ラジオを語る~Radio! Too Tough To Die!!-能年玲奈 あまちゃんをNHKオンデマンドで見始めて、本放送に追いついたのはようやく9月に入ってから。

放送当初からハマっていた人だけに当てはまる言葉だと思っていた「あまロス」。
どうやら、見始めた時期は関係ないようです。

おれの心にはぽっかり穴があいている。

習慣化していたものを失った喪失感ではない。

この物語があまりにも楽しくポジティヴだったがゆえに、完結してしまった後にいやでも「あまちゃんの世界とは真反対のおれの日常」に対峙させられ、その落差に順応するのが困難になっているためだ。

一例を出す。

「ダサくても楽しいからやってんだ!ダサいくらいなんだ!そのくれー我慢しろ!」

グレてすっかりひねてしまったユイに対してアキが激昂するシーンのセリフ。

名シーンのひとつであると思う。

この名セリフを何とか自分にフィードバックしたいと思う。

しかし、自分の中からははかばかしい答えが返ってこない。

そもそもの、「楽しいこと」がないからだ。

気の置けない友人と酒を飲んだりバンドやったり、刹那的な楽しみはある。

それを継続していくしか術がないと思わなくもない。

むしろ、そう思うべきだと考えたりもする。

けれど、そうではなく、何というか、芯になるもの、「このためにおれは生きてる」的なものをどうしても欲している自分を否定できない。

自分の半生を俯瞰してみると、常にこの「このためにおれは生きてる」的なものを探して生きてきた気がする。

何度かそれをつかみかけた瞬間はあったし、その都度「ダサくても楽しいからやって」いたけれど、一生かけられるようなものにはこの年齢(42)になってもついぞ見つけることができなかった。

そのこと自体はいい。

いろんなことがあったけれど、おれはその都度懸命に生きてきたという自負があるし、反省してる部分はもちろんあるけれど、決して後悔していない。

問題は、今だ。

本当に楽しいことがあれば、アキの言うように、ダサいことなんて気にせずそこに邁進したい気持ちはあるし、その気持ちはあまちゃんという良質のドラマを見たことで大きく後押しされたと思う。

ただ現時点で、それに相当する「楽しいもの」がない。

年齢だろうか、気力体力の衰えだろうか、諦念だろうか。

あるいはそれらすべてを総合して俗にいう、ミッドライフ・クライシスといった、中年特有の心理的危機状態にあるからだろうか。

分からない。

もう全てをなげうってしまいたい気持ちと、とりあえず現状は維持しろというバランス感覚がおれの中で肉弾戦を繰り広げている。

生きることは何と厳しいことか。

しかしだ、「どんなに落ち込んでても、おなかは空くんだよねえ」という春子のセリフが、空腹を思い出させる。

カレーうどんでも、食お。