ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

ブラタカタ・・・通訳案内士試験に出題された場所の旅道中

2007年以降、300人以上の通訳案内士を養成してきた通訳案内士試験道場の高田直志です。案内士試験に出題された場所を津々浦々歩いたときの旅日記です。案内士試験受験生は勉強に疲れた時の読み物として、合格者はガイディングのネタとしてお読みください。

zoomで通訳案内士試験道場 2020年度コース無料体験開講!

以下の通り、2020年度コースの無料体験を行います。(各2時間)

地理:木曜19時半~21時半または日曜15時10分~17時10分


歴史:土曜13時~15時または日曜13時~15時

一般常識:金曜19時半~21時半または土曜10時~12時

実務:金曜10時~12時または土曜15時10分~17時10分



実務を除いて宿題も少なくなく、またゼミ形式で発表していただきますので、準備時間が必要です。
ご体験前に無料会議システムzoomの設定をお願いいたします。(テストコール承ります。)
お申し込みは こちらまで。
Amebaでブログを始めよう!

弱肉強食の資本主義社会

富山からも個人や法人に金を貸し付け、商品として流通させ、現金が戻ってきたら利子とともに返してもらう金融機関が生まれた。かつて四大財閥に名を連ねた安田財閥である。バブル経済の崩壊後、グローバル化に対応しきれなかったためか安田財閥は急速に傾き、三井、三菱、住友各財閥に比べるとその存在が地味にも思える。が、その中核の安田銀行は戦後富士銀行となり、2000年にはみずほ銀行に参加して現在に至る。

マルクスは資本家同士の競争についてこう述べる。

資本の集積の過程には、資本家間の競争がある。大きな資本は小さな資本に勝つ。競争は常に小さな資本家の没落に終わり、その一部はなくなって、残りは勝者のものになる。大勢の資本家の資本が、ひとりのもとへ集まると、それは強力な資本になる。この集中は資本家の活動の規模を増大させることで、自分の使命を完了する。(1-25)

結局安田財閥の富士銀行はみずほ銀行に吸収されたのがまさにこの言葉を表している。しかし安田財閥は弱肉強食の資本主義社会における単なる負け組なのか?創業者の生き方を見ていくと、そうとも言い切れないことが分かってきた。

個人資産が国家予算の八分の一!?

安田財閥創始者の安田善次郎は、世界のマルクスの説を覆すような経営を行った。彼の家は半農半商の家系だったが、小金をためて武士の籍を買った「名ばかり武士」だった。そんな家庭で1838年に富山城下に生まれたのが善次郎だった。

少年時代の彼は藩がカネを貸してくれる大坂の商人を接待しているのを見た。士農工商という厳格な身分制度があったにもかかわらず、トップがボトムを接待する。要するに世の中カネだ、と思った彼は、江戸に出て商いを始めた。どうやら一時はギャンブルに走ったが、足を洗ってまっとうな両替商の道を歩むことにしたらしい。

明治初期に江戸時代の両、分、朱から十新法の新しい円、銭、厘に統一する「新貨条例」が出されたが、先行き不透明な新政府の出した貨幣を人々は信用せず、新貨は暴落した。しかし新政府の将来を確信した安田はそれを大量に買い込むと、後に新貨が急上昇したため、一財を築いた。これが「銀行王」の異名を持つ安田善次郎の始まりである。

彼は関西大手の百三十銀行をはじめとする数多くの破綻寸前の銀行を買収していった。破綻寸前の銀行を買収するというのは並大抵のリスクではないが、銀行がつぶれれば社会への影響が大きい。銀行買収といっても公益の損失をおさえるためである。

ただ彼はせっせと金をため込むだけではない。その使い方にこだわった。死亡時の個人資産は国家予算のなんと八分の一。今でいえば十数兆円である。これだけ蓄財しても、死ぬまで金儲けのことを考えていた。それは世の中のために有用な財政投融資を行うためであり、また日清・日露戦争等の時に出された国債を買い上げるためであった。

 

質素倹約で陰徳を積む

彼のモットーは「陰徳を積む」ことだった。善行は人に褒められたくてやるものではない、という彼の信念から、日比谷公会堂や東大安田講堂等を寄贈したが、生前は匿名だった。それでいて生活は質素そのもので、朝食は味噌汁と漬物だけ。茶人でありながら業務上の客には菓子は出さず、茶も一杯だけと、倹約に務めていた。逆に言えばそうして貯めたカネを財政投融資に回し、国債の購入に使ったのだ。カネは作るのは難しいが意味あることに使うのはもっと難しいのだ。

 しかし世間からの評判はすこぶる悪く、金をしこたま稼いで使わない「ケチ」「守銭奴」と誤解されていた。ついに1921年、神奈川県大磯の別荘に、弁護士を名乗る右翼の男に押し入られ、刺殺された。朝日平吾と名乗る佐賀県出身のこの男は、殺害直後に自殺したが、「決起」の理由をこのようにしたためている。

奸富安田善次郎巨富ヲ作(ナ)ストイエドモ富豪ノ責任ヲハタサズ、国家社会ヲ無視シ貪欲卑吝ニシテ民衆ノ怨府タルヤ久シ。予ソノ頑迷ヲ愍(アワレ)ミ仏心慈言ヲモッテ訓(オシ)ウルトイエドモ改悟セズ。ヨッテ天誅ヲ加エ世ノ警メトナス。

 つまり「こいつは大富豪でありながら世の中のことよりカネをため込むしか能がない奴だ。金持ちとしての務めを果たさぬこの男に民は怒っている。なんど言っても聞く耳を持たないので、天に替わって成敗してくれる。」というのだ。安田がいかに世のために金を使って陰徳を施してきたか知らない朝日の誤解に基づく犯行だった。

 

コクヨ、YKK,ニューオータニ…

 彼の死後、安田銀行(戦後は富士銀行)は1923年から71年まで日本最大の資金量を誇り、激動の時代を金銭面で支えた。そしてその礎を一代で築いたのが善次郎だった。富山駅前の明治安田生命ビル内には彼を顕彰した記念室がある。立地条件は最高ではあるが訪れる人は少ないようだ。むしろ世界的には彼よりもひ孫のオノヨーコのほうが有名だろう。しかしそれこそ裏方に徹する陰の立役者だった彼らしいといってよい。

 そのほか富山からは「越中」を由来とするコクヨ、世界のファスナーの半分近くを生産する吉田工業株式会社の頭文字をとったYKK、その名も「オロチ」など、個性的なスーパーカーで熱狂的なファンを全国に持つ光岡自動車など、数多くのモノづくりの企業だけでなく、日本を代表するホテル、ニューオータニの創業者など、一流企業が少なくないが、稼いだカネを世のために使うことを前提にする経営者が目立つ。

 思えば金沢でも砂金を惜しみなく人々に分け与えたという「金城麗澤」伝説の男がいた。能登にも輪島塗の塗師屋が不況で苦しんでいるときに仕事を与えるために我が家の蔵を輪島塗にする大地主がいた。所得再分配を自ら行う富裕層がいたのも、稼いだ金をお布施としてさし出す真宗門徒の伝統なのだろう。私はそこに、現行の「悪しき資本主義」を是正するためのヒントを見た。自ら公益のために寄付をすれば今以上のメリットがでてくる社会システムを構築する時期に来ているように思えるのだ。

「金は一年 土地は万年」のムシロ旗

 「資本論」の「超訳」を片手に何度か北国を歩いた。北海道では明治以降のむき出しの資本主義―すなわち先住民族アイヌ人や労働者の搾取により肥え太った資本家の姿を糾弾した小林多喜二の「蟹工船」の舞台を歩いた。貨幣経済の原点ともいえる、大量のゴールドが掘られ、交換価値を主にするゴールドがなぜ人々の心を奪うか、権利まで奪ったかを見てきた。

 北陸でも加賀前田藩にみられる輪島塗、金箔、加賀友禅、九谷焼等、殖産興業という名の資本主義社会を見た。それと同時に近代においては資本主義社会のもたらしたいびつさに対して立ち上がる民衆も見てきた。それが大正時代の米騒動であり、戦後のイタイイタイ病裁判である。

 旅の途中、金沢市の北側に隣接する内灘に寄った。資本主義経済の矛盾がもたらしたといえる朝鮮戦争前後、ここの砂浜周辺が米軍の砲弾試射場として提供されたことに対し、地元の民衆が立ち上がり、「内灘闘争」を起こした現場である。そして今なお米軍のトーチカのようなものが残されている。地元の歴史民俗資料館「風と砂の館」では、当時のデモ隊が掲げていたムシロ旗が展示されている。そこには「金は一年 土地は万年」と大書してある。

 「これだ!」と思った。「資本論」の批判する資本主義社会への対抗策は、土地、すなわち自然環境と住環境を維持することなのだ。その後、平地の極めて少ない能登半島で世界農業遺産として登録されている白米千枚田(しろよねせんまいだ)を見てこの狭い棚田で腰を曲げながら田植えや稲刈りをしなければならない人々のことを思った。なぜそこまでするのか。「土地は万年」だからだ。

米騒動やイタイイタイ病裁判で人々が立ち上がるのも、自然環境と住環境からなる土地を守らんがためである。そして北陸の人々の間で根強い、領主の奴隷ではない自分たちが自由と健康な暮らしを求めて立ち上がるのは正当の権利であるという、おそらく一向一揆時代から培われてきた精神が根付いている。むき出しの資本主義に対する民衆の在り方のヒントも、北陸の地にあるように思えてならない。(了) 

 

PR

①    二次面接って??? 無料ガイダンス+体験講座 9月上旬開始

9月初旬に二次面接とはどんなものか、そしてどんな対策が必要か、さらに間違った学習法まで一気に解説し、実際に二次面接に必要なスピーチや通訳を、過去問題を参考に行います。合格率の高さだけでなく、本当に身に就く学びをご体験ください。

http://guideshiken.info/ (最新情報その1)

 

②  英中韓難訳講座「日本のこころ」

以下の日時で本文の難訳部分を英中韓国語に訳す講座を以下の通り行います。
初回無料ですのでぜひご体験下さいませ。

9月5日
9月12日
9月19日

すべて月曜日夜19時半から二時間、難訳の他に二次面接スタイルのスピーチや即興の通訳にもチャレンジしていただきます。

事前にこちらからご登録ください。
https://secure02.red.shared-server.net/www.guideshiken.info/?page_id=109

③オンラインサロン「ジモティに聞け!」

―地理・歴史・一般常識はzoomで楽しもう!
9月の毎週木曜午後10時から、各都道府県出身または滞在歴のある案内士試験受験者に、地元を紹介していただきます!楽しみながら学べるこのオンラインサロン、ぜひご参加ください。

パーソナリティ:英中韓通訳案内士 高田直志
日時:毎週木曜と日曜の22時から23時00分(無料)
視聴・参加するには…
対象:通訳案内士試験を受験される、または本試験に関心のある全ての方。
事前にこちらからご登録ください。(登録・視聴は無料です。)
https://secure02.red.shared-server.net/www.guideshiken.info/?page_id=109

 

 

富山の薬売り

私が富山を身近に感じたのは、小学校のころ時々薬を持ってくるおじさんがやってきて、畳の上で薬の計算をし、終わると紙風船をくれたときだ。半年に一度やってくるおじさんが越中富山の人だと分かったのはおそらく中学校に入ってからだろう。山陰の農村部では、まだ当時このようにして薬をあずかり、使った分だけ後払いにする「先用後利」という世にもまれな「信用経済」が浸透していた。このビジネスモデルの特異さは、マルクスのこのくだりを読めば実感できる。

労働力という商品の使用価値は、それを買った後に使わなければ生み出されない。購買者が労働力を買うことと、それを使用することは、時間的に分離されている。従って給料は、契約上の時間の労働が行われた後に、支払われるのが普通だ。だから、資本家はお金を支払う前に労働者の労働力を先に使い、労働者の労働力は、労働者がお金を受け取る前に使われるようになる。(1-6)

マルクスは労働者のもつ「労働力という商品」が資本家にとって「先用後利」だというが、富山商人は薬をまるで労働者のように「先用後利」で流通させたのである。薬を置いた家が半年後もあるかどうかわからない。持ち逃げされるかもしれない。その見極めができる目利きであること、そして根本的に知らぬ人でもとりあえず信じなければならないこと。それで堅実な利益を得てきたのだ。

富山の川のもたらしたもの

 富山市内には隈研吾設計のガラス美術館がある。薬品の容器に必要なガラス製品も地場産業として発達したためだ。立山の氷をイメージした強化ガラスが何十本も垂れ下がったような特徴的な外観。内部は広々とした吹き抜けだが、壁は県産の杉があしらわれており、大きな天窓から光が差し込む。巨大な薬のガラス瓶の中にいるかのようで楽しい。 

 金沢とは違う意味の豊かさを感じるが、富山藩はもとから豊かだったというわけではない。左手を開いて机の上に広げてみよう。手首が立山だ。小指が白川郷や五箇山からチューリップで知られる砺波平野を流れてくる庄川。薬指が富山平野を流れる神通川。中指が立山・称名滝から流れる常願寺川、そして人差し指が黒部湖からトロッコ路線や宇奈月温泉などの脇を流れる黒部川、そして右側を向いている親指は北アルプスから長野県に流れる梓川である。県外の梓川はともかく、越中がいかに暴れ川に悩まされるかわかるだろう。

 しかし立山のもたらす純水は薬を作るのに最適だった。あふれんばかりの水は農業用水だけでなく水車で薬種を粉々にするのにも使われた。富山はもともと豊かだったのではなく、度重なる水害と積雪に悩まされる貧しい国を、人力で「富の山」に変えたというのが妥当だろう。もともと豊かならば元禄時代から薬売りをしなくて済んだはずだ。ただ、努力や才覚をひけらかすのではなく、分かってくれる人が分かってくれればそれでいいという控えめな県民性なのだろう。

 

モノ→カネ→モノだけではない富山商人

彼らが全国にネットワークを広げられた戦略の一つに、立山信仰の伝道師「御師(おし)」が全国に布教の旅に出るついでに薬を持ってお供したことが挙げられる。霊験あらたかな立山のありがたみが後光をさし、諸国でも売れたことだろう。ちなみに真宗は阿弥陀如来に帰依するが、立山権現の正体も阿弥陀如来だと信じられている。薬売りたちも「人を助ける薬を広めるのは仏の道」と考えたに違いない。

 しかしそのような宗教を利用した「コバンザメ商法」が数百年も続くわけがない。先用後利で築く信用、高い品質、帳簿をデーターベースとしたマーケティング、厳密な損益計算など、手堅くビジネスの基本を押さえていたからの発展だ。ただビジネスチャンスに合わせて拠点を次々に変えて展開する近江商人、伊勢商人らのグローバルビジネスと異なり、富山商人は地元密着型で、外に出ても必ず戻ってくる傾向が強い。手堅く小銭をかき集める富山商人のスタイルは、「資本論」とはどうも合わないように思えるが、

マルクスはこう述べる。 

「商品→お金→商品」という流通は、ある商品から始まり、ある商品に至って終わる。 そしてその商品は消費され、流通から外れてしまう。この流通の最終目的は消費なのだ。 つまり、使用価値がこの流通の目的である。

富山商人たちは薬を各地で現金化し、現金のまま国元に戻ることもあったろうが、しばしばその金で顧客の国の特産を買うこともあった。この意味ではマルクスの言う通り、「モノ→カネ→モノ」の連鎖だ。

しかし例えば他藩で薬が大量に売れたせいでその藩が赤字になりそうなら、その藩のモノを購入してトントンにした。独り勝ちしないのだ。これがサステイナブルなビジネスの在り方だったのだろう。さらに自分たちの暮らしは質素倹約を心掛けておきながら、儲けた金は藩へ献金したり、真宗寺院に寄進したりすることで公益を重んじるのだ。 

カネ→モノ→カネの金融

富山市に岩瀬という北前船の寄港地として栄えた港町があり、森家、旧馬場家等の廻船問屋の建物が一般公開されている。江戸時代には蝦夷地の昆布などを富山に持ち込み、富山のコメなどを蝦夷地に運んだ。この「ノコギリ商法」という往復で確実に富を築き上げたのだ。農村地帯では今でも富山の薬売りに来てもらう家が少なくないようだが、商品を持っていくこと、つまり運送について、マルクスはこう述べている。

商品の使用価値は、それが消費されるときに現れる。そのためには場所の変化が必要だから、「運送」という追加の生産過程が必要になる。従って運送業で投下された生産資本は、生産物に価値を加える。(2-6)

そしてこの「薬→カネ→特産物」という流れは、結局各地の病人が薬を服用し、富山の人々が各地の特産物を消費することで経済を回している。

ところが逆の流通もある。金融がそれだ。                     

逆に、「お金→商品→お金」という流通はお金から出発し、最後にはお金に戻る。だからこの流通の目的と、それを起こす原動力は、交換価値それ自体である

 

金融とは…寄生虫なのか?

 薬品などのモノづくりを行う会社が「モノ→カネ→モノ」で循環し、結局消費者はモノを消費することになる。薬は服用してこそ意味があり、大切に取っておいても「宝の持ち腐れ」だ。それに対して「カネ→モノ→カネ」で循環させる銀行などの金融機関は、カネの流れそのものに意味がある。カネは使ってこそ意味があり、大切に取っておいてもやはり「宝の持ち腐れ」だ。だがマルクスは「信用制度」、すなわち金融システムに関して警鐘を鳴らしている。

信用制度は、国立銀行や、それをとりまく金貸し業者と高利貸し業者を中心とする、巨大な規模で集中された制度である。それは、この寄生階級に産業資本家を周期的に破滅させる力を与えるだけではなく、最も危険な方法で現実の精査に干渉させることになる。だが、この輩は生産について何も知らないし、生産とまったく関係がない。(3-33)

つまり、金融屋などというものはモノの一つも作り出せず、現場もろくろく知らないくせに、商売を始める者にカネを貸し、たかる寄生虫のような存在だという。そのくせ彼らは商売人を生かすも殺すも彼ら次第というのだ。(続)

 

PR

①    二次面接って??? 無料ガイダンス+体験講座 9月上旬開始

9月初旬に二次面接とはどんなものか、そしてどんな対策が必要か、さらに間違った学習法まで一気に解説し、実際に二次面接に必要なスピーチや通訳を、過去問題を参考に行います。合格率の高さだけでなく、本当に身に就く学びをご体験ください。

http://guideshiken.info/ (最新情報その1)

 

②  英中韓難訳講座「日本のこころ」

以下の日時で本文の難訳部分を英中韓国語に訳す講座を以下の通り行います。
初回無料ですのでぜひご体験下さいませ。

9月5日
9月12日
9月19日

すべて月曜日夜19時半から二時間、難訳の他に二次面接スタイルのスピーチや即興の通訳にもチャレンジしていただきます。

事前にこちらからご登録ください。
https://secure02.red.shared-server.net/www.guideshiken.info/?page_id=109

③オンラインサロン「ジモティに聞け!」

―地理・歴史・一般常識はzoomで楽しもう!
9月の毎週木曜午後10時から、各都道府県出身または滞在歴のある案内士試験受験者に、地元を紹介していただきます!楽しみながら学べるこのオンラインサロン、ぜひご参加ください。

パーソナリティ:英中韓通訳案内士 高田直志
日時:毎週木曜と日曜の22時から23時00分(無料)
視聴・参加するには…
対象:通訳案内士試験を受験される、または本試験に関心のある全ての方。
事前にこちらからご登録ください。(登録・視聴は無料です。)
https://secure02.red.shared-server.net/www.guideshiken.info/?page_id=109

 

イタイイタイ病―「資本論」の中の環境保護

 越中は河川氾濫がひどく、暴れ川が集中している。実は明治初期、越中と越前は石川県に組み込まれていたが、この「大石川県」の県庁所在地、金沢の役人は越中のもつこの「急流銀座」の深刻さに無頓着だったこともあり、改めて富山県として分離独立することになったほどだという。治水工事がいかに富山県で大切かが分かる事例だが、それとは別に「公害」という不名誉なイメージで知られてしまったのが、飛騨から富山湾に流れる神通川である。

 上流には三井系の神岡鉱山が亜鉛を掘る際、1910年代から半世紀以上にわたって鉱毒を流し続けた。その結果40㎞ほど下流の現富山市の農民たちがカドミウム中毒で苦しんだ。その間掘削技術は進歩しただろうが、むき出しの資本主義が人間を搾取するだけでなく、環境を破壊し、そしてその一環で人間を苦しめ、殺し、集落まで崩壊に導くことが明らかになった。マルクスは言う。

どんな資本主義的農業の進歩も、労働者から略奪する技術の進歩であるだけはなく、同時に土地から略奪する技術の進歩であり、一定期間の豊土を高めるすべての進歩は、同時にこの豊土の永続的破壊の進歩である――だから、資本主義的生産は、あらゆる富の源泉である土地と労働者とを滅ぼすことにおいて、社会的生産過程の技術と結合とを発展させるのである。

 「資本論」というと労働者搾取のメカニズムを糾弾する本かと思いきや、中にはこうした豊かな大地からの略奪を指摘するのが資本主義であるとも言っている。

「フェミニンな響きの町」の公害病

イタイイタイ病の場合、被害の中心となったのは当時の婦負郡婦中町(ねいぐんふちゅうまち)であるが、そのフェミニンな響きの地名がつらくなるほど、公害病を背負わされるのは骨密度が低い婦人が圧倒的多数派だった。せめて一家の大黒柱だった男性の患者も多ければ問題も大きくなりやすく、結果早く解決していたという考えもあるが、ここでも他の被害地と同じく「奇病」「前世の業」等、自己責任にされがちだった。

また、共同作業が大切な農村社会において起こった公害事件であることが、事態を複雑化させた。マルクスはこの共同作業こそ資本主義の原点と考える。

 協業は、労働プロセスの進行を早めることができる。 例えば、多くの石をはしごの上に運ぶ作業は、ひとりひとりが各々石を持って運ぶよりも、大勢が列を作って前の人から後ろの人へ、石を渡す流れ作業で早く済ませられる。麦を収穫する作業のように、決まった時間に仕事を終えなければならない作業もそうだ

 農作業はその時期に一斉にしたほうが効率もよく、その時期を逃せば収穫もガタ落ちになる恐れがあるからだ。よって一家を支える妻が田植えや稲刈りに出られないというのは同情の対象にはなりにくかったようだ。さらにはこの「奇病」を医学的に解明しようとした医師に対して、村の評判が下がり、農作物が売れなくなるからなどという理由で村人が妨害したりしたこともあった。「講」で固まっていたはずの村社会の醜い部分が露呈した形になる。

 「人権」や「人情」も大切だが、同じ集落の家の者が田植えや稲刈りに出られないということは村全体の収益に大きな打撃を与え、本人たちにも肩身の狭いことだったのだ。

医師と弁護士と被害者。そして役者はそろった

マルクスは労働力についてこのように述べている。

生産のプロセスに使われる原材料と道具は、生産過程で価値が変わることはない。資本の中で、価値が不変な要素、私はこれを「不変資本」と呼ぶ。反面、資本の他の要素、労働力は、生産プロセスの過程で価値が変る。労働力は、自分の価値を生み出した後、剰余価値を生み出す。そして剰余価値は状況によって可変的だ。私はそれを「可変資本」という。(1-8)

 つまり農業で言えば農業用水や農薬、農具やトラックなどの減価償却できるものは「不変資本」となり、村人総出で農作業をする際の労働力は、自分の精いっぱいの働きで作物の種をまき、収穫をし、それが売れれば自分にボーナスが入ってくる「可変資本」だ。しかし夫婦一組で農作業をするはずが、夫だけになれば、戦力が半分ほどになってしまう。これが続けば農村では通用しない。しかし家にいる妻は布団をかけるだけでもその重みで体の骨が折れるほどで、そのたびに「痛い、痛い」を繰り返す。

 ついにその原因を突き止めた被災地区の町医者、萩野医師は、村のため、人々のため、そして環境のために「天下の三井」を相手に訴訟を起こした。協力してもらえない村人もいたものの、弁護団長についたのが、富山が生んだ二十世紀の「怪人」正力松太郎の甥、正力喜之助だった。

正力松太郎といえば読売新聞のオーナーで、野球に興味はないが、戦前は人々が野球に熱狂するのを見て戦前読売巨人軍を結成。戦後はCIAの協力者として暗躍し、日本のマスコミ界を牛耳り、原発を日本に導入・推進した男、といえば資本家の権化のようでもある。しかしこの時は三井側から応援を頼まれても断るどころか、公害問題を担当する甥にはっぱをかけた。ふるさと富山の山河に対する思いがあったからかもしれない。萩野医師と正力弁護士と被害者。これで「役者」はそろった。

 

不条理に立ち向かう伝統

イタイイタイ病裁判での被害者の勝利を記念し、その後の運動の拠り所となっていた清流会館という建物があり、一部は徹底的に被害者の視点から見た資料室がある。その対岸の富山県国際健康プラザ内にもイタイイタイ病資料館があるが、ここはカドミウム汚染された場所の跡地である。ここは県立の施設だが、三井側は産業推進を最大の課題としていた富山県と、ある種の癒着関係にあったという。

また汚染された農地を回復するための費用負担の割合は、三井側(神岡鉱業)よりも国や富山県、すなわち国民、県民の負担がはるかに多い。ちなみに三井金属株式会社のホームページには神岡鉱業の記載もあるが、イタイイタイ病のことは全く触れていない。

このようにイタイイタイ病のみならず公害について学ぶことは、人間とは、環境とは、社会とは何かということを、反省を込めつつ学際的に学ぶことができる。ただ、いつのころからか加害者が企業や国・自治体であることが明白な「公害教育」から、加害者が「我々人類」というオブラートに包んだような表現と視点の「環境教育」に移りつつあることはある程度危惧されてよいかもしれない。 

しかし国連人間環境会議の前年の1971年6月、企業の利益追求が無制限だったこの資本主義国家において、曲がりなりにも「百姓」が訴訟において「天下の三井財閥」に勝ったこと、言い換えるなら健康と自由と当たり前の暮らしを求める民衆の、権力者に対する抵抗の歴史はもっと記憶されてよいだろう。不条理なことには立ち上がる。決して泣き寝入りしない。これは越中だけでなく、北陸の門徒たちの伝統のように思えて仕方ない。(続)

 

PR

①    二次面接って??? 無料ガイダンス+体験講座 9月上旬開始

9月初旬に二次面接とはどんなものか、そしてどんな対策が必要か、さらに間違った学習法まで一気に解説し、実際に二次面接に必要なスピーチや通訳を、過去問題を参考に行います。合格率の高さだけでなく、本当に身に就く学びをご体験ください。

http://guideshiken.info/ (最新情報その1)

 

②  英中韓難訳講座「日本のこころ」

以下の日時で本文の難訳部分を英中韓国語に訳す講座を以下の通り行います。
初回無料ですのでぜひご体験下さいませ。

9月5日
9月12日
9月19日

すべて月曜日夜19時半から二時間、難訳の他に二次面接スタイルのスピーチや即興の通訳にもチャレンジしていただきます。

事前にこちらからご登録ください。
https://secure02.red.shared-server.net/www.guideshiken.info/?page_id=109

③オンラインサロン「ジモティに聞け!」

―地理・歴史・一般常識はzoomで楽しもう!
9月の毎週木曜午後10時から、各都道府県出身または滞在歴のある案内士試験受験者に、地元を紹介していただきます!楽しみながら学べるこのオンラインサロン、ぜひご参加ください。

パーソナリティ:英中韓通訳案内士 高田直志
日時:毎週木曜と日曜の22時から23時00分(無料)
視聴・参加するには…
対象:通訳案内士試験を受験される、または本試験に関心のある全ての方。
事前にこちらからご登録ください。(登録・視聴は無料です。)
https://secure02.red.shared-server.net/www.guideshiken.info/?page_id=109

 

米騒動―地元でもピンとこない大事件発祥の地

富山市の東に位置する魚津は近代の農民の抵抗で最も著名な「米騒動」発祥の地である。初めて行ったときはひとり旅だったが、JR魚津駅前でタクシーを拾い「米騒動発祥の地」と言ってみたが、五十代のベテランドライバー氏はきょとんとした。そしておおよその場所を伝えると、「もしかしたらあそこかも」と言われて到着した場所は、海岸に面した児童公園にある三つの米俵のモニュメントだった。「米騒動」は中学時代にならったが、地元ではどうやらタクシーの運転手さえピンとこない場所だったらしい。

1918年には米価が高騰し、家族を食べさせることができないことを危惧する人々が増えた。それまで4年間続いていた第一次世界大戦中に、この海の向こうのロシアで革命が起こり、マルクス・レーニンの思想に基づく世界初の社会主義国が誕生しようとしていた。

しかし資本主義や天皇制といった明治政府の国造りの根幹を否定するこの思想が樺太の国境を隔てただけの隣国にできることを危惧した寺内正毅内閣はシベリア出兵を決定した。するとシベリアに駐留する日本軍向けのコメを持ち込む際、政府が高めにコメを買い込むと踏んだ米問屋がコメを買い占めたため、米価が高騰したのだ。

「土地はその母」

農産物というのは大地と人間の労働力の結晶である。マルクスは「資本論」の中で次のような文を引用している。

「労働はその父であり、土地はその母である。」

しかし、資本主義が急速に発達しつつあった当時、農村を離れて工場労働者となる人々も増えつつあった。すると米作に携わる人口も減少してきたことも挙げられよう。マルクスはこのように説明する。

ブルジョワ的資本家たちは、とりわけ土地を商業取引に転化させ、農業大企業の領域を広げ、農村から鳥のように自由な無保護の労働者を供出する操作に手を貸した。 しかも新しい土地貴族は、 孵化したばかりの新しい銀行貴族、そして当時、保護関税で助けられていた大工場主の本来の同士でもあったのだ。

農村から離れた労働者を「自由な無保護」と考えるのは、労働者を野良犬、野良猫あつかいしているようなものだ。そして彼らを労働者、というよりモノ言わぬ歯車として受け入れ、大量生産によってますます利益を得るのが大工場主であり、また彼らに資金を貸す銀行家だったのだ。

 

「越中の女一揆」勃発、ではなかった?

7月下旬、ここには数十人の漁民のご婦人方が、目の前の海の船にコメを積んで北海道に向かおうとするのを阻止しようとした。「土地はその母」というマルクスの引用通りかもしれない。とはいえ暴力的なことではなく、弱者が集まり家族を食わせることができないからと嘆願したに過ぎない。また、富山藩では凶作の年にコメの貸し付けをしていたし、明治以降は困窮者にコメを配給していた。そのような経緯もあって、一度地元のコメをいったん流通されたら高値で買わねばならなくなるから、このような時の通例として流通させないように懇願したのだ。

しかし日清・日露戦争以降、新聞購読層がすでに高まっていた当時、例えば「米の暴騰が生んだ富山の女一揆 此儘(このまま)では飢死する 生か死の境目だと叫ぶ」などというセンセーショナルな見出しの新聞記事を読んだ人々が立ち上がった。それは全国に飛び火し、沖縄、青森、秋田を除くすべての道府県で米騒動が巻き起こった。読む人の目には、富山という土地柄、一向一揆の記憶が思い起こされたのかもしれない。

結果として長州閥の軍人出身、寺内正毅首相は辞職し、盛岡出身の平民宰相、原敬内閣の幕開けとなった。魚津の婦人たちによる要求が、「瓢箪から駒」のように藩閥政治を終わらせ、本格的な政党政治の幕開けとなった。

都会のインテリはその二年前に新聞に掲載されていた河上肇の「貧乏物語」等でマルクス・レーニンの思想を実感したのかもしれない。しかし頭ではなく、地に足をふんばって生きる漁民の婦人方からすれば、これまでの平穏な生活を取り戻したいだけであり、イデオロギーとは無縁の、家族を守りたいという思いから立ち上がったに過ぎない。そして家族を思う力が大正デモクラシーにつながったのだ。(続)

 道の駅の名は「一向一揆の里」

 母の実家が熱心な真宗門徒だったため、私も子どものころから真宗的死生観が身についているようだ。一方高田家は曹洞宗ではあるが、ほとんど禅や道元禅師に関して教えられることはなかった。そんな私が日本で最も気になる道の駅がある。その名も白山市鳥越にある「道の駅 一向一揆の里」である。こんなネーミングをつけるセンスに驚きと期待を隠せない。

行ってみるといたって平凡である。地元の野菜や山菜、名物のそばなどが売っている、どこにでも見かけるものだ。しかし看板倒れではない。閉館中ではあったが隣接地にある加賀一向一揆記念館では、一世紀にわたって続いた「百姓のもちたる国」の最期を見ることができる。

その時、背後の二曲(ふとげ)城跡や、川向いに堀や櫓門が推定復元された鳥越城にたてこもった門徒たちは、大坂の石山本願寺が信長軍に譲歩して城を明け渡した1580年、信長配下の柴田勝家軍の降伏勧告に応じて城を下りた城主鈴木出羽守親子は勝家軍に謀殺され、城も攻め落とされた。

その後ゲリラとして抵抗をつづけた門徒衆は2年後に城を奪還したが、それも束の間で織田方に再び奪還され、女、子ども、年寄りまで数百人もの門徒たちが手取川の河川敷で磔に処された。ナムアミダブツ、ナムアミダブツの声が周辺に響き渡り、深い青緑色をたたえた手取川も流血で染まったことだろう。周辺の集落は全滅。生存者はほぼいなかったという。ここに一世紀にわたる加賀一向一揆は終わった。領主のいうことに服従せずに生きる自由な生き方が再び戻ってくるのはそれから300年後のことだった。

 

コミュニストというより「講ミュニスト」の北陸人

 真宗門徒の間では「同朋(どうぼう)」という言葉がある。江戸時代になると一向宗は「本願寺派」、いわゆる西本願寺を拠点とし、東本願寺を拠点とする「大谷派」と対立するようになるが、いずれも阿弥陀如来の下ではみな隔てない兄弟であると考える。マルクス・レーニンの思想に基づき、革命を起こして国を建てた人々も共産主義という理念の下では人民はみな平等だということになっていたはずだ。ソ連崩壊後もそれを信ずる人々がどれほどいるかは怪しいところだが、北陸の門徒たちはこの「同朋」という観念を今なお持ち続けている。そうでなければ道の駅の名を「一向一揆の里」などとはしないだろう。

 そしてこの信念を支えたものの一つが「講」である。門徒ならみな11月28日(東本願寺等)または1月16日(西本願寺等)が親鸞聖人の命日である「報恩講」であることを知っている。そして近所の門徒同士で集まり、お経をあげて会食をする。特に北陸ではこれを「ほんこさん」と呼び、親鸞聖人の好んだ小豆を使った料理を膳に並べる。昔は盆と正月に並ぶ楽しみな行事だったという。

雪深い北陸の地で、ともに共同体の仲間が集い、お経をあげ、会食をみなで準備して食す風習が五百年以上続いた。これが「同朋意識」を強める原因になったというが私の見方だ。

阿弥陀如来による極楽往生を信ずる門徒であるから共同体単位で豊かさを追求していてもコミュニストとは呼べまいが、「講ミュニスト」という造語でしゃれてみたい。ちなみに本願寺派と大谷派は共通の経典「正信偈」をあげるが、その節は違う。私は大谷派の節で唱えるため、一向宗の本願寺派からすると違和感をもたれることは重々承知だが、みな「同朋」であるという思いが強く、大谷派流の正信偈をあげて、「ナムアミダブツの夢のあと」を後にした。(続)

 

 白山郷開拓団

 富士山、立山と並ぶ日本三霊山のひとつが手取川の水源地、白山である。水が豊かなため、手取川の他に西は福井県の大河、九頭竜川の源流、南は岐阜県の大河、長良川の源流にもなっており、神仏習合の白山権現として篤い崇拝を受けてきた。しかし手取川沿いは度重なる水害で農業には適さず、戦前は村民の一部を満州に送らざるを得なかった。彼らは「白山郷開拓団」と呼ばれた。

 彼らが満州まで送られるようになった原因の一つに、人口爆発がある。東北では特に女の子の「間引き」が行われたというが、殺生を禁ずる真宗の教えにより、北陸では子だくさんが通常だったという。毎年十数パーセントの人口増加ではこのせせこましい白山麓ではとうてい食わせきれない。また、資本主義の破綻といえる、1929年からの世界恐慌の波が北陸まで襲ったことも挙げられる。さらに言えば当時の拓務大臣が金沢出身の永井柳太郎だったこともあり、県民の「新天地」として満州移民に意欲的だったこともある。

 1937年から数年にわたって総勢499名の人々が送り込まれたのは、現黒竜江省チチハル市の農村「亜州屯」だった。冬は氷点下三十度以下になる酷寒の地だが、広い農場を耕すことができたのは、すでに現地の漢人、朝鮮人たちが耕していた土地を国が二束三文で購入し、開拓団員自らも耕す傍ら、彼らにも働かせて生産性をあげたという。「資本論」にはこのようなくだりがある。

商品の世界では、人の労働の産物、すなわち商品が人間と関係を結んでいる。経済的関係はすべて商品を通じて行われる。人間の労働はお互いに交換されるが、それは直接交換されるのではなく、商品の形で交換される。我々は商品を買うとき、それが誰の労働の産物か、特に意識しない。1-1

 

侵略のお先棒を担いでいた農民たち

 例えば今着ている服をだれが作ったか、意識しない。しかし開拓団の場合はどうか。農地も商品である。肥沃で広大な満州の農地を白山郷開拓団は譲り受けたのだが、それがだれによって耕されたか、つまり現地人の血と汗と涙の結晶である事実を、同じ農民である彼らが知らぬはずはない。しかしその資本主義のメカニズムにはほっかむりをし続けた。そうするしかなかったのだ。開拓団について、中国人なら「資本論」のこの部分を思い出すかもしれない。

イギリスでは、かつては自分の畑を耕作し、ある程度裕福な生活をしていた農民(土地所有者)がたくさんいた。(中略) だが、1470年から1500年代までの数十年間で、強大な領主が武力で農民の土地を奪い、多くのプロレタリア(賃金労働者)を生み出した。(中略)やがて領主たちは奪った耕作地を、牧草地に変えた。 その後、追い出された農民たちは日雇い労働者に転落した。このように暴力による略奪の結果が、現代の私有資産に転化したのが、「最初の蓄積」の方法のひとつだった。(1-27)

 これは「資本家」がどうして誕生したかに関するマルクスの解説だ。資本主義の矛盾で満州に放り出された日本の農民の多くは家族ぐるみで働いてはいた。しかし実際は満州の農民が切り開いた土地を、関東軍に守られた日本の農民が奪い、かつての自らの土地で小作になっていた。こうして日本の農民は満州で「資本家」となるはずだったが、日本が戦争に負けたため、白山郷開拓団の団員をも悲劇が襲った。その強烈すぎる「しっぺ返し」が来たのが1945年8月9日のソ連軍による満州侵攻だ。

満州に響き渡った「ナムアミダブツ」の声

自分たちを守るはずの関東軍には逃げられ、積年の恨みを募らせた現地の人々や匪賊に襲われた人々は、女子どもと年寄りがほとんどで、8月27日に現地の小学校に集まって集団自決をしだした。家族同士、同じ「講」の者同士、農具や包丁で殺し合い、または縄で首をくくったという。ここでも皆口々に「ナムアミダブツ」を唱えていった。家族まで労働の犠牲に差し出さざるを得なかった農民たちについて、マルクスはこう述べている。

資本主義のシステムでは社会的な労働生産性を増やすため、個々の労働者が犠牲になる。労働生産性を増やすためのすべての方法は、労働者の労働条件を改悪し、労働の過程で資本家の独裁に屈服させ、すべての生活時間を労働時間に転換させ、彼の妻子をも資本の巨大な車輪の下に連れていく。(1-25)

 資本主義の破綻が遠因となり、満州に追いやられたが、そこで現地人の感情を無視してきたしわ寄せが弱者に来た。死体にまともな状態のものはなく、着ていた服まですべて脱がされて転がされていたという。結局故郷白山麓に戻れたのは約三割、つまり七割に当たる約350名が集団自決ないしはその後の逃避行で命を失ったという。

戦国時代には自治を求めて立ち上がった一向宗の子孫が、何の因果か戦前は他国を支配する側の尖兵の立場に知らぬうちに立たされ、いずれも阿鼻叫喚の中、三百名もの命が犠牲となった。白山市の鳥越村戦没者慰霊の広場には彼らの慰霊碑がぽつんと立っているので、ここでも正信偈をあげて、霧雨に霞んで見えない白山を後にした。(続)

 

PR

①    二次面接って??? 無料ガイダンス+体験講座 9月上旬開始

9月初旬に二次面接とはどんなものか、そしてどんな対策が必要か、さらに間違った学習法まで一気に解説し、実際に二次面接に必要なスピーチや通訳を、過去問題を参考に行います。合格率の高さだけでなく、本当に身に就く学びをご体験ください。

http://guideshiken.info/ (最新情報その1)

 

②  英中韓難訳講座「日本のこころ」

以下の日時で本文の難訳部分を英中韓国語に訳す講座を以下の通り行います。
初回無料ですのでぜひご体験下さいませ。

9月5日
9月12日
9月19日

すべて月曜日夜19時半から二時間、難訳の他に二次面接スタイルのスピーチや即興の通訳にもチャレンジしていただきます。

事前にこちらからご登録ください。
https://secure02.red.shared-server.net/www.guideshiken.info/?page_id=109

③オンラインサロン「ジモティに聞け!」

―地理・歴史・一般常識はzoomで楽しもう!
9月の毎週木曜午後10時から、各都道府県出身または滞在歴のある案内士試験受験者に、地元を紹介していただきます!楽しみながら学べるこのオンラインサロン、ぜひご参加ください。

パーソナリティ:英中韓通訳案内士 高田直志
日時:毎週木曜と日曜の22時から23時00分(無料)
視聴・参加するには…
対象:通訳案内士試験を受験される、または本試験に関心のある全ての方。
事前にこちらからご登録ください。(登録・視聴は無料です。)
https://secure02.red.shared-server.net/www.guideshiken.info/?page_id=109

 

輪島の労働者

輪島では県立工芸美術館を訪れた。輪島塗の巨大な地球儀などはさすがにクオリティが高い。市民もこの「加賀百万石」のレガシーを誇りに思っている。職人たちの背中を見ながら、生涯をかけてそのレガシーを受け継ごうとしている誇りがひしひしと伝わってくる。一方、モノとカネの流れを解き明かす「資本論」という色眼鏡をかけると、何かが隠蔽されていることに気づく。

資本主義的生産は労働者を搾取するための条件を存続させようとする。つまり、労働者が生存のために労働力を売って、資本家を豊かにしてくれるよう仕向ける。資本家は労働者が生産した富を利用して、労働者を買う。こうして労働者は市場で労働力の売り手として資本家と出会うが、実は彼は自分を資本に売る前から資本に隷属している。それは労働力の販売の周期的な更新と、雇い主が変わることで隠蔽されている。(1-23)

 つまり職人たちは食っていくために労働力を提供する。資本家は職人たちの労働で投資した分のもとを取れば、それ以上の利益ががっぽがっぽと懐に入ってくるはずだ。しかしこうしたメカニズムは現場で刷毛を持ち、ろくろを回すのに神経を集中させている職人からは可視化しにくく、「ゼニの流れ」に気づきにくい。

しかし不況の時はどうなるか。能登町黒川の天領庄屋中谷家という庄屋の家にはなんと朱色と黒の総輪島塗の蔵がある。一見贅を尽くした建物に見えるが、建てさせた経緯を知ると極めて興味深い。二百年ほど前に極めて景気が悪化した際、塗師屋を支える意味でここまで豪華絢爛な蔵を建てたというのだ。今でいえば公共工事に近い。資本主義の萌芽期だった江戸時代にも、このような発想があったのが驚きである。

 日本はいつから資本主義を導入したかという議論には諸説あるが、少なくとも加賀藩ではそのようなcapitalismの「訳語」はなかったにせよ、江戸時代からすでにそれに相当するカネとモノの流れはあったのだ。

 

近江町市場で酒盛りに興じる労働者と笑いが止まらぬ資本家

 朝、ホテルを出て「金沢の台所」と呼ばれ、市民にも観光客にも愛される近江町市場に行ってみた。16世紀の尾山御坊時代にすでにあったというこの市場は、読んで字のごとく近江八幡の商人たちが定住したものという。定番ではあるが、カブとブリを糀(こうじ)で醸(かも)したかぶら寿司や、高山右近由来の南蛮料理をルーツにするともいう鴨の治部煮(じぶに)などを手に入れた。

夜勤明けだろうか、作業着を着た若者たちを見た。解放感にあふれており、朝から生ビールでのどを潤している。私も呑みたくなってくる。しかし正月でもないのに朝から呑むほど自堕落でもない。あえて無粋なマルクスの言葉を思い出してみる。

勤務日には、まるでエンジンに燃料を補給するように、労働者は自分の労働力を維持するために個人的な消費をする。これは生産手段に必要な消費でもある。彼の個人的消費は生産的消費になる。だから資本家は一石二鳥の効果を得る。労働力を使った資本が、生産の手段を維持するために使われたからだ

つまり目の前の若者たちは夕べから徹夜の労働を終えて解放感に浸っているが、それも今夜の仕事に備えるべく疲労回復を目的とするため、と考えると面白くなくなる。だからといってそこで思考停止をすると、本当に笑いが止まらなくなる人物が見えてくる。身銭を切って疲労回復をすることであくる日の仕事の体調を整えてくれるのに気づかぬ労働者を雇う資本家たちである。だが、マルクスを読むと時にビールがまずくなる。

 

金沢の人の隠れたこだわり

とはいえ城あり、庭あり、工芸品あり、茶屋街あり、文学あり、美術館あり、市場ありのこの街の市民が、その礎を築い「加賀百万石」を誇る気持ちもよくわかる。ただ、旅先ではいつも「目に見えないものを見よ」と自らに言い聞かせている私は、この観光地として洗練され、しかも多様なこの町が、言われなければ気づかないあることにこだわっていることに気づいた。それは、金沢城と兼六園がある小立野(こだつの)台地は前田利家入城以前の一世紀にわたり、尾山御坊という一向宗の加賀における大本営だったということだ。

 金沢の、というより北陸の人々の間では浄土真宗の死生観値観が浸透しているという。しかしその割にはこのかつての御坊の跡地に建てられた城と庭にはほぼその形跡が残されていない。あえて探し当てたのが二の丸から本丸三十間長屋に向かう途中にかけられた極楽橋ぐらいか。かつて門徒たちはここから西方に沈む夕陽を眺めて極楽往生を想ったという。しかしこの超一流の観光地のどこを探してもかつて信長や秀吉、家康など天下人を最も悩ませ、恐れさせた一向宗の夢の跡を感ずるには程遠い。

金城麗澤と分かち合いのこころ

 逆に私がこの町で感心した、おそらく金沢の人々のこころの拠り所ともいえる場所がある。兼六園内の金城麗澤(きんじょうれいたく)という泉である。何の変哲もない屋根付きの泉だが、ここが「金沢」という地名の由来という。

今は昔、藤五郎という無欲な青年がいたが、大和国から長者が娘を連れて来て、「そなたの嫁に」と置いていった。めおとになった二人は、長者が残した金子を周りの人々に分けてやり、すっからかんになってもあっけらかんとしていた。見かねた長者が新たに砂金を送ったら、藤五郎は空を飛ぶ雁を取ろうと石ころ代わりにその金子袋を投げたので、砂金は散らばってしまった。

さすがの妻も怒り出すと、藤五郎は「砂金なんて、芋を掘れば出てくる」というので、掘りだした自然薯を洗うと、それが砂金になった。しかし夫婦はその砂金も皆に分け与えながら幸せに暮らした。金城麗澤とは砂金を洗った沢だったのだ。

 「持つ者」「持たざる者」の対立が資本主義の必然で、それが革命の起爆剤になるというのがマルクスの説だが、なぜか日本では、少なくとも江戸時代の北陸ではそうはならなかった。その理由の一つとして奥能登の中谷家のような不景気の際に苦労を分かち合うために公共事業をさせる庄屋や、砂金を独り占めにしない藤五郎のような、分かち合いの精神があったからではなかろうか。

 そしてその分かち合いの精神が特にこの地で広まった理由の一つが真宗門徒の「講」ではないかと私はみている。

 

高尾(たこう)城―神も仏のつくり物?

 金沢城から南へ8㎞行くと、室町時代の当地の守護大名富樫正親の居城、高尾城跡があり、金沢平野が一望できる。富樫は応仁の乱の真っただ中の1473年、一向宗を利用して敵対する弟を破ったが、その後の扱いへの不満から一向宗と対立。最期は1488年にこの城に立てこもったが攻め落とされて自害した。

その後約一世紀にわたり、日本に初めて民衆による共和制に近い政治体制をもつコミューンができた。いわばここは「百姓のもちたる国」発祥の地なのだ。そしてこのコミューンは燎原の火のごとく北陸各地に広まっていった。

 ちなみに唯物論者マルクスは神仏など信じていない。曰く、

 神や天使、悪魔が「人間の想像の産物」と割り切ってしまえば、神を崇拝する人々は、自分の頭脳から生まれたものを崇拝していることになる。(1-1)

 つまり、神仏は自分の脳内で生産し、それに慰められているようなものだと極めて軽く考えている。富山県南砺市で開発された、動いたり鳴いたりするアザラシ型ロボット「パロ」を医療用に使用し、傷ついた人々を慰めるというが、マルクスに言わせれば神仏もパロのようなものなのだろう。さらに人間が神仏を作り上げたのなら商品と同じだとみてか、こうも言っている。

 例えるなら、宗教の世界では人間の頭脳の産物が実在の人物のように登場し、それらがお互いに関係を結んだり、人間と関わったりしている。 商品の世界では、人間の産物である商品がこのように振舞っているのだ。この現象を私は「物神崇拝」と呼ぶ。(1-1)

 つまり、真宗の教えは「念仏を唱えると極楽浄土に行ける」という安心を与える「心理的商品」であり、その「資本家」が親鸞であり蓮如であるといいたいのだろう。なるほど、真宗はともかく、「宗教ビジネス」という言葉があるように、教義も流通すべき商品としてしかみないのだ。さらに続ける。

頭脳が作り出した悪魔や天使は、信仰を捨てれば消えてしまうが、資本主義社会の物神崇拝が消えるには商品の生産が中断されなければならない。無論、そんなことはあり得ない。だから、物神崇拝などの非人間的な面は商品の生産、そして資本主義システムの必然的な結果なのである。(1-1)

 つまり物流システムをとることが不可能な資本主義は極楽浄土への往生を信仰する心より強いのだという。宗教とビジネスを同列に論じることの意味のなさを感じないでもないが、宗教をビジネスとし、国政にまで関与する輩が現にいる昨今、頭ごなしに否定できない。おそらく一向宗をつぶそうとした諸大名も、門徒たちの信ずる「極楽浄土への往生」を、新手の新宗教がでっちあげた「商品」と嗤っていたかもしれない。

しかし私はそれを夢まぼろしのような実体のない「商品」とは思わない。ソ連や中華人民共和国のコミュニズムがかりそめにも抱いてきた人民の平等性という「商品」の賞味期間よりは「百姓のもちたる国」のほうが長いではないか。一世紀の長きにわたって人々が信じ、独立を維持し、武力により鎮圧されたとしても、その後四百年以上も北陸の人々の心の中に生き続けてきた「なにか」に実体がないわけないと考えるのだ。(続)

 

PR

①    二次面接って??? 無料ガイダンス+体験講座 9月上旬開始

9月初旬に二次面接とはどんなものか、そしてどんな対策が必要か、さらに間違った学習法まで一気に解説し、実際に二次面接に必要なスピーチや通訳を、過去問題を参考に行います。合格率の高さだけでなく、本当に身に就く学びをご体験ください。

http://guideshiken.info/ (最新情報その1)

 

②   オンラインサロン「ジモティに聞け!」

地理・歴史・一般常識はzoomで楽しもう!
9月の毎週木曜午後10時から、各都道府県出身または滞在歴のある案内士試験受験者に、地元を紹介していただきます!楽しみながら学べるこのオンラインサロン、ぜひご参加ください。

パーソナリティ:英中韓通訳案内士 高田直志
日時:毎週木曜と日曜の22時から23時00分(無料)
視聴・参加するには…
対象:通訳案内士試験を受験される、または本試験に関心のある全ての方。
事前にこちらからご登録ください。(登録・視聴は無料です。)
https://secure02.red.shared-server.net/www.guideshiken.info/?page_id=109

 

 

奥能登へ:ゼニが先か、モノが先か

日本で「商品→お金→商品」という「モノとカネの流れ」のメカニズムが行われていた19世紀半ばは、まさに海の向こうでマルクスがこの理論を練っている最中だった。ただ、この流れも絶対ではなく、「卵が先か鶏が先か」ではないが「先立つモノはカネ」という流れに関してもマルクスは述べている。

私たちはこれ以外の形の流通を知っている。それは、 お金→商品→お金である。これはお金で商品を買い、その商品を売ってお金を得ることだ。お金が商品に変容し、そして商品が再びお金に変容すること、もしくは売るために買うことである。このように流通するお金を、「資本」と いう。(1-1)

 これは前田藩という「大資本家」レベルでみるよりも、例えば輪島塗の親方である「塗師屋(ぬしや)」を例にとってみるほうが分かりやすいので場所を能登に変えよう。

金沢を離れて七尾湾に面した名湯和倉温泉で湯浴みし、翌朝峠を越えて奥能登は輪島に向かった。ここは北前船の寄港地として栄えた北陸随一の港町であるとともに、三十数件もの塗師屋が軒を連ねる職人の町でもある。町の名物の朝市では、海産物の他にやはり高級品から普段使いのものまで、さまざまな漆器も並んでいる。

これらの売り物を作った塗師屋は原材料である木や漆、飾りを施すための顔料や金粉などを原則現金で購入する。それに手を加えて漆器ができ、完成品を卸すことで利益を得る。ゼニ→モノ→ゼニという流れのメカニズムは言われなくても分かっていたろうが、自分の家で使うためではなく、仲買人に買い取ってもらうために作るための最初のお金を「資本」と呼んだのがマルクスだ。

 

輪島塗…一つ金参萬円也

 「お、これは…」と思った器があったが値段を見てあきらめた。金参萬円也。さすがに124もの工程で作られる匠の技だけある。店員さんに言われた。「これは子々孫々直し続けて三百年もちます。」すると一年百円か。安い、と錯覚した。

一瞬財布と相談しかけたが、三百年分の漆器代金を一度に出そうにも「先立つモノ」がなく、「毎年百円ずつ、子孫にも払わせるので、今日のところは百円で…」と冗談で言ってみたが、笑っていなされた。やはりこれは「生活必需品」ではなく盆や正月、来客用の「贅沢品」だ。マルクス曰く、

 消費材は「生活必需品」と「贅沢品」の2つに分類することができる。生活必需品は、資本家も労働者も消費するが、贅沢品は資本家階級の消費に限るため、労働者から搾取した剰余価値からの支払いと交換されるだけだ。(2—20)

 つまりやはりその輪島塗は、かつてなら能登の職人たちを働かせて搾り上げ、投資以上の余剰金を稼いだ者のみ買えるものであり、私のような者はお呼びではないということだ。逆に言えば、輪島塗が買いたければ、たくさん人を雇って金を稼がせてから出直せ、ということであろう。しかし資本家とはいえどいつも順風満帆にはいくまい。恐慌の時にはどうするか。マルクスは続ける。

ところが、恐慌のときには贅沢品の消費が減少する。つまりそれは、贅沢品生産の可変資本の、貨幣資本への転化を停滞させる。そこで、贅沢品を生産する労働者は解雇される。その結果、彼らが消費していた生活必需品の販売も減少するというわけだ。(2—20)

「可変資本」とは、塗師屋でいうと一人一人の職人の労賃である。つまり恐慌だと輪島塗の顧客層だった資本家も財布のひもを締めるはずだから、売れなくなる。すると雇っている職人の首を切らねばならなくなる。そうするとそれまで生活必需品だけは買ってきた職人たちが、必需品さえ買えなくなる。この循環が恐慌の基本原理らしい。

 

「道具」の大切さと「加賀百万石流資本主義」

また、塗師屋では制作の際の実に様々な道具を見せてもらった。これについてもマルクス曰く、

労働のプロセスとは、人間の労働が道具の助けを借りて、原材料を変化させることだ。(1-7)

果物など、すでに完成された自然物を収穫する活動を除けば、労働者が最初に持っているのは労働の対象ではなく、道具である。(1-7)

当然ながらこれら数多の道具類がなければ仕事にならない。輪島塗=原料×道具×匠の技、という公式が頭に浮かんだ。そして少なくともモノ作りはほぼみなそうである。ここで作られた塗り物が、かつては加賀藩経由で全国に広まっていったが、最高級品を召し上げた「大資本家」たる前田の殿様がここに投資したのはなぜか。マルクスは言う。

資本家は商品を、それ自体の使用価値のためには生産しない。資本家が商品を生産する理由はただ、それが交換価値が体現されたものだからだ。資本家には2つの目的がある。彼は「交換価値のある使用価値を生み出す」ことを望む。 それは〝売れる商品〟を作り出すことにつながる。 そして彼は、その交換価値が「生産費用よりも高い価値で売れる」ことを望む。 価値を生み出すだけではなく、剰余価値を生み出そうとするのだ。(1-7)

 つまり前田の殿様自ら使用する漆器はごくわずかで、漆器の多くが将軍家や他藩に流れていった。そして加賀は将軍からお家安泰が保証され、評判が評判を呼びモノが売れればブランドとして確立され、「売れる商品」を大量に生産し、生産過程にはるかに上乗せさせた現金収入となって戻ってくる。これが「加賀百万石流資本主義」である。

総漆塗の蔵の意味

 なるほど、男が一生の仕事として全身全霊でモノづくりに没頭する姿は美しい。しかし不景気で高級品が売れなくなった末に首を切られた職人たちはどうなるだろうか。マルクス曰く、

一生をかけて、ひとつの作業だけをする労働者は、速い速度と生産性を持つ。こうしてひとつの特殊な作業だけに特化した「部分労働者」は、他の仕事がまったくできない欠陥だらけの人だが、協業システムの一部としては完璧なパーツになる。そこで資本は、ひとつの作業に特化した労働者を、普通の労働者より好む。こうして作業はたくさんの専門分野に分化し、分業は深化していく。 分業は、資本主義以前から存在した。にもかかわらず資本主義で分業が特別なのは、その目的が剰余価値と剰余価値率を増やすためだという点にあるからである。(1-14)

輪島塗では最多で124もの工程があるというが、日本中で輪島塗が売れると分業化がさらに進む。しかし独りで独立してやっていけるほど単純な作業ではない。すべての工程が熟練の職人によってなされるはずだ。ということは一人ひとりの職人はそれだけでは何もできないではないか。それが近代資本主義の抱えた問題である。

輪島にもその問題はあった。能登町黒川の天領庄屋中谷家という庄屋の家にはなんと朱色と黒の総輪島塗の蔵がある。一見贅を尽くした建物に見えるが、建てさせた経緯を知ると極めて興味深い。二百年ほど前に極めて景気が悪化した際、塗師屋を支える意味でここまで豪華絢爛の蔵を建てたというのだ。今でいえば公共工事に近い。資本主義の萌芽期だった江戸時代にも、このような発想があったのが驚きである。

 日本はいつから資本主義を導入したかという議論には諸説あるが、少なくとも加賀藩ではそのようなcapitalismの「訳語」はなかったにせよ、江戸時代からすでにそれに相当するカネとモノの流れはあったのだ。(続)

 

PR

①    二次面接って??? 無料ガイダンス+体験講座 9月上旬開始

9月初旬に二次面接とはどんなものか、そしてどんな対策が必要か、さらに間違った学習法まで一気に解説し、実際に二次面接に必要なスピーチや通訳を、過去問題を参考に行います。合格率の高さだけでなく、本当に身に就く学びをご体験ください。

http://guideshiken.info/ (最新情報その1)

 

②   オンラインサロン「ジモティに聞け!」

地理・歴史・一般常識はzoomで楽しもう!
9月の毎週木曜午後10時から、各都道府県出身または滞在歴のある案内士試験受験者に、地元を紹介していただきます!楽しみながら学べるこのオンラインサロン、ぜひご参加ください。

パーソナリティ:英中韓通訳案内士 高田直志
日時:毎週木曜と日曜の22時から23時00分(無料)
視聴・参加するには…
対象:通訳案内士試験を受験される、または本試験に関心のある全ての方。
事前にこちらからご登録ください。(登録・視聴は無料です。)
https://secure02.red.shared-server.net/www.guideshiken.info/?page_id=109

金沢駅―もてなしドームと鼓門の衝撃

マルクス・エンゲルスの名言中の名言がある。「万国の労働者よ、団結せよ」。「共産党宣言」のクライマックスに現れるこの名言は、中高時代から知っていたはずだ。ロンドンで書かれたこの本が出版されたのは1848年。その六十数年後、この本を初めて和訳したのは幸徳秋水・堺利彦だった。

しかし北陸にはかつて百姓が団結して立ち上がり、封建領主を追い出して一世紀にわたって自治を行ったレジェンドとレガシーがある。それが一向宗による「百姓のもちたる国」である。

初めて金沢駅におりた時、衝撃を受けたのが駅舎の「もてなしドーム」だ。雨や雪が多いため、来客をガラス張りの大きな屋根でもてなすためという説明はわかるのだが、雨雪が多い日本海側でもこれほどの規模の駅舎はない。またそれに続く緩やかな曲線を描いた外観木造の鼓門。金沢で江戸時代に普及した能楽に使う鼓をモチーフにしたというのはわかるが、ここまで建築が自己主張してくる駅はそうそうない。

近江町市場や兼六園、金沢城、金沢21世紀美術館などの観光スポットはここから2,3㎞離れており、一周ぐるりが「百万石通り」で囲まれている。金沢城の櫓群やあらゆる種類の石垣の復元に対するこだわりと情熱。「三名園」といわれるからというからではなく、春夏秋冬の趣きが楽しめる兼六園。城郭マニアにして庭園マニア、しかも美術館巡りや伝統工芸好きの私にとって、この一帯はまさに至福の場だ。

「加賀百万石」の誇りと藩祖前田利家

この街で最も大きなイベントは6月の「金沢百万石まつり」というが、ここほど地元を統治していた大名を誇る市民も稀だ。兼六園の入口付近のいしかわ生活工芸ミュージアムに入ってみた。九谷焼や輪島塗、加賀友禅に仏壇、そして金箔など、その「文化の高さ」は他の追従を許さない。加賀前田藩はなぜここまで工芸に力を入れたのか。

そもそも藩祖前田利家は若いころから秀吉の親友であり、豊臣家の五大老でもあったため、秀吉の死後あらわになった五大老筆頭の徳川家康の横暴をけん制する立場にあった。しかし秀吉の死後の翌年、その後を追うように利家が亡くなり、息子利長の時代になると家康は彼をなめてかかり、「加賀征伐」を行わない代償として利家の妻、まつを人質に出させた。まつは前田家と徳川家の実力差を認め、自ら徳川家の人質として十数年を過ごしたという。

その後、加賀前田藩は二世紀半にわたって幕府の顔色をうかがい続けた。そのため殖産興業によって資金を調達し、幕府との付き合いを絶やさないことで藩政を安定させる必要があった。今でいえば日米同盟によって内政を安定させるために基地を受け入れ、思いやり予算を増額するには国を挙げて産業を起こさねばならないようなものだろう。目の前の豪華絢爛な工芸品群は、前田藩のお家安泰を保証するための商品でもあったのだ。

その甲斐あってか加賀前田藩は幕府や将軍の覚えもめでたく、1827年には十一代将軍徳川家斉の娘、溶姫が十二代藩主前田斉泰(なりやす)に輿入れした。しかしこの政略結婚にどれほどの財が動いたかは推測すらできない。が、ここらで無粋ながらやはり「マルクスの目」を通してこれらを見てしまう。

加賀前田藩の工芸品は保険料?

使用価値がない物は、それに含まれる労働にも価値がない。その労働は交換価値を生み出さないから、労働として認められない。労働の有用性は、労働が生産した商品の使用価値により決まる。 商品に使用価値を与える生産的な活動を、「有用労働」と呼ぶ。 使用価値には膨大な種類がある。そして、それぞれを生み出す有用労働にも、同じく膨大な種類がある。(1-1)

 目の前の漆器や陶磁器、染物などはもちろんそれ自体として使うことができる。だから汗水たらしてそれらを作った職人たちは「いい仕事」をしたことになろう。これらの工芸品を作るのに費やされた仕事量や発揮された匠の技が、その成果物に付加価値をつけた。しかしそれだけで終わらない。それはその後、金銭に形を変え「流通」を始めるのだ。

商品の流通は、資本の出発点である。お金が「資本」なのか、それとも「ただのお金」なのかは、その流通形態の違いによって決まる。商品流通の最もシンプルな形は、 商品→お金→商品である。これは商品を売ってお金を得て、そのお金で他の商品を買うことだ。(1-1)

 ここで目からうろこが落ちる思いがしたのは、「初めにカネありき」ではなく、「初めのモノありき」を出発点としていることだ。つまりこれらの工芸品を幕府に献上する際、直接金銭は動いていないかもしれない。しかし幕府側はこれを純粋な工芸品としてではなく、その金額を品定めするものだ。我々だって贈り物をもらったときおよその金額を推測するではないか。つまり加賀前田藩はお家安泰の「保険料」を最高級の工芸品で払っていたのだ。そして引き換えに藩主は将軍家の娘を正妻という名の「生身の保険証券」を受け取ったのだ。(続)

 

 

PR

①    二次面接って??? 無料ガイダンス+体験講座 9月上旬開始

9月初旬に二次面接とはどんなものか、そしてどんな対策が必要か、さらに間違った学習法まで一気に解説し、実際に二次面接に必要なスピーチや通訳を、過去問題を参考に行います。合格率の高さだけでなく、本当に身に就く学びをご体験ください。

http://guideshiken.info/ (最新情報その1)

 

②   オンラインサロン「ジモティに聞け!」

地理・歴史・一般常識はzoomで楽しもう!
9月の毎週木曜午後10時から、各都道府県出身または滞在歴のある案内士試験受験者に、地元を紹介していただきます!楽しみながら学べるこのオンラインサロン、ぜひご参加ください。

パーソナリティ:英中韓通訳案内士 高田直志
日時:毎週木曜と日曜の22時から23時00分(無料)
視聴・参加するには…
対象:通訳案内士試験を受験される、または本試験に関心のある全ての方。
事前にこちらからご登録ください。(登録・視聴は無料です。)
https://secure02.red.shared-server.net/www.guideshiken.info/?page_id=109

佐渡奉行所とやり手奉行の大久保長安の末路

相川には佐渡奉行所が復元されている。徳川家康が佐渡を天領とし、徳川三百年の安泰を財政面で支えたが、ここを本格的に開発したのは桃山時代に朝鮮渡来の「灰吹き法」によって石見銀山を一気に世界一の銀山にのし上げた大久保長安である。

1603年から10年間にわたり奉行を務めた彼は、金山で水銀と鉱石を混ぜ合わせて加熱し、蒸発させることで金を得る方法を実践した。南蛮渡来のこの「アマルガム法」という手法で佐渡金山も日本一の金山となった。ちなみに水銀を大量に排出するこの方法がどれだけ環境を汚染したかは「推して知るべし」である。

大久保は鉱山技術の他にも様々なものをもたらした。渡来人秦氏の子孫で大和猿楽の家の出自という彼が愛した能は、確実に庶民の間にも根を下ろし、人口5万人の島に三十数か所もの能楽堂があるほどだ。

ただ、家康から見れば大久保はいわば奉行という「超有能な雇われ社長」であり、組織の一員である。ここで掘られた金はみな幕府のものなので大久保には奉行としての給金をはずめばいい、と考えていた。「蟹工船」でいう資本家と監督のようなものだ。一方の大久保一族は我々の技術により金がでたのだから、自分たちのものだが、中元歳暮がわりに金子を幕府に貢いでおけばよいと考えていた。その視点は個人事業主である。

1613年に長安は亡くなるが、遺言は「黄金の棺桶で送ること」だったという。死の直後、家康は大久保一族の不正な蓄財を理由に、長安の嫡男から五男まですべて切腹を命じた。金に魅せられた男たちの悲劇である。 

その後、寂寥感あふれる、というよりものどかな相川の町並みに寄ってみた。男が集まるところには遊女がつきもの。はたしてここもかつては「その手」の店が軒を連ねていたという。幕末にここに来た役人が「佐渡は魚と遊女の値は江戸の半分だが、その他はみな二倍だ。」というような感想を述べている。需要と供給の問題だろう。また奉行所は、検地は徹底して田畑からはしっかりと年貢を取る一方、遊郭は非課税とした。鉱夫らの鬱憤のはけ口の代金が高ければ仕事に差し支えるからだろう。

世界遺産となってしかるべきところか

近代に入り、日中戦争時は一年で1トンもの金を掘るほどだったが、日米戦争がそれに加わり、各国の禁輸政策で貿易が難しくなると、金よりも軍事目的にも使用される銅が掘られるようになった。マルクス流にいえば、交換価値メインの金と使用価値メインの銅の立場の逆転だろう。

そしてその銅を掘るために徴用されたのが朝鮮人労働者であり、その労働の強制性を認めるかいなかが世界遺産登録問題となっている。もちろん韓国側は日本側を糾弾する一方、日本の一部の保守派はそれを認めない。そもそもそれがイシューとならぬように日本側は江戸時代の遺跡を中心に登録申請していた。それも韓国側からは姑息な手段に見えるのだろう。

佐渡が世界遺産になることを島の人々だけでなく、なぜか保守派が応援しているようだが、ここははたして人権的にも環境的にも誇れるものだろうか。そしてなによりも「金の産出」というむき出しの資本主義の発祥の地として記憶される場ではないかと思えてきた。

とはいえ、一度は絶滅したトキを中国からつがいで呼び寄せて増やしたトキの森公園や、採掘時の湧き水を捨てるために作られた桶を応用して舟にしたたらい船、船大工の迷路のような宿根木の集落、そしてビールケースに座りながらカジュアルに楽しめる地方色豊かな能楽、アイルランドの絶壁を思わせる尖閣湾など、一般的観光スポットに事欠かない島ではある。しかし最も有名な金山はこの上ないほどダークツーリズムスポットではある。「世界遺産狂騒曲」よりも、普通の観光スポットのほうに旅情を感じるのだ。

北一輝は佐渡の生んだコミュニストか?

 佐渡を離れる前の夕方、両津港近くの小さな神社に立ち寄った。そこにはある意味、「日本一有名なコミュニスト」を顕彰した記念碑がある。二・二六事件の首謀者の一人として処刑された北一輝である。北はその主著「日本改造法案大綱」で、戦後でいう「象徴天皇制」のもと、私有財産を制限し、華族制度も廃止し、人民の平等を訴えた。その労働者に関する項目を抜粋しよう。

・勞働賃金ハ自由契約ヲ原則トス。

・勞働時間ハ一律ニ八時間制トシ日曜祭日ヲ休業シテ賃金ヲ支拂フベシ。

・満十六歳以下ノ幼年勞働ヲ禁止ス。

・婦人ノ勞働ハ男子ト共ニ自由ニシテ平等ナリ。

 これらは戦後の占領軍のもとでようやく実現したのだが、こうした思想に共鳴した青年将校たちが立ち上がって起こしたのが二・二六事件であることは言うまでもない。ただしそれはエリートによる改革である。極右思想家に思われがちな北だが、これを見ればコミュニストかと思えてくる。ただ、右翼も左翼も国民の生活をよくしようとする意味では同じであり、そのやり方が違うのだろう。

 コミュニストお得意の四海の人民を同胞と認識する考えが北にもあったからか、彼は自分が佐渡という島の人間であることを誇りもしなければ愧じもしなかった。要するに佐渡という日本資本主義のある意味発祥の地のような場所は、彼にはどうでもよかったのだろう。

 

自然をわが物にしたがる欲望

翌朝秋雨の中、その日唯一欠航しなかった高速艇に乗り込み、本土に戻っていった。やはり帰りの港でも「世界遺産候補」として道遊の割戸の観光ポスターが私たちを見送ってくれた。前日に訪れたこの佐渡のシンボルを思い出しながら「資本論」の一節を実感した。

 これまで単純で抽象的な形で述べたような労働過程は、使用価値をつくり出すための 合目的活動で、人間の欲望のために自然のものを取得することであり、人間と自然との間の物質代謝の一般的条件であり、人間生活にとって永久の自然条件であり、だから、人間生活のどんな時代とも関係なく、人間のすべての社会形態に等しく共通したものなのである

黄金は自然物であるが、それをわが物にしたがる人間の欲望のために掘り続けた結果があの金の露天掘りにより「傷つけられた」(ように私には思える)岩肌だった。そしてそれをマルクスは「人間と自然との間の物質代謝」、つまり自然物は人間に利用されて人間社会に出回るものであり、それが永遠に続くものだという。そして人類はそれから逃れることができないようだ。

数年後の同じく秋雨の降りしきる中、佐渡島が黄金の島になる前に、黄金色に輝く浄土信仰に生きる人々の土地となった加賀に向かった。(続)

 

PR

①    二次面接って??? 無料ガイダンス+体験講座 9月上旬開始

9月初旬に二次面接とはどんなものか、そしてどんな対策が必要か、さらに間違った学習法まで一気に解説し、実際に二次面接に必要なスピーチや通訳を、過去問題を参考に行います。合格率の高さだけでなく、本当に身に就く学びをご体験ください。

http://guideshiken.info/ (最新情報その1)

 

②   オンラインサロン「ジモティに聞け!」

地理・歴史・一般常識はzoomで楽しもう!
9月の毎週木曜午後10時から、各都道府県出身または滞在歴のある案内士試験受験者に、地元を紹介していただきます!楽しみながら学べるこのオンラインサロン、ぜひご参加ください。

パーソナリティ:英中韓通訳案内士 高田直志
日時:毎週木曜と日曜の22時から23時00分(無料)
視聴・参加するには…
対象:通訳案内士試験を受験される、または本試験に関心のある全ての方。
事前にこちらからご登録ください。(登録・視聴は無料です。)
https://secure02.red.shared-server.net/www.guideshiken.info/?page_id=109

「裏日本」としての北陸

 私が生まれた1970年代、「裏日本」という言葉は差別用語、また死語として認識されつつあったようだ。「ようだ」というのも、山陰という「裏日本」生まれの私も、直接この言葉を使用する人に会ったのは三人だけで、みなすでに鬼籍に入っているだろう中高年男性だけだったからだ。ただ但馬の温泉を舞台にした1980年代前半のNHKドラマ「夢千代日記」では、地元の警察が都会から来た刑事に対し、やたら「表日本では~だが、裏日本では~だ」というような表現を多用していたことを覚えている。

 「裏日本」としての山陰人の私にとって、同じく「裏日本」の北陸が気になる。マルクスもいわば19世紀欧州のきらびやかな「表社会」の陰であえぐ、「裏」に追いやられた人々の存在を、「資本主義」というメカニズムを暴くことで世界に知らしめたからだ。

 

北陸で資本主義を考える意味

マルクスを理解する上で、北海道と同等に大切な場所は何となく北陸だと以前から思っていた理由はいくつかある。

・資本主義のアイコンともいえる「黄金」が日本で最もたくさん掘られていたこと。

・伝統工業に携わる労働者のモノづくりが今まで続いていること。

・イタイイタイ病や新潟水俣病など、大資本家により踏みにじられた人々がいたこと。

・四大財閥の一つ、安田財閥発祥の地であること。

・ロシア革命と同時進行で起こった米騒動の発祥の地であること。

そしてなによりも「百姓のもちたる国」、つまり日本で初めて真宗門徒を中心とする「同朋」という名の「人民」が立ち上がって封建領主を追い出し、一世紀にわたって自治を行った日本唯一の場所であるからだ。

さらに各県庁所在地名の響きも資本主義的だ。「山陰両県」の県庁所在地名は「松江」と「鳥取」であり「山口」を加えたところで「江」「松」「山」「鳥」など、自然を感じさせるものばかり。しかし「北陸三県」の県庁所在地の地名は「金沢」―大判小判がざっくざく?「福井」―井戸の中に福があるのか?「富山」―富がうず高い山のようになったのか?などと、人間のもつ資本主義的欲求を感じさせる。

「金福富」というとまるで朝鮮民族にありがちな姓名だが、紅色と黄色と金色をまぶしたまばゆいばかりのこの地名が、一見「地味な裏日本」の北陸三県の首府にふさわしいのかどうか興味深い。とはいえ、「資本論」を体感するための旅にでてしまった。行き先はとりあえず金沢だが、北陸三県に佐渡を加え、やはり初秋に歩いてみた。

 

佐渡島道遊の割戸-狂気にも似た金に対する欲望

初秋の夕方、新潟港の市場で旅友たちと、酒と海の幸を買い込んで夜のフェリーに乗った。二時間半ほど風と波に揺られて両津港についたころは雨が降っていた。港の観光用ポスターには巨人が山を真っ二つにチョップしたかのような道遊(どうゆう)の割戸(われと)が大きく映っている。真っ暗な中、タクシーで加茂湖温泉のホテルに投宿し、ナトリウム泉のしょっぱい湯につかり、体を癒してから休んだ。

翌日、小雨の降る中、相川の佐渡金銀山に向かった。佐渡は思っていたよりも広い。山の中に夕べ港のポスターで見た道遊の割戸が現れた。真っ二つに「チョップされた」場所には草木も生えていない。金の露天掘りを山のてっぺんからふもとにかけて行ったためである。木々生い茂る山をはげ山にされているのを見ても「環境破壊」という言葉より、人間の金に対する狂気にも似た欲望のすさまじさが脳裏に浮かぶ光景だ。

史跡佐渡金山という、昔の坑道を利用した資料館に入る。鉱山系ミュージアムはどこでもそうだが、暗闇で昔の鉱夫たちが話しながら掘っているのを見聞きすると、どうも気が滅入ってくる。特に江戸時代にこの島に金を掘りにきた人々は、一攫千金を求めて一旗揚げようという人ばかりではない。江戸当たりの「無宿人」たちもいた。これは商品作物などの凶作や、度重なる飢饉で故郷を後にし、江戸で犯罪を起こしたために佐渡に送られたりした人々を指す。

そのほか被差別部落民や隠れキリシタンなど当時の世の中では「脛に傷もつ」者も少なくなかったが、共通点はみな使い捨ての道具あつかいされることであった。

人はなぜ金に魅かれるのか

こうして土地から暴力的に収奪され、追放され、浮浪者になった農民は、奇妙なテロリスト的法律によって、賃労働体系に必要な規律(Diziplin)化されるために、むち打たれ、焼印を押され、拷問にかけられたのだ。

とマルクスが言うのは、まさにこのことだ。そこまでして幕府が、そして日本中、ひいては世界中の人々がゴールドを求めたのか。マルクスは説明する。

「黄金は銀より美しいから価値が高い」のではない。 埋蔵量が少なければ少ないほど、それを採掘するために多くの労働力がかかるから、価値が高いのである。

つまり生き地獄のような環境において労働者が落盤や強制労働で命を落とし、たとえ生き残れても肺などの呼吸器を病んだ結晶が、あの光輝く金だというのだ。

資料館では戦後は廃れた相川金山の町のかつての繁栄などが分かるが、人気なのが1㎏の金の延べ棒を手で持つことができるという、なんとも俗なゲームである。光り輝く黄金には明治以降の佐渡金山を経営してきた三菱のマーク。もちろん私もやってみたが、心に寒風が吹きぬけるような何とも言えぬ虚しさが残った。それが世界での交換価値の基準となったことについてもマルクスは述べている。

交換価値の観点から言えば「黄金の採掘に必要な労働の量」が「他のすべての労働の量」の価値の基準になったことを意味するわけだ。

資本主義においてモノとモノを交換するツールがゼニだが、例えば一万円というのはゴールドを掘るのにかかる鉱夫の賃金(例えば日当)がその基準となっているというのだ。(続)

 

 

PR

①    二次面接って??? 無料ガイダンス+体験講座 9月上旬開始

9月初旬に二次面接とはどんなものか、そしてどんな対策が必要か、さらに間違った学習法まで一気に解説し、実際に二次面接に必要なスピーチや通訳を、過去問題を参考に行います。合格率の高さだけでなく、本当に身に就く学びをご体験ください。

http://guideshiken.info/ (最新情報その1)

 

②   オンラインサロン「ジモティに聞け!」

地理・歴史・一般常識はzoomで楽しもう!
9月の毎週木曜午後10時から、各都道府県出身または滞在歴のある案内士試験受験者に、地元を紹介していただきます!楽しみながら学べるこのオンラインサロン、ぜひご参加ください。

パーソナリティ:英中韓通訳案内士 高田直志
日時:毎週木曜と日曜の22時から23時00分(無料)
視聴・参加するには…
対象:通訳案内士試験を受験される、または本試験に関心のある全ての方。
事前にこちらからご登録ください。(登録・視聴は無料です。)
https://secure02.red.shared-server.net/www.guideshiken.info/?page_id=109