※ここに至るまでの背景(生まれてから、赴任を言い渡されるまで)については、前編・中編-1をお読みください。

アメリカに行くという選択肢に若干の抵抗感がありながら、2020年7月赴任の準備をする中、パンデミックが発生しました。

6)コロナからのアメリカ赴任

・緊急事態宣言発出(2020年4月)
3か月間の工場研修開始前、日本1回目の緊急事態宣言が発出され、発出後は移動が非常に困難になるとの見込みであることを受け、関東某県の自宅アパートを残したまま、工場のある高級牛肉で有名な東海某県への一時仮住まいへの引っ越しを、車でしました。車は 当然、関東圏内のナンバーです。
妻は異動に伴い、勤務地が変わったため、少しでも通勤を便利にするため、単身赴任で関東某県の別の市内に引っ越し、別居生活をスタートしました。

緊急事態宣言後、当時の東海某県では、知事が観光スポットへの客を県民限定とする施策をとったため、
県外から来た私は非常に肩身の狭い思いをしました。
それでも、当時の外食禁止風潮を打破するかのように、外食しまくりました(今だから言える)し、
山が比較的近い、忍者にゆかりのあるところにも訪問しましたが、観光スポットには、出かけられませんでした。

また、ゴールデンウィークに一度関東に戻りましたが、東海に帰ってきて、会社方針により自主隔離を余儀なくされました。
そのため、3か月間の研修が少し伸びてしまいました。

何をしてモチベーションを維持していたのか・・・。今から思い出すのも難しいですが・・・。

・YouTubeで、アメリカのニュースやアメリカを取り上げている日本人YouTuberの番組を見る

特に、私個人としては、NBCニュースが一番わかりやすく、思いついたら見るという感じでした。
ただ、アメリカのコロナの状況を視聴するたびに、心が痛みました。
それでも、赴任したら必ず必要になる英語だろうと思い、可能な限り吸収しました。

・研修後、就労ビザ認可されず、渡米見込み立たず
7月中旬、関東に帰ってきました。就労ビザ認可の目途が立たず、ひたすら待ち続けました。
現地の会社側も、州政府に働きかけるなどの連絡をしていたようでしたが、なかなかその兆候が見られませんでした。
そんな中、2020年12月、事態は急展開。

会社からビザ発給の目途がたったとの連絡がありました。そこからは・・・あっという間でした。

1月下旬:ビザ面接 東京のアメリカ大使館にて
2月:ビザ発行
2月:引っ越し荷物搬出

2月:自宅(アパート)解約→車売却→妻宅に一時滞在
2月18日:渡米

我々には持ち家がないため、固定資産を維持しなくてもよいという状態はある意味楽でした。
車(軽自動車)はすでに10年以上乗りつぶしていたので、ディーラーに8万円で引き取ってもらいました。

・2021年2月の羽田空港国際線ターミナル(現:第3ターミナル)

出発前日、人がいない。ガラガラでした。ターミナル直結のホテルに宿泊。
その一方、国内線は結構な乗客がいて、本当に同じ空港にいるのかと錯覚してしまいました。
当時、飛行機の搭乗に必須だった陰性証明をとるため、空港内の検査場にて検査を受け、陰性証明書を無事ゲット。

 

出発数日前、当時アメリカを襲った大寒波の影響で、テキサス州のあらゆる機能が停止したとのニュースを見て、

本当に行けるのかと、これまた不安に。

その後、寒波は開けるとの見込みを聞き、無事出発。

寒波の影響が残るヒューストン経由でカンザス州ウィチタに無事到着したのでした。
 

~つづく~