ラジオを聴くことほどではないが、昨年からやたらと映画を見る機会が増えたので、「映画備忘録」という新たなテーマたてちゃう。
インビクタス~負けざる者たち
南アフリカ大統領ネルソン・マンデラに、モーガン・フリーマンをキャスティングしてるが、いやあこれマンデラさんそのものじゃないの?(会ったこと無いけど)と思わせるほどの好演。
とにかく多くの映画に出演しているけど、インテリな黒人のおじさん、イコール、モーガン・フリーマンというイメージが完全に根付いちゃってるな。
モーガン扮するマンデラ大統領は、人あたりはあくまでソフトにやさしく、一方でアパルトヘイト後の国をよくするためにはスポーツを政治利用することをも全く厭わないという強い姿勢も同時に持ち合わせている。
ラグビーの代表選手たちに会いに行く折、前もって全選手の名前を暗記していく場面がある。
大統領と言う立場に限らず、人が誰かと仲良くなろうと思うときに必要なテクニックのひとつだと思うが、その前提に「南アのラグビーチームを強くすること、それこそが肌の色による区割りのない国を作るために必要なことである」という強い意志がある。
強い意志は感染する。
政治とスポーツを題材にしてるが、この「強い意志は感染する」ということ、これがこの映画のメインテーマであろう。
その結果、見事南アは自国開催のラグビーワールドカップで優勝する。
本当に優勝しちゃったんで、やや出来すぎっぽい印象もなくはないが、これは史実であるので、まあ、致し方ない。
イーストウッド監督、名作を連発してるが、この映画も地味ながら、快作。
(500)日のサマー
恋愛ものの映画って、おれ、ひょっとして生まれてはじめてみたかも。
恋愛ものって、テレビドラマなんかみてても、異性のことだけで人生が成り立ってるようなメッセージにリアリティが感じられなくて、今まで全く手を出さなかった。
映画冒頭で、「これは恋愛映画ではない」とうたってはいるが、まあそれはある種の皮肉であろう。
恋愛が成就しつつあるウキウキ感と、カップルが崩壊していく様子が時系列をズタズタにして描かれることによって、ある特定の異性を好きになることとは何か、ということと、同じく、ある特定の異性との距離が離れていくというのはどういうことか、ということを厭が応にも考えさせられる。
運命を信じる男と、信じない女。
しかし、女は、信じていなかった運命によって別の男と結ばれ、男は信じていた運命によって裏切られる。
この映画に限って言えば、「このくされまんこが!」と言いたくもなるが、現実には、男女が逆になることも大いにあるだろう。
おれはと言えば、運命論者であるような気もするし、そうでもない気もする。
過ぎたことは起こるべくして起こったことだし、どうにもならないことだ。
「運命論者」というより、「必然論者」とでもいうべきか。
反省はするが、後悔はしない、というのが物心ついたころからの基本スタンスであった様な気がする。
映画そのものは、そんな感じである意味悲しい映画だけれど、音楽の使い方もよいし、演出・脚本ともによくできているので、十分鑑賞に耐えられる出来だと思う。
面白かった。