続きです
父のために
母は何度も頑張った と
思うようにしてるけど…
母はきっと辛かったよね
何度も
私が異変に気づき
病院に連れて行くという
あと30分遅かったら…
とか
ご親戚呼んでください
とか
4回くらいあったかなぁ
やれる事はやった
と
思うようにしているが
本当は
どうしたかったのか母に聞いてみたい
最後に1年4ヶ月
お世話になった施設スタッフさんに
一番娘さんがしんどかったね
と
言われてボロボロ
母が亡くなって初めて泣けた
今は
川向こうで先に逝った
仲良しの妹(私も大好きな叔母)と
楽しくしてるんだろうな
仲良し夫婦は
片方が亡くなったら
すぐもう一人も亡くなる
と
信じているじいちゃん
なかなか
お呼びかかりそうにないよ
ようやくやって来た母と楽しくしているであろう
叔母も20年近く叔父を呼んでないし
母が救急搬送されたとき
今夜が峠という時に
どうやら私が呼び戻したらしいので
叔母は首を長くして待ってたはず
ICUで
目覚めた母言うには
綺麗なお花畑の向こうに
自分の妹と母がいたけど
娘の私が呼ぶ声がした
そしたら
妹と母は
すう〜っと
遠くに行った
臨死体験‼︎
叔父
こちらは要介護2
近所なので
20年近く見て来て
独居は無理だよーと思ってた叔父
明らかに認知症だもの
寒いからと(夏です)
台所のガスコンロをつけたままにしていた
最近になって娘がお世話頑張ってる
でも娘が怖いからと
週4でデイサービス行ってくれるもんね
電車10分くらいの所に一人住まいの娘
叔父が倒れてしばらくは実家住まい
でも今は
朝のデイサービス見送りも
ヘルプお願いして
夕食は宅配弁当
ある意味
羨ましい
介護される人の
性格って
大事だなぁ
ちなみに
叔父はとてもとても
頑固な反骨者
子供の頃は
怖いおじちゃんだったな
こちらは
おとなしくなる認知だったのねー