「源氏物語」を捨てて葛飾柴又へ | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

「源氏物語」を捨てて葛飾柴又へ

 「源氏物語」に対する思いは、男女差があるかもしれない。ずばり「ハマる」のは女性が多そうだ。「源氏」に関する書籍の著者数をamazonで見ていくと男女差は感じられないが、男性が文学批評的に、はたまた日本人論的になりがちなのに対して、女性は「源氏」の世界観のすばらしさをシェアしたい、というような傾向を感じる。男性の場合、同じ男性の光源氏のスペックがあまりにも完璧に見えるため、そのような人物が何十人もの女性に手を出すことにコンプレックスを抱くか、または「絵空事」と一笑に付すからなのだろうか。

 しかし昭和の日本の銀幕には源氏と同じく何十人もの女性と恋をしても満足できる結果に至らなかったが、老若男女問わず愛されるキャラクターが存在した。他でもない、寅さんである。「源氏」を捨てて、京成線で柴又に向かった。寅さんが旅に出るシーンで何度も見た柴又駅を出ると、トランクをさげて、帽子に背広に雪駄履きの斜に構えた寅さんの銅像が迎えてくれた。両側に団子屋や食堂が建ち並ぶ帝釈天の参道を歩きながら思った。一見源氏と寅さんは真逆のキャラクターに思える。財力に政治力に顔に、教養に、共通点は見られない。第一出自が全く違う。そして両作品のテーマとなる女性関係も全く異なる。

寅さんは好きになっても絶対アプローチしない。恋に発展する前に様々な行き違いか勘違いからはかない片思いに終わる。仮に源氏が「光」を放つ太陽に例えるなら、数々の女性たちは水金地火木土天海冥のようにぐるぐるとその周りをまわっているようだ。読者は太陽に照らされた惑星(=女性)を物語の中心に据えていて、源氏の存在感は相対的に小さい。対して寅さんは太陽(女性)の周りを公転する「地球」のようだが、その寅さんの周りをまわって見守る「月」のような女性が少なくとも三人いる。柴又のおばちゃんと、妹のさくら、そして圧倒的な存在感をもつマドンナ、天涯孤独の場末の歌手、リリーである。

しばらくすると、寅さんやさくらさんがよくお参りに行く帝釈天に着いた。ここはロケ地であるだけでなく、彫刻ギャラリーの生き生きした透かし彫りや、四季折々の美が楽しめる池泉回遊式庭園など、見どころも少なくない。「美」といえば、それぞれの作品が帯びる「美意識」も異なる。ここの庭のように、春夏秋冬の自然が移ろいゆくはかなさに心動かされる「あはれ」が「源氏」に通底する美意識とするならば、寅さんの美意識は「一宿一飯の恩義」、「旅は道連れ世は情け」など、義理人情をベースにした「粋」で「いなせ」な態度である。

帝釈天を出て、葛飾柴又寅さん記念館に向かった。本当にこの二つの作品に共通点がないか、ヒントを探ってみる。源氏が女性の心をつかむ理由は、家柄はもちろんのこと、状況に応じた和歌が詠めることにもある。寅さんは、和歌は詠めないが、テキ屋の口上をよどみなく述べられる。考古学者のインテリ女性に対して「数の始まりが一なら国の始まりは淡路島、泥棒の始まりは石川五右衛門…」など、口上を続けては女性を爆笑させる。空気を読みつつ和歌をコミュニケーションツールとしていた源氏と互角ではないか。

また、両人とも母の幻影に悩む。三歳の頃、母親の桐壺に死なれた源氏は、後に母に生き写しと言われた藤壺や、その姪の紫上を求めるようになる。母の死が正常とは言えない女性遍歴に影響を与えたようだ。一方寅さんは芸者の子で、少年時代に母の面影が恋しく、一度会ったことはあるようだが、自分を捨てた生みの母よりも育ての母の愛を選んだ。大人になってから再会せんと尋ねに行くが、母親の態度に失望し、深く傷ついた。とはいえ母の面影を求めた女性遍歴に走ったわけではない。寅さんのほうが社会的に「まとも」かもしれない。

なお「源氏物語」全五十四帖の最後の十帖は、源氏の子や孫が主人公になるのに対し、50作近い「男はつらいよ」シリーズも、最後の二割は寅さんよりも甥の満男の恋愛が中心になる。渥美清氏の体調のこともあるだろうが、山田監督が「源氏」に倣ったのかもしれない。

記念館を出ると、木造家屋が密集する柴又から、急に広々とした空間に出た。「寅さん」のオープニングでいつも出てくる江戸川の河川敷だ。急に土手をあの世の源氏が寅さんと歩いている光景を想像してみた。「私のほうこそ『男はつらいよ』というタイトルがふさわしい。」と源氏がぼやくと、相手が天皇の子であれ誰であれ、「こいつぁ驚き桃の木山椒の木!たいしたもんだよカエルの小便、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし、ときたもんだ!」と威勢よく啖呵を切る寅さんを想像した。意外に二人は気が合うのかもしれない。「源氏物語」にかぎらず、ある作品について考えるとき、あえて関連する土地を離れて共通点のある場所を歩くと、意外な発見があるものだ。