花の道南ツアー 3 大千軒岳(だいせんげんだけ)
6月9日 晴れ 夕方から雨
大千軒岳の松前側の堂々松前石崎線の災害復旧工事のため知内コースからの登山。
この旅のメインイベントだ。
熊のフンだらけの林道を国道から6キロぐらい入ったところより登り始める。
はじめの1時間半は川に沿った道だがアップダウンが激しく、崩壊箇所もありいいペースで歩いても1時間半くらい。渡渉は水量はどうということはないが水温が低く川苔のようなヌメリがありとても滑る。
ここはスパッツ装着で玉石の箇所を見つけて走り抜ける作戦に。
再び川に沿っての道は思いがけないニリンソウロードで札幌砥石山のような群落だ。2度の渡渉がある(なくても行ける)が下が砂地か玉石なので問題はない。
金山番所跡で休止するが、日が昇るとやたらとブヨがうるさい。
急登を登り切って休み平までくると周りの枝尾根が見えるが沢筋は真っ白でところどころ穴が開いて、中に滝の白い泡が見えている。今年は残雪が多いのだ。
キレットの沢のところで残雪に出会うがそれほど厳しいということはなくキックステップで抜けると千軒平。見事なまでのシラネアオイ。一面見渡すかぎりのシラネアオイ。
一段上がって十字架のところは一面のミヤマキンバイ。
ここでお昼を食べて山頂までのお花畑散策。ハクサンイチゲが蕾だったが草原は花だらけ。もう言葉は要らない。およそ30分ほどで山頂に立ち、再び同じ道を戻る。
キレットの沢の下りだけ慎重に下る。あとは渡渉だけだがもう靴が濡れてもかまわない。
日中の気温上昇で川の水はささ濁りだが、水量が出ていないので底も見える。ここもスパッツ併用で走れるところを走り抜けるが、僕は川の真ん中でバックアップ。当然ぐちゃぐちゃ。
渡り終えて大休止し、靴下を何回か絞る。
車に戻り、今晩は北海道のイタドリを食べましょうと林道の斜面を探しながらのろのろ運転しているととハンドルがなんかおかしい。
「これは!」と窓から左前のタイヤを見るとペッチャンコ。
ビードが落ちてホイールが空転している。道路の真中だがだれもいないのでジャッキアップする。ヘルパーゴムを下に敷いて数回のチャレンジでなんとか車は上がったがホイールとハブが固着して取れない。
これはどうにもならないので、お客さんを車に残して麓まで走る。6キロ30分は不可能ではない。
熊フンだらけの道を奇声をあげながら走りぬけ、最終人家である「千軒熟」の浅野さんのいえに飛び込む。
まず福島からタクシーを手配しお客さんを迎えに行かせ脱出させる手配。なんとか日没には間に合いそうだ。その後でJAFを呼んでこちらは長丁場になる準備。
JAFの車と合流するまでにお客さんを載せたタクシーが来たので温泉と食事のことを運転手にも頼む。
浅野さんがバターで焼いた卵焼きとコーヒーを持ってきてくれた。とても美味しかった。
日の落ちた林道をJAFの車で入り、再び不安定なジャッキアップにチャレンジ。ジャッキを2台かけてなんとか車を上げ角材を当ててハンマーで叩いて固着ははがせた。スペアタイヤに替えて国道に出たのが20時15分。お客さんを追って知内温泉に行くがもうすでにタクシーで出ているとのこと。泥だらけの体をさっと流すだけ流させてもらい、お客さんの後を追って学校に到着したのが21時30分。長い一日だった。

登山口付近にあるイワカガミ

キバナイカリソウ

千軒金山番所跡 島原の乱の後までここでたくさんの鉱夫が番所に諸場代を納めながら砂金掘りをしていた。なかには国を追われてたどり着いたキリシタンも多かった。松前藩は幕府への米の石高制を特別扱いにされていたので、金の産出も石高とされていたらしい。積極的に鉱夫を受け入れ、当初領内にキリシタンなしとしていた松前藩だが島原の乱を受けての禁教令ののちこの場所(とされる)をふくめて3箇所で106名のキリシタンの一斉処刑に踏み切った。

木漏れ日のシラネアオイ 休み台

ツバメオモト 休み台

フギレオオバキスミレ(エソキスミレ) キレットの沢

シラネアオイ 千軒平

十字架

お花畑と山頂 津軽海峡と松前半島という特殊な位置関係が1000m足らずの山地に3000mのような景色を作り出す

シラネアオイ 同じ株でも色が違う

シラネアオイは雪田に ミヤマキンバイは乾燥した風衝地に ハクサンイチゲも風衝地にときれいに住み分けされている
大千軒岳の松前側の堂々松前石崎線の災害復旧工事のため知内コースからの登山。
この旅のメインイベントだ。
熊のフンだらけの林道を国道から6キロぐらい入ったところより登り始める。
はじめの1時間半は川に沿った道だがアップダウンが激しく、崩壊箇所もありいいペースで歩いても1時間半くらい。渡渉は水量はどうということはないが水温が低く川苔のようなヌメリがありとても滑る。
ここはスパッツ装着で玉石の箇所を見つけて走り抜ける作戦に。
再び川に沿っての道は思いがけないニリンソウロードで札幌砥石山のような群落だ。2度の渡渉がある(なくても行ける)が下が砂地か玉石なので問題はない。
金山番所跡で休止するが、日が昇るとやたらとブヨがうるさい。
急登を登り切って休み平までくると周りの枝尾根が見えるが沢筋は真っ白でところどころ穴が開いて、中に滝の白い泡が見えている。今年は残雪が多いのだ。
キレットの沢のところで残雪に出会うがそれほど厳しいということはなくキックステップで抜けると千軒平。見事なまでのシラネアオイ。一面見渡すかぎりのシラネアオイ。
一段上がって十字架のところは一面のミヤマキンバイ。
ここでお昼を食べて山頂までのお花畑散策。ハクサンイチゲが蕾だったが草原は花だらけ。もう言葉は要らない。およそ30分ほどで山頂に立ち、再び同じ道を戻る。
キレットの沢の下りだけ慎重に下る。あとは渡渉だけだがもう靴が濡れてもかまわない。
日中の気温上昇で川の水はささ濁りだが、水量が出ていないので底も見える。ここもスパッツ併用で走れるところを走り抜けるが、僕は川の真ん中でバックアップ。当然ぐちゃぐちゃ。
渡り終えて大休止し、靴下を何回か絞る。
車に戻り、今晩は北海道のイタドリを食べましょうと林道の斜面を探しながらのろのろ運転しているととハンドルがなんかおかしい。
「これは!」と窓から左前のタイヤを見るとペッチャンコ。
ビードが落ちてホイールが空転している。道路の真中だがだれもいないのでジャッキアップする。ヘルパーゴムを下に敷いて数回のチャレンジでなんとか車は上がったがホイールとハブが固着して取れない。
これはどうにもならないので、お客さんを車に残して麓まで走る。6キロ30分は不可能ではない。
熊フンだらけの道を奇声をあげながら走りぬけ、最終人家である「千軒熟」の浅野さんのいえに飛び込む。
まず福島からタクシーを手配しお客さんを迎えに行かせ脱出させる手配。なんとか日没には間に合いそうだ。その後でJAFを呼んでこちらは長丁場になる準備。
JAFの車と合流するまでにお客さんを載せたタクシーが来たので温泉と食事のことを運転手にも頼む。
浅野さんがバターで焼いた卵焼きとコーヒーを持ってきてくれた。とても美味しかった。
日の落ちた林道をJAFの車で入り、再び不安定なジャッキアップにチャレンジ。ジャッキを2台かけてなんとか車を上げ角材を当ててハンマーで叩いて固着ははがせた。スペアタイヤに替えて国道に出たのが20時15分。お客さんを追って知内温泉に行くがもうすでにタクシーで出ているとのこと。泥だらけの体をさっと流すだけ流させてもらい、お客さんの後を追って学校に到着したのが21時30分。長い一日だった。

登山口付近にあるイワカガミ

キバナイカリソウ

千軒金山番所跡 島原の乱の後までここでたくさんの鉱夫が番所に諸場代を納めながら砂金掘りをしていた。なかには国を追われてたどり着いたキリシタンも多かった。松前藩は幕府への米の石高制を特別扱いにされていたので、金の産出も石高とされていたらしい。積極的に鉱夫を受け入れ、当初領内にキリシタンなしとしていた松前藩だが島原の乱を受けての禁教令ののちこの場所(とされる)をふくめて3箇所で106名のキリシタンの一斉処刑に踏み切った。

木漏れ日のシラネアオイ 休み台

ツバメオモト 休み台

フギレオオバキスミレ(エソキスミレ) キレットの沢

シラネアオイ 千軒平

十字架

お花畑と山頂 津軽海峡と松前半島という特殊な位置関係が1000m足らずの山地に3000mのような景色を作り出す

シラネアオイ 同じ株でも色が違う

シラネアオイは雪田に ミヤマキンバイは乾燥した風衝地に ハクサンイチゲも風衝地にときれいに住み分けされている