日本アルプスと日本ラインと日本ロマンチック街道① | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

日本アルプスと日本ラインと日本ロマンチック街道①

 五月末日、上野発の北陸新幹線「あさま」で富山県を目指した。最速の「かがやき」ではなく、「あさま」に乗車したのは、このたびのツアーが42名の乗客の内、恐らく9割は高齢者という大衆向けの団体旅行だったからだ。

あさまは群馬県から長野県の軽井沢に入り、上田駅で下車し、バスに乗った。浅間山の麓に広がる高原のリゾート地軽井沢から真田氏の城下町上田は「日本ロマンチック街道」の一部である。本来「ロマンチック街道」というのはドイツからオーストリアにかけての歴史と自然美を誇る街道であるが、日本の北関東から信州にかけての三百数十キロの光景をそれに例えるという精神構造は実にユニークだ。

これは長崎の佐世保にオランダの町を模したテーマパーク兼リゾート地「ハウステンボス」や、沖縄の米軍基地周辺を「日本のアメリカ」と例えること、また横浜の中華街、神戸の南京町を形成するのとは根本的に異なる。ハウステンボスはあくまで資本家によるテーマパークであり、米軍基地は政治的、軍事的空間であり、中華街は在日外国人がその生活を営む場である。そしていずれもその規模がロマンチック街道とは比較にならぬほど小さい。

それにしても信州周辺にはこのような既存の風景を欧州に例えるケースが少なくない。例えば木曽川下流の岐阜県から愛知県犬山にかけては、スイスやドイツ、オランダなどを流れるライン川に似ているとして大正時代の地理学者、志賀(しが)重昂(しげたか)によって「日本ライン」と命名された。さらにこの「ライン下り」は原義を離れて「川下り」の代名詞にもなり、最上川、鬼怒川、長瀞(ながとろ)、隅田川、富士川、天竜川など、なぜか東日本に集中して命名されている。

日本の自然を欧州に見立てた最大の例は「日本アルプス」だろう。北から飛騨山脈を北アルプス、木曽山脈を中央アルプス、赤石山脈を南アルプスと呼ぶことに、私は当初恥ずかしさを感じた。本場のアルプスを見たことはないのだが、どうせスイス人が見たら噴飯ものだろうと感じたからだ。

初めて「アルプス」に登ったのは中央アルプス駒ヶ岳だった。氷河期の地形、千畳敷圏谷(カール)が残るこの山に、バスに30分ほど揺られ、7.8分間ロープウェイを乗り継いで登ったのは8月末の初秋のことだった。標高850mの菅の台バスセンターではポロシャツでちょうど良いくらいだったが、1時間後に標高2612mの駒ヶ岳ロープウェイ駅に着いたときには寒さに震えた。が、体を動かして暖まろうとして外に出ると、まさにイメージの中のアルプスの花畑だった。私のイメージのアルプスとは、往年のアニメ「アルプスの少女ハイジ」であったが、千畳敷カールはまさにハイジが、ペーターが、クララが遊んでいそうな雰囲気だった。

そんなことを思い出しながらも、バスは北アルプスの東、白馬村を走っていた。山々の稜線が実に「アルプス」である。「日本離れした」地形や稜線に、関東や関西ではあまりみられない針葉樹林帯がアルプスを思わせる。この村は、現在特に冬期にはオーストラリアや東南アジアなどからのスキー客であふれるというが、ホテルもスイスの山小屋風の所が多い。地形+樹木+建造物がアルプスらしさを醸し出す。私はこれらの「アルプス」という呼称を亜流とは思わなくなってきた。「日本アルプス」に感覚が麻痺してきたのだろう。

 

お知らせ

9月6日から二次面接対策の無料体験受講およびガイダンスを行います。(英語・中国語・韓国語中心)

詳細はこちらまで。