「風姿花伝」とともに歩く日本列島③「能面のような表情?」東京国立博物館 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

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2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

「風姿花伝」とともに歩く日本列島③東京国立博物館の能面

 日本最大の博物館だけあって、上野の東博には能楽に関する展示もある。7世紀前後の日本において文化の担い手は朝鮮半島や中国大陸からの渡来人が中心だった。彼らのもたらす文化がいかにこの列島の人々に夢を与え、憧れの対象となったかは想像に難くない。法隆寺館の一階には飛鳥時代から白鳳時代にかけての仏像が並ぶが、土偶や埴輪ぐらいしか見たことのない人々がこれらの金銅仏を見たときの衝撃はいかほどのものだったろうか。

 法隆寺館二階に上がるとそのころ伝来した「()楽面(がくめん)」という能楽のルーツとなったものが時おり展示されている。目がくぼみ、鼻が高いこれらの面は、シルクロードを通って唐の都長安にやってきたであろう「胡人」にそっくりである。表情豊かなウイグル人を思わせるこの面のモデルとなった彼らは、世界一の国際都市、長安において芸能人としても活躍したのだろう。そしてこの国の権力者たちは、例えば東大寺大仏の開眼供養の際にも伎楽面をつけた人々に言祝(ことほ)ぎの舞を舞わせたという。

 飛鳥時代の渡来人に、秦の始皇帝の末裔とされる秦氏がある。京都の太秦(うづまさ)を拠点とした彼らも大陸から歌舞だけでなく、手品や物まね、曲芸なども含む「散楽」をもたらしたという。そして約800年後の子孫がそれらのうち俗なものを取り除き、格式高い「能」として大成させた人物が観阿弥であるという。

 東博本館には、能楽の衣装や能面がしばしば展示されているが、ここで見る能面には違和感がある。特に能舞台を直接見てからはそのように感じる。近代ミュージアムの展示の仕方で「ホワイトキューブ」という概念がある。1929年にニューヨークで開かれた近代美術館(MoMA)が、作品鑑賞の際、余分なものが目に入らないように真っ白な壁と天井の四角い部屋に間隔をあけて展示するようにしたこのスタイルが、後に世界中に広がり、特に公立博物館の展示法のスタンダードとなったが、この「ホワイトキューブ」を日本で最初期に導入したのもこの東博本館である。

 しかし能面をホワイトキューブに展示するのはいただけない。あれは能楽師が着用してこそ活きた面になるのだ。喜怒哀楽がはっきりしない表情を、よく「能面のような顔」と表現するが、実際に能楽師が面をつけると、わずか数センチ顔を動かすだけでかすかな憂い哀しみや喜びが表れる。しかるに顔からはぎ取って壁に掛けられた面は、あの微妙な表情の変化が失われている。試しに面の前に立って背伸びしたり膝を少しかがめたりすると、面の表情に多少の変化はみられるものの、やはり檜舞台の上で見るあのハッとするような心の動きはない。

 舞台では時に、能楽師が無言のまま箱から面をとりだし、押し頂いてから面をつける行為を客の前で見せることがある。準備の段階を客に見せる演劇が他にあるか、浅学にして知らないが、例えば歌舞伎の隈取を客の前で施すだろうか?仮面劇において面の下を見せるということは、あったとしても作品の最後であろう。ただ、能楽師が衆人環視のもとで面をつけるのは、自らの姿を偽るための「仮面」ではない。面をつけてこそ本物の役に同一化できるという意味では、素顔のままのほうが「仮の姿」である。このような意味で、能面はあえて言うならば「仮面」ではなく「真面」なのだ。

 さらに言うならば能の衣装に身を包み、あの舞台に立ち、地謡(じうたい)の低いうなりや、囃子方(はやしがた)の笛太鼓が響いてこそ、本当の意味であの面が生きかえるのだ。事実上のグローバルスタンダードになったホワイトキューブの「舞台」では、魅力がそがれるのが能である。たかだか一世紀の間に普及したこの「舞台」の未熟さを静かに語るのが東博の能面なのかもしれない。

 

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