NYでの禅修行で


お寺に通っていた短い3年間で


沢山の普段知り合わないような方と知り合った


大規模なイベントでは(お盆とか年越しとか)


100人以上の弟子、関係者が集まるので


お寺はそれはそれは大忙し、、


そして前述した接心という集中的に行われる禅修行も(歩きながらの瞑想という休憩を入れながら基本一日中座禅)


多い時で50人程参加するので


一年を通してなかなか沢山の方と接する機会があった


そして気付いたのは


結構な割合で精神を病んでいる人も俗世から逃げるようにお寺に来ると言うことと


あとは学者系の方達や


一般的に成功者と言われるような人々もある程度いた(お寺はこう言う成功者の方達からの惜しみない寄付で成り立っている)


そしてもう一つ気付いたのが


意外にも出逢いの場になってしまっている事


共通の宗教感を持ち


同じ物や事に傾倒し


同じ事に感動したり苦しんだりするって言うだけでも


お互い大分心開けるもんね


私も最終的にこのお寺で


恋に落ちてしまっているので


人の事は言えない真顔


まさに同じ穴のムジナアセアセ


それまで


「ふ、ふーん、、」


なんて冷ややかな目で


新しい生徒やビジターと恋に落ちてお寺を去って行く僧侶だったり


生徒として来たばっかりですぐに誰かと恋に落ちて


座禅どころはなくなって行く様を見ていた自分が


まさか僧侶と恋に落ちるとは夢にも思わなんだ真顔


そして自分も恋に落ちてみて


感じた事は


自然に湧いてくる欲は


抑制し過ぎてはいけないと言う事真顔


抑制しすぎると爆発しちゃうんだなってポーン


老子は抑制しなさ過ぎてて


78歳という当時の年齢からも


もう驚きしかないが、、


ところで、集中的な禅の修行、接心は


大体7〜8日間の座禅三昧の日々で


この接心の期間中


他人と目を合わせることさえ禁じられ


他人との会話も老子と面談の時以外は無し


その自分とひたすら向き合う


欲をも削ぎ落とすような7〜8日の修行の後


驚くことに


数人の参加者から言い寄られる事が何度もあった


というのも


その当時三十代半ばの私は


お寺の世界では若い方だった事と


皆さんが接心の修行中に欲を抑制し過ぎていて


接心後には多少おかしくなっていたからではないかと思う真顔


私としては


「今接心終わってめっちゃスッキリした気分なのに、何言ってんだこのおっさん達ポーン


とその当時は思ったものだが


今思うと


みんな無理してたから弾けたくなっちゃっただけだよね真顔


まぁ


結局僧侶に最終的に恋をした私に偉そうな事は


ぜーんぜん言えないんだけどニヤニヤ
接心の座禅の様子
延々と40分刻みで座禅が続き
合間合間にこのような歩く瞑想の時間がある