実生活に役にたつ情報については、まだ整理を続けております。力不足ですみません。
これらの情報をアップロードする前に、
赴任を言い渡されたときに、本当にアメリカに行きたかったのか、ということについて
私の生い立ちの一部を紹介しながら振り返りたいと思います。

1)家庭
父はごく普通のサラリーマン、母は専業主婦である両親から生まれ、育ちました。
私はきょうだいなし、つまり一人っ子です。
私が、一番最初にアメリカ的な影響を受けたのは、母親の趣味嗜好のうち、洋画でした。
毎週金曜と日曜は、それぞれ金曜ロードショーと日曜洋画劇場が放映されており、
80年代に放映された映画をよく見ていました。
スターウォーズ4・5・6、ターミネーター、インディ・ジョーンズ、などなど・・・。

私の印象としては、端的に、「80年代のアメリカは、日本より進んでおり、あこがれの対象である」という印象でした。

そういえば、
去年(2023年秋)、ユナイテッド航空の機内エンターテイメントでやっていた、ベスト・キッド(英語題:Karate Kid)を英語版で初めて見たり、会社で、ベスト・キッドのネタを話したり、今になって思えば役に立っていたんではないかと思います。
それと、
ウィチタには、ハリソン・フォードが毎年4月に訪問し、レストランでの目撃談が投稿されるなど、今から思えば、アメリカの生活の親しみやすい要素は、洋画から入った部分が大きかったんだな、と実感しました。

2)英語学習
母の勧めにより、小学校5年生より、某大手英会話学校の自宅教室に通い始めました。この先生がかなりよかった。
アメリカの留学話、FEN、受け入れられている日本の文化が存在することなど、
アメリカの中の日本、日本の中のアメリカ、英語そのものだけではない話を数多く聞くことができました。
なお、この英会話学校には、場所を変えつつ、大学院を卒業するまで通い、
可能な限り、英語に触れるようにしようという試みを実行しました。
一方、英語で食べていきたいか、という問いに対しては、NOでした。
それは、英語だけで食べていくことには限界があるであろうと考え、
これから手に職をつけながら、英語を使う環境で仕事ができるようにしたほうが、自分の将来のためになるであろう、という結論に至り、高校では、文系ではなく理系に進む異にしました。
今から思えば、英語を専門にしなくてよかった、ある意味での成功を迎えることができた、と思えました。

 



3)ヨーロッパ志向
これまで生きてきた中では、アメリカか西ヨーロッパの影響を大きく受けていたような気がしましたが、
大学のサークル活動の影響で、ヨーロッパ志向が極端に進行しました。それも、東ヨーロッパ。
そのうち、ハンガリーには、大学3年生のときから、訪問し、もう10回以上訪問しました。

4)学生時代、アメリカ2回訪問
1度目:
大学3年生になったときに、テキサス州オースティン(Austin, TX)で日本人知人主催のイベントに参加したのが初アメリカでした。
この滞在は、東ヨーロッパ系文化の趣味の延長線上でありましたが、
子供のころから憧れていた初アメリカということもあり、だいぶ記憶が薄れてきておりますが、非常に楽しかったです。
バス停でバスを待っていたら、若い男性に、「こんにちは」と日本語で話しかけられたのは、いい思い出です。
2度目:
大学院修士課程2年生の時に、ノースカロライナ州ダーラム(Duhram, NC)のデューク大学(Duke University)ーセッションで参加しました。
学術分野として小さなコミュニティーであったことや、研究室の当時教授が海外でも有名であったことから、英語に触れる機会は比較的多かったですし、
ポスターセッションでは、何とか説明・質問をしました。
この時は、大学のカフェテリアで、当時日本未上陸であったマクドナルドのクォーターパウンダー(Qauter Pounder)や、ターキーブレストサンドイッチを食べていたことを思い出します。
また、大学の教授・助教から、「ステーキハウスを探しておくこと」というノルマも課されました。

この当時の私的な感想としては、それなりに英語ができそうで、アメリカ文化に触れたことによる、ある種の自信みたいなものが芽生えていたような気がしました。
この自信は、赴任時に壁となって立ちはだかることになろうとは、当時は夢にも思っていませんでした。

(就職以降に続く)