようになると、銀座を贔屓にしてきた日本人たちはこの町を離れた。これは足利尊氏が後醍醐天皇を京都から追放し、「我が世の春」を送るとともに、雅な公家の京都が無骨な武家の配下に置かれるのを目の当たりにした京都の人々の気持ちと通じるものがあるかもしれない。兼好が京都を離れたのは、王朝文化を身に着けたと勘違いしている東国武者の、京都での振る舞いに耐えかねたからだったかもしれない。
閉門時間になったので、浄土式庭園から出た。並木道を戻りながら思った。この世のものではないような浄土庭園よりも、むしろ住宅街からちょっと離れたこの並木道あたりのほうが、世俗と仙境の間で右往左往しつつ自由な生活を守った兼好に似つかわしい、と。
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