神功皇后の懐刀の武内宿禰おじいちゃんってどんな人なの? | 地下都市パヤナーガに住むタイ龍蛇族の姫★龍愛(りゅうあ)のブログ

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龍蛇族の姫である龍愛(りゅうあ)がお伝えするスピリチュアルなお話を紹介します

ご訪問ありがとうございます。

 

 

前回は、

 

古代出雲神族が信仰していた「龍神信仰」の正体とはアラハバキ神だった

 

ということについて、ご紹介させていただきました。


 

 

これまで見てきた「東日本流外三郡誌」や「出雲口伝」「アラハバキを祀る神社に残された社伝」などから

 

東北の謎の神「アラハバキ神」は龍神であり、超古代の東北では龍神信仰があった

 

ということがわかりました。

 

 

 

ただ、記紀には、龍神信仰についてはほとんど触れられておらず、元々アラハバキ神を祀っていた神社も、大国主の別名である「オオナムチ」という神と入れ替えられているところがたくさんあります。

 

オオナムチのナムチとうのは「蛇」を意味することから、アラハバキ神を隠すにはもってこいの神様だったのではないか?と推測されいるのですが、なぜ、龍神信仰を隠さなければならなかったのでしょうか?

 

 

 

とにかく、記紀をいくら読み解いても、真実はかなり隠されていることには間違いがないので、今回からは、別の口伝から龍神信仰を読み解いていきたいと思います。

 

これから紹介していく口伝は、口伝の中でも超極秘口伝とされていた「正統竹内文書」です。

 

正統竹内文書は、とんでもなく長い年月の間極秘口伝とされていましたが、第73世武内宿禰こと竹内睦泰さんが、解禁されました。

 

 

 

この正統竹内文書で語られる口伝と、私がシャーマン養成所で学んだ超古代の日本の歴史はとても良く似ています。

 

なので、これから先、龍神信仰や龍族のことをお話していくうえで、度々、正統竹内文書を引用させていただくことが多くなると思います。

 

アラハバキ神・東北シリーズよりさらに長いお話になってくるかとは思いますが、とても驚きの内容ばかりなので、是非、みなさまに知っていただきたいことから、気合を入れてご紹介していきたいと思います。

 

 

まず、その前に・・・

皆さんは「武内宿禰」をご存知でしょうか?

 

日本神話にも登場する伝説のスーパーお爺ちゃんです。

 

 

武内宿禰おじいちゃんは、戦前にはお札にもなっており、5代にわたって天皇・皇后に仕え360歳まで朝廷に忠誠を尽くした伝説の人物です。

 

正統竹内文書は、この武内宿禰の一族に代々伝わる口伝になるのですが、正統武内文書の紹介をしていく上で、まずは武内宿禰さんが、どのような人物だったのかをご紹介しておきたいと思います。

 

 

 

では、まず古事記や日本書紀ではどのように描かれているのでしょうか?

 

武内宿禰は、第8代孝元天皇の孫とされており、第12代景行天皇から第16代仁徳天皇の5代にわたって天皇に仕え続けた重臣になります。

 

 

最初に仕えた「景行天皇」は、息子に有名な「ヤマトタケルノミコト」がいます。

 

ヤマトタケルノミコトは、悲劇の王子としてファンも多い神様ですが、日本神話ではサイコパス的な性格として描かれ、父親の景行天皇が夕食時に兄の姿が見えないことから、ヤマトタケルノミコトに尋ねたところ、「殺しておきました」と答えた、とっても危険な性格だったことから、いつか自分も殺されると考えて、彼を日本中の危険な地域に派遣させて、自分の元から遠ざけました。

 

そして、天皇から命を受けて、危険な場所を探索していたのが武内宿禰になります。

 

武内宿禰は、天皇への忠誠心が半端ではなく、宴の席でもひとり参加せず、飲酒することもなく、何か突発事案があったときのために備えているような人だったと伝えられています。

 

その忠誠心ぶりを見た、後の第13代成務天皇は、武内宿禰に「大臣」の役職を与えました。これが日本初の大臣職の誕生になります。

 

さらに、第14代仲哀天皇の時代には、国の流れを決める重大な儀式にも参加するようになりました。

 

 

仲哀天皇の妻は、神功皇后になります。

私やマスターシャーマンの霊視で、源九郎とよさんの過去世だと考えられている皇后です。

 

神功皇后はすぐれた巫女(祭祀王?)であり、当時は、国の重要な案件を決める時には、彼女の身に神様を降して神のお告げを聞くことで決定していました。

 

仲哀天皇が琴を弾いて神様を呼び出し、神功皇后に降りて来た神様からお告げを聞くその神聖な儀式の場には、いつも武内宿禰が参加しておりました。

 

 

仲哀天皇と神功皇后は、九州の熊襲討伐に出かけていたある日、熊襲討伐の行方を神に問うため3人による儀式を行いましたが、なんと神功皇后に降りて来た神様は、熊襲ではなく「朝鮮半島の新羅をそなたに授ける。すぐに西へ行き新羅を討て」とお告げを下しました。

 

ところが仲哀天皇は、その神の言葉を疑いました。

そして疑った瞬間に神の怒りを買い、その場でお亡くなりになったのです。

 
神の怒りを買ったといことで大騒ぎになり「大祓い」の儀式をして神の怒りを鎮めたのですが、神のお告げをそのままにしておくことはできないため、神功皇后は武内宿禰と共に、再び神をその身に降ろして、神のお告げを確認します。
 
そして、新羅を攻めろといっていた神様の正体がわかりました。
 
なんと
「アマテラスオオミカミ」「コトシロヌシ」「住吉三神」
というスーパービック神様だったのです。
 
それで、神功皇后は妊娠中であったにも関わらず「このようなすごい神様のお告げを無視することはできない」といって、男装して自ら軍を指揮して新羅に戦いを挑み、討伐してしまったのです。
 
これが日本書記に描かれる「三韓征伐」になります。
(この内容については、源九郎とよさんに関係することになるので、別の機会に詳しくご紹介する予定です)
 
この神功皇后の活躍で渡来人が日本へたくさんやってくることとなります。
 
そして、この渡来人を統率したのが武内宿禰になるんです。
この地点で、200歳を超えていると記されています。
 
 
ところが、この200歳を超えていた言われるこの時に、突然、武内宿禰の弟が現れて、
武内宿禰を失脚させようとするのです。
 
名前を「甘美内宿禰(ウマシウチノスクネ)」と言い、時代は第15代応神天皇の時代に移っていました。
 
ウマシウチは、応神天皇に兄の武内宿禰が命を狙っていると密告し、天皇はウマシウチの密告を信用して、武内宿禰を始末しようとします。
 
武内宿禰は完全に無罪だったのですが、武内宿禰の代わりに武内宿禰のそっくりさんの「真根子(まねこ)」という人物が間違って殺害されます。
 
これに激怒した武内宿禰は、朝廷に乗り込んで行きウマシウチと対峙することとなります。
 
当時は、どちらが正しいかを決めるのは占いだったので、ここで誓(うけい)をすることとなります。
 
 
この時行われた誓は、「盟神探湯(くかたち)」という占いであり、ぐつぐつに煮た熱湯に同時に手を入れて、正しい方は火傷をせず、間違っている方は大火傷をするということで見極めることになりました。
 
ウマシウチが大火傷をしたため、武内宿禰の無罪が証明されたのですが、なんと武内宿禰はウマシウチを処罰せずに許すという器の大きな処置を行いました。
 
 
その後、第16代仁徳天皇の時代に移ります。
 
仁徳天皇は、善政を行ったことで有名な天皇であり、納税も行わず、自分はボロボロの屋敷に住んで、民が毎日食にありつけることを喜んだそうですが、
 
この仁徳天皇の時代にも、武内宿禰は仕えていたのですが、その後の武内宿禰の記録は記紀には記されていないんです。
 
けれど、「因幡国風土記」によると、360歳くらいの時に、とある山に入りそのまま行方不明になったと記されているのです。
 
 
ということで、天皇家家臣機関だけでも200年超を超えると記されている武内宿禰ですが、どの時代においても、徐々に老いていくのではなく、ずっと年寄りの外見だったそうです。
 
 
 
そんなことから、武内宿禰は「実在したのだろうか?」と疑問視されているのです。
 
けれど、武内宿禰には子孫がたくさんいます。
平群氏、葛城氏、蘇我氏等の先祖も武内宿禰だと言われています。
 
なので、一般的には「モデルになった人はいたのではないか?」と考えられつつも、伝説上の人物というのが通説となっています。
 
 
 
ただ、記紀には武内宿禰が実在していたというヒントが隠されています。
 
応神天皇の時代に、弟の嘘の密告により命を狙われましたが、そっくりさんの真根子が代わりに殺害されたものの、武内宿禰は助かります。
 
朝廷から武内宿禰を殺害しに来たとき、たまたま武内宿禰のそっくりさんがその場にいて、間違えて殺されたわけなどありえません。
 
それも名前が「真根子」であり、これは「真似をしている子」になるので、当時、武内宿禰の真似をしている人物が存在していたと思われます。
 
ここから推測できることは、武内宿禰は、何代にも渡って入れ替わっていた可能性があるということです。
 
 
 
武内宿禰を名乗る事物は何代にも渡り存在し、それまでの歴史や記憶などを共有し、ひょっとした人格さえも受け継いでいたとしたら?
 
もし、このことが可能であれば、武内宿禰という人物は、何百年、何千年も存在し続けることができるということになります。
 
そして、この武内宿禰が現在も、受け継がれていたとしたら?
 
 
 
現代の日本に武内宿禰は「役職」であり、受け継がれてきたものであると主張し、武内宿禰を名乗る人物が突如として現れたのです。
 
その人物が、第73世武内宿禰こと竹内睦泰(たけのうちむつひろ)さんなんです。
 
 
彼の話では、武内宿禰というのは「世襲制」であり、親子、兄弟間の中で受け継がれていた「称号」だということです。
 
竹内一族の中から一人選ばれて、先代の武内宿禰が、武内宿禰の記憶等をすべて伝えて行くそうです。
 
神道や歴史だけでなく、個人の恋愛や人間関係まで口伝で伝え、次の武内宿禰は全部それを覚えるそうです。
 
 
 
そうやって、武内宿禰という存在が受け継がれてきたそうです。
武内宿禰の肉体というのは記録媒体であり、時間を超越して永遠を生きて来た存在だということだそうです。
 
 
 
歴代の武内宿禰は、
 
大化の改新で蘇我氏の屋敷ごと燃やされた歴史書の「帝王日嗣」を口伝で受け継ぎ
南朝天皇家の子孫の口伝も受け継いでいる
 
そうです。
 
 
そして、この2つの口伝が合わさったものが「正統竹内文書」になるそうです。
 
 
ということで次回からは、突然、現代に現れたこの正統竹内文書についてご紹介していきたいと思います。
 

 

★ 龍族の女王源九郎とよさんのブログ


とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、

源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された

ことについては、その活動記録のサイトを立ち上げられています。

 

このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。

私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。

 

そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。

源九郎稲荷神社~復興への道~
https://genkurou-inarijinjya.ne