『生きてるだけで、愛。』という、ドラマ映画を見る。
趣里の演じる女が、「ウォシュレットが怖い」と同僚にさらけ出す場面がある。
うんうん。大共感
ウォシュレットではないけど、自分にも思い当たるエピソードがある。
生きづらさの一つが、音の過敏さなのを思い出す。
その中で、もっとも印象的なのがトイレの流す音。
今回は、それについて話そう。
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まず1つ目は、エピソード・・
確か、私が幼稚園児だったと思う。
近くのスーパーに行ったとき、
そこの和式トイレで用を足し、腰を少し浮かせてトイレットペーパーを手に取ろうした瞬間、
勢いよく水が「ジャ~」
え!?
“ながす”をおしてないのに、なんでながれるの〜!?
30年以上前なので、自動洗浄のあるトイレはほとんどなかった。
それが、「トイレの流す音が怖い」に繋がる。
それから、家以外のトイレに恐る恐る入ることになる。
まさに、トイレのロシアンルーレット
「ここのトイレは、かってにながれない」
と流した直後に、素早くトイレを出る。
セーフ
外のトイレをなるべく避けていたので、
しばらく、勝手に流れるトイレに当たることはなかったけど。
ボットンもあったせいもあり、怖かった。
近年に近づくにつれ、自動洗浄トイレは増えていく。
また当たったー
で、次第に流れる音に慣れることができた。
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個人差はあるけど、敏感な人は、
思いがけない大きな音、出来事が怖い。
生まれつきの過敏さが原因なのか?
それとも、勝手に流れるトイレの前段階で、トラウマの種を拾ったのか?
たとえトラウマが消えても、
「あなた、変じゃない?」など、誰かにバカにされたりが続く。
その小さなキズと、
「自分はおかしいかも」と自己否定が積み重なり、
ビクビクしたり、大人になり背負いきれなくなる。
環境によっては。
敏感な子には、たくさん心の準備をさせておくのが大事なのかもしれない。
もし私が親なら、
「あなたは臆病すぎるのよ」なんて言いたくない。
生きづらいのに、毎日よくやっているよ。