その言葉が、なぜかずっと残っている。
「この案件、A案でいく。異論ある人?」
数字を見て、リスク的にはB案のほうがいいと思った。
でも手は挙げられなかった。
場の空気が、もうAで固まっていたから。
数週間後、
うまく回らず、少しずつ不満が出始めた。
帰り道、
あの場面を何度も思い出す。
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別の日。
同僚が軽くいじられて、場が笑う。
少しも面白くない。
それでも笑う。
「まあ、あるよね」と言いながら、
ほんとは「なんなんだ」と思っている。
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大きなトラブルはない。
怒られてもいない。
それでも、なぜか疲れる。
ちゃんとしている。
迷惑もかけていない。
なのに、
少しずつすり減っていく感じがある。
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ある日、言われる。
「あなた、何考えてるか、ちょっと分からないよね」
笑いながら。
ずっと“ちゃんと”やってきたつもりだった。
波風を立てない。
協調的でいる。
嫌われない位置にいる。
その結果が、
「よく分からない人」。
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夜、ふと思う。
自分らしく生きたいのに、
なぜか自分が薄くなっている。
気づけば、
いつも「相手の基準」に合わせて立っていた。
どう思われるか。
どう評価されるか。
どうすれば安全か。
基準は、ずっと外側にあった。
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「何がいけなかったんだろう」と
ぼんやりXを眺めていたとき、
ある言葉に出会った。
“問題は性格じゃない。立ち位置だ。”
その流れで、
ソロモンという考え方に触れた。
立つ場所が変わると、
同じ出来事でも受け取り方が変わる。
強くなる必要はない。
相手の評価の上から、
自分が納得できる場所へ。
ほんの少し、
立ち位置を動かしてみただけ。
それだけで、
疲れ方が変わった。
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ちゃんとしているのに苦しい。
自分らしくいたいのに薄くなる。
それは弱さじゃない。
ずっと外側の基準に立っていただけかもしれない。
私が救われたその考え方を、
note にまとめてみた
無理に変わらなくていい。
立つ場所を、
ほんの少し動かすだけでいい。
それだけで、
あの夜の重さは、少し軽くなる。
