ブログで1年を振り返るのは6年振りです。

ここで6年分を振り返るのは到底無理なので、今年1年を振り返ってみます。

 

まず世間と関係ある話題ですが、年金2,000万円問題でしょうか。

 

話題の元となった金融庁の報告書

https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/tosin/20190603/01.pdf

 

全文を読もうとしましたが、途中で長過ぎて挫折しました(^^;;


65歳から年金をもらい始めて、95歳まで生きた場合、年金以外で2,000万円の資金が必要!との事です。


色々と個人差があるので、一概には言えないのでしょうが、私はこのニュースを機に生活面を変えることにしました。

 

変えた!と言っても以下の2点だけです。


①断酒を決意

「決意」というほどではありませんが、結果的に飲まない!と決めて今日に至ります。9月21日から


②投資信託の割合を増やす

これまでも賞与はほぼ投資でしたが、月々の幾らかも投資にまわすことにしました。現在、現金の貯金はほぼありません。

 

この2点を60歳まで続けられれば、無理なく2,000万円はクリアできそうです。

ただし断酒を続けられて、月収も今より下がらなければの話ですが…

 

断酒については、別記事で書いた通りです。昨日も大学の同窓会でしたが、一滴も飲んでいません。


カラオケも飲まずに行きました。元々、飲まずに歌うことに抵抗があったのですが、徐々に慣れてきました(^^;;

 

さて、ここからは世間とは関係のない話題になりますが、長年介護してきた母の他界。これが私にとって、今年一番の出来事です。


享年74歳ですから、一般的にはまだまだ若い年代です。先の年金の話題ですと、そもそも2,000万円の貯金など、あまり気にしなくても良い年代です。

 

他界したのは7月31日の事でした。

連日猛暑で、エアコンをつけて寝ていたのですが、自宅で訃報を聞いたのは深夜0時台だったと思います。


嫁さんの携帯に病院から電話があり、その時は危篤状態だと言っていたようですが、1時過ぎに病院に着いた時には既に亡くなっていました。

 

母は7月上旬から約3週間、肺炎で入院しており、痰の除去対応が特養では難しくなり、仮に退院したとしても特養で再入居するのが難しいと言われていました。私は何とか次の入居先を探し、依頼する一歩手前の状況でした。仮に依頼していたとすれば、市内ではなく、奈良市まで移動させることになっていました。

 

そんな状況下での訃報。

私は母の死という現実を冷静に受け止め、これで(父に続いて)母の介護も終わったことを悟りました。

 

そこからは大変でした。幸い身内は少なかったので、連絡する先は最小限でしたが、もちろん葬儀のことなど考えていませんでしたし、何しろ猛暑なので、母の遺体もドライアイスなしでは現状を保てません。しかしタイミング悪く、場所の関係でお通夜と葬儀が1日遅れ、8月1日にお通夜、翌2日に葬儀を取り行いました。火葬を済ませ、9月15日に49日も終わり、今はまだ仏前に遺骨があります。納骨は年始に行う予定です。年越しにしたのは、生前の母はあまりゆっくり家で休めなかったため、そんなに事を早くしても仕方がないと考えたからです。母の誕生日は2月ですので、それまでには納骨を済ませます。

 

今年1年は母の他界を機に生活面が大きく変わりましたが、その前後というのも慌ただしく、あっという間の1年だった気がします。


幸い仕事面は順調でした。相変わらず外国人技能実習生関連の仕事ですが、需要が多く、数字には困らない1年でした。

 

2015年の父の他界、2019年の母の他界。振り返ってみれば共通点があります。

それは仕事面が順調であった事。両親ともわざわざ仕事が順調なタイミングを見計らったかのように、亡くなっていきました。


両親とも最後まで息子の事を考えて亡くなっていったのかと考えたら、涙が止まらない… そんな1年でした…

 




さて来年は… またブログを定期的に書こうかな?

わかりませんが、yahoo blogの閉鎖を機にまた復活させるかもしれませんし、今回のように振り返りだけかもしれませんが、取り敢えず1年元気でいられた事に感謝して、良い新年を迎えたいと思います。