お久しぶりです。引っ越しと取扱業の登録し直し等生活環境の変化にしばらく体がついていきませんでした。次のイベントまでしばらく時間がありますのでコンディションを整えていこうと思います。

さて、タイトルにあるように今回のテーマは「仏教的活き餌理解」です。
Twitterワールドで度々起こる活き餌論争に、一つの着地点としてご紹介できればと思います。

ご存知の通り私たち爬虫類飼育者は飼育個体に虫、マウス、ラット、ウサギ、場合によってはブタなどを給餌します。これらの動物たちを餌として扱うことに罪悪感を感じることも少なくはありません。多くの論争は飼育個体のためにこれらの他の動物のいのちを奪うことに対する罪の意識から引き起こされます。

キリスト教的解釈では神は人間のために世界を創りました。人間以外の動物は人間のためにつくられたのです。神が人間の食べ物になるようにある動物を作ったとき人間がその動物を愛護動物として飼育することを、神が人間の心を癒そうと飼育するための動物をつくったとき人間がその動物を食べ物として扱うことを、人間は違和感があると感じます。神の意思への反発、思惑通りでないと感じるからです。

仏教におきましては大切な言葉の一つに「縁起」と言うものがあります。「縁起が良い」「縁起を担ぐ」などとよく使われますが、「縁(よ)って起こる」と言うものが本来の言葉の意味であります。「よっておこる」と言うことは「何かによって物事が起こる」から転じて「全ての物事は全ての物事のおかげである」との意味になります。全ての物事はどこかで必ず繋がっており、私が存在するのはあなたのおかげ、あなたが存在するのも私のおかげでございます。何か一つが存在していなければ今の私は存在しません。

あなたは「縁起」によって今その状態で存在しているから、大事でない物事は一つもありません。

動物を飼育することも餌として扱うことも同じです。全ての物事に因果があるからこそ全ての物事に感謝します。私たち人間の心を満たすために飼育されている動物たち、その動物たちを生かすためにいのちを廻す動物たち、それらのどの動物にも自分に繋がる縁起がありますから、今夜給餌するときにでもありがとうと言ってみませんか。心の中で呟くだけで結構です。感謝の心を意識すれば感情的で醜いTwitter論争も起こらないかもしれません。

今日もみなさんありがとうございます。みなさんの1日が良い日になることを願って。ではパー