富士登山と高山病 | ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

 

 

富士登山 その1

八月末に家内とともに富士山に向かった。新宿駅を7時に出発したツアーバスは10時過ぎに富士スバルライン口の五合目に到着した。夏とはいえ、標高2300m以上の五合目は肌寒く、私はウィンドブレーカーを羽織った。周りを埋め尽くすのは、登山ファッションの山男、山ガールでなければ軽装でカメラを持った中国人観光客だった。

食事をして、2300mの高山に体をならしてから正午過ぎに山に登り始めた。その日に集まったばかりの43名の即席登山隊は、二十代の山岳ガイドさんによって「チームペヤング」と名付けられた。脱力するようだが、これから繰り広げられるきつい登山時には一体感がわいていい。

六合目までは比較的なだらかな道だったが、家内は胃の調子が悪いようだった。ガイドさんは六号目あたりで、「七合目まで行けば山小屋があるので、そこまで行っても体調が悪ければ七号目で宿泊して下山したほうがいい」と言われた。一方、家内は七合目からかなり調子が戻り、肉体的な疲労はあっても胃痛はおさまったようだ。

富士山は遠くから見ると綺麗だが、登ろうとすると殺風景なまでに赤茶けた斜面が続くだけだ。山小屋の並ぶ様子は、行ったことはないのだがどこかチベットに似ている。そこを疲労困憊しながらもただ黙々と登った。時々疲れると「チームペヤング」の仲間たちやガイドさんと世間話をする。そして数十分おきの休み時間にチョコレートを食べてエネルギー補給するのが何よりもの楽しみだ。

日が暮れようとする午後六時すぎ、とうとう目的地の山小屋「ホテル富士山」に到着する。ホテルとは言っても名ばかりで、実態は一人あたり半畳ほどのスペースに、シュラフにくるまって寝るだけである。しかしここは避難所であるので文句は言えない。夕食は予想通り具のないカレーライスに冷凍ハンバーグとウィンナー炒めだ。しかし山小屋で食べるものはなんでもうまい。一日の疲れのため、夜七時過ぎには寝てしまった。

途中何度か起きたものの、深夜一時に起こされ、頂上でご来光を拝むために出発した。家内は高山病的な症状があったので、無理はさせず部屋で休ませた。

一時半に出発して二時間あまり、高山病にならぬよう深呼吸をしつつ、また肩を回して血流をよくしつつ、ただただ登った。真っ暗闇ではあるが、前日に比べると楽な感じがした。途中、満天の星空の下、休憩した。ガイドさんの案で、全員ライトを消した。すると頭上にあるのは私がこれまで日本で一度も見たこともない程の星空だった。同時にこのガイドさんの素晴らしい演出に実に頭が下がった。

午前三時半を過ぎたころ、とうとう山頂についた。五時に下山するまで、自由時間となった。山頂には神社がある。こんな高いところまで、日本人は神社を作って拝むのを忘れない。山頂の気温は五、六度。吐く息も白い。私は山小屋に入ってサッポロ一番味噌ラーメンを頼んだ。900円という法外な値だが、暖をとるためには仕方ない。それでも山小屋の食堂はラーメンやうどんをすする人で満員だった。夏の二ヶ月限定とは言え、ラーメン大国の日本で、こんなもので商売になるのだから、世の中わからないものだ。(続く)