※ここからは、人生の選択を左右する内容が続きます。
ここに至るまでの背景(生まれてから、転職まで)について、前編で書いておりますので、まずは前編をお読みください。

5)転職前
14年間務めた、関東にある某大手化学ベースメーカーを退職しました。
この会社では、「研究所」という名の開発部門の、異動したくなかった部署に10年以上在籍しました。
英語を使う業務がまれに発生(特許と文献)していましたが、
海外関連の業務は、顧客対応として、韓国と台湾、年1回のアメリカでの学会発表でした。
私は管理職でもなく、かつこの業務における学術的なバックグラウンドがなかったため、海外出張はおろか、学会発表の機会すらなかったです。
いわゆる英語でいうところのFormulatorという仕事についていました。

Formulatorという表現は、英語だからこその表現だと考えており、
日本では、おそらくですが、この職種の一般名称がないような、気がします。
仮に私の知る日本語の表現をしてしまうと、会社名が特定されます可能性があります。
他社の表現もあるでしょうが、誤解を招く可能性もございますので、ここではあえて英語で表現させていただきます。

Formulatorという仕事は、一部の「ヒーロー」と呼ばれる、製品開発には欠かせない人材もいましたが、
私を含むその他大勢は、モノづくりに従事するためにマンパワーを提供するだけの、学位のある働きバチ的な存在でした。
また、上記のように、職種の一般名称が日本語では存在しないため、日本では目立つことはほぼなく、
40歳になるまでに管理職になって、周りを見返してやろう、ということも考えておりましたが、
その見込みが薄くなったことから、転職による機会探索を行う決断をしました。

大手転職サイトを利用した結果、関東の同じ県内にある化学系製造業のメーカーにて、
同じようなFormulatorという職種で、かつ管理職候補を探しているというニーズに対して、
自分が非常に適合するとの判断をいただき、無事転職することができました。


5)転職後
転職してすぐ、海外の重要なお客様を相手に仕事をし、
転職後半年で、上司の代理でドイツに出張、以来海外出張=ほぼドイツ出張でした。
お客様の企業がイギリスにあり、英語が社内共通語、ほぼドイツ人相手、会議は英語でした。

そして、転職3年目、念願の管理職に昇格することができました(その後の昇格はまだなのですが)。

アメリカに赴任するまで、現会社で6年間、「まともに」英語を使って仕事をするという、
高校時代から持っていた理想像をようやく体現できたのではないか、と思えるようになりました。

その後は、曲がりなりにも管理職を続け、
アメリカ工場立ち上げプロジェクトのサポートに携わったことがきっかけとなり、2020年に異動を言い渡されました。

ただ、この時はアメリカへの異動はありうるかも、と思いましたが、
その一方で、海外に行くことは抵抗がないが、
ヨーロッパへの思いは依然強く、アメリカに行くという選択肢には抵抗感がありました。