豊後の「地獄」と「極楽」
別府は湯けむり漂う風情の、いわゆる「温泉街」というよりも、いたるところに温泉が湧き、もうもうと立ち込める水蒸気によって、平地を見下ろす鶴見岳まで見えなくなるほどの大規模な「温泉都市」である。実は別府温泉というのは「別府八湯」の総称で、その中で別府駅から海岸に向かうエリアが本来の「別府温泉」であり、市内にはその他の七湯どころか、2217もの源泉を持つという。投宿したのは別府タワーに隣接するホテル芳泉鶴である。瀬戸内海の眺望が楽しめる屋上の露天風呂は、海沿いだけあってしょっぱい塩化物泉で、源泉かけ流しであることはいうまでもない。旅の疲れも癒され、極楽気分である。
翌日は鎌倉時代に踊念仏によって極楽浄土に往生できることを説いた一遍上人により発見されたという、温泉街の雰囲気あふれる鉄輪(かんなわ)温泉にほど近い「地獄めぐり」に行ってみた。各種成分が混ざって赤や青、白などの色をした池がゴボゴボと湧き上がるのを「地獄」と見立てる趣向だが、長崎県雲仙にも「雲仙地獄」が、信州には「地獄谷温泉」等があることを知るにつけ、日本人というのは温泉に浸かって「極楽、極楽」と喜びつつ、翌日は温泉街の「地獄」を見て楽しむ、矛盾する民族なのかと思わないではいられない。
その後国東半島と宇佐市を訪問した。「宇佐神宮」ともいう宇佐八幡宮。「八幡神」とは、①渡来神、②国家仏教の守護神、③体制の守護神、④戦の神といった様々な面を持つが、根本は道教神ではなかろうか。宇佐八幡宮でまず目につくのは丹青がはっきりとコントラストをなしている唐風の配色である。また、屋根を見ると他の神社には必ずある鰹木も千木もない。そして二つの社殿がM型に重なる八幡造など、「日本離れ」した様式は秦氏が大陸からもたらしたものに違いない。神道の特徴を二つ挙げるなら、外来の神を受け入れ、守備範囲が細やかな多神教であるから、このようなスタイルも可能なのだ。ちなみにここと出雲大社と越後の弥彦神社では、拝むとき「二礼二拍手一礼」ではなく、さらに畏敬の念をこめて四回拍手(かしわで)を打つ。
その後、宇佐八幡宮を守るものとして国東半島の岩肌には熊野磨崖仏が彫られ、富貴寺大堂のような極彩色の極楽浄土をイメージした建造を建てたりもした。石仏群というと、雲崗石窟や敦煌の莫高窟、洛陽の龍門石窟など、本来は乾燥地帯のものを連想するが、国東半島の石仏は苔むしていて湿潤さが感じられる。そしてシルクロードのものに比べると小さいだけでなく、表情が稚拙でありながらも柔和で見ていて癒される。東大寺大仏などの国家仏教は宇佐八幡宮という神道の神社によって護られ、その八幡宮は富貴寺や熊野摩崖仏といった仏教施設によって護られ、摩崖仏の入口には神道の鳥居を置く。「護り護られ」の関係がここまで宗教的対立をこえて行われるのは見ていてほほえましい。
このように熊野摩崖仏は仏教文化というより神仏習合の好例である。つまり九州には古来より高千穂の天岩戸や宗像の沖ノ島など、随所に岩に霊性を感じて崇める磐座信仰があった。それに従い仏の姿を彫った岩を拝むことで仏教が広めていったのではなかろうか。
巨大な温泉都市、別府には「地獄」が沸きあがっているが、その北には寺社と石仏群による「極楽浄土」が再現されている。地獄と極楽が正に表裏一体なのが豊後なのである。
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