154-ページ(008)法華取要抄 文永11年(ʼ74)5月24日 53歳 富木常忍 疑って云わく、多宝の証明、十方の助舌、地涌の涌出、これらは誰人のためぞや。 答えて曰わく、世間の情に云わく、在世のためと。日蓮云わく、舎利弗・目犍等は、現在をもってこれを論ぜば、智慧第一・神通第一の大聖なり。過去をもってこれを論ぜば、金竜陀仏・青竜陀仏なり。未来をもってこれを論ぜば華光如来、霊山をもってこれを論ぜば三惑頓尽の大菩薩、本をもってこれを論ぜば内秘外現の古菩薩なり。文殊・弥勒等の大菩薩は過去の古仏、現在の応生なり。梵帝・日月・四天等は初成已前の大聖なり。その上、前四味・四教、一言にこれを覚りぬ。仏の在世には一人においても無智の者これ無し。誰人の疑いを晴らさんがために多宝仏の証明を借り、諸仏舌を出だし、地涌の菩薩を召さんや。方々もって謂れなきことなり。したがって、経文に「いわんや滅度して後をや」「法をして久しく住せしむ」等云々。これらの経文をもってこれを案ずるに、ひとえに我らがためなり。したがって、天台大師当世を指して云わく「後の五百歳、遠く妙道に沾わん」。伝教大師当世を記して云わく「正像やや過ぎ已わって、末法はなはだ近きに有り」等云々。「末法太有近(末法はなはだ近きに有り)」の五字は、我が世は法華経流布の世にあらずという釈なり。 問うて云わく、如来の滅後二千余年、竜樹・天親・天台・伝教の残したまえるところの秘法は何物ぞや。 答えて曰わく、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。 問うて曰わく、正像等に何ぞ弘通せざるや。 答えて曰わく、正像にこれを弘通せば、小乗・権大乗・迹門の法門、一時に滅尽すべきなり。 問うて曰わく、仏法を滅尽するの法、何ぞこれを弘通せんや。 答えて曰わく、末法においては大小・権実・顕密共に教のみ有って得道無し。一閻浮提、皆、謗法となり了わんぬ。 逆縁のためには、ただ妙法蓮華経の五字に限るのみ。例せば不軽品のごとし。我が門弟は順縁なり。日本国は逆縁なり。 疑って云わく、何ぞ広・略を捨てて要を取るや。 答えて曰わく、玄奘三蔵は略を捨てて広を好み、四十巻の大品経を六百巻と成す。羅什三蔵は広を捨てて略を好み、千巻の大論を百巻と成せり。 日蓮は広・略を捨てて肝要を好む。いわゆる、上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり。「九方堙が馬を相するの法は玄黄を略して駿逸を取り、支道林が経を講ずるには細科を捨てて元意を取る」等云々。仏既に宝塔に入って二仏座を並べ、分身来集し、地涌を召し出だし、肝要を取って末代に当てて五字を授与せんこと、当世異義有るべからず。
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法華取要抄
文永11年(ʼ74)5月24日 53歳 富木常忍
疑って云わく、多宝の証明、十方の助舌、地涌の涌出、これらは誰人のためぞや。
答えて曰わく、世間の情に云わく、在世のためと。日蓮云わく、舎利弗・目犍等は、現在をもってこれを論ぜば、智慧第一・神通第一の大聖なり。過去をもってこれを論ぜば、金竜陀仏・青竜陀仏なり。未来をもってこれを論ぜば華光如来、霊山をもってこれを論ぜば三惑頓尽の大菩薩、本をもってこれを論ぜば内秘外現の古菩薩なり。文殊・弥勒等の大菩薩は過去の古仏、現在の応生なり。梵帝・日月・四天等は初成已前の大聖なり。その上、前四味・四教、一言にこれを覚りぬ。仏の在世には一人においても無智の者これ無し。誰人の疑いを晴らさんがために多宝仏の証明を借り、諸仏舌を出だし、地涌の菩薩を召さんや。方々もって謂れなきことなり。したがって、経文に「いわんや滅度して後をや」「法をして久しく住せしむ」等云々。これらの経文をもってこれを案ずるに、ひとえに我らがためなり。したがって、天台大師当世を指して云わく「後の五百歳、遠く妙道に沾わん」。伝教大師当世を記して云わく「正像やや過ぎ已わって、末法はなはだ近きに有り」等云々。「末法太有近(末法はなはだ近きに有り)」の五字は、我が世は法華経流布の世にあらずという釈なり。
問うて云わく、如来の滅後二千余年、竜樹・天親・天台・伝教の残したまえるところの秘法は何物ぞや。
答えて曰わく、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。
問うて曰わく、正像等に何ぞ弘通せざるや。
答えて曰わく、正像にこれを弘通せば、小乗・権大乗・迹門の法門、一時に滅尽すべきなり。
問うて曰わく、仏法を滅尽するの法、何ぞこれを弘通せんや。
答えて曰わく、末法においては大小・権実・顕密共に教のみ有って得道無し。一閻浮提、皆、謗法となり了わんぬ。
逆縁のためには、ただ妙法蓮華経の五字に限るのみ。例せば不軽品のごとし。我が門弟は順縁なり。日本国は逆縁なり。
疑って云わく、何ぞ広・略を捨てて要を取るや。
答えて曰わく、玄奘三蔵は略を捨てて広を好み、四十巻の大品経を六百巻と成す。羅什三蔵は広を捨てて略を好み、千巻の大論を百巻と成せり。
日蓮は広・略を捨てて肝要を好む。いわゆる、上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり。「九方堙が馬を相するの法は玄黄を略して駿逸を取り、支道林が経を講ずるには細科を捨てて元意を取る」等云々。仏既に宝塔に入って二仏座を並べ、分身来集し、地涌を召し出だし、肝要を取って末代に当てて五字を授与せんこと、当世異義有るべからず。
