人間革命 第10巻 一念
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勇気は決意を生む。この決意の極まるところに、実践としての「行」が始まる。一月、二月と、慎重な指揮を執ってきた山本伸一は、この息吹き始めた決意を、実践に変える機を、じっと待っていたのである。そして、兆したこの機を、彼が逃すはずはなかった。
機は、二月十九日と、とらえた。
大阪・堺二支部連合決起大会が、この日、午後一時、中之島の大阪市中央公会堂で開催されたのである。
関西全域の、組長以上の幹部が結集し、参加者は場外にもあふれた。東京の本部からは、戸田城聖をはじめとする二十数人の幹部が来阪した。山本伸一は、数日前に来て、大会の周到な準備の指揮を執っていた。
大会の冒頭、満井勝利支部幹事から、「闘争宣言」が発表された。満井は巨体を壇上に運び、汗ばんだ顔は緊張に光り、厚い胸を張って読み上げた。
「全国学会員総決起の時来る!
われらは関西本部を本拠として、民衆救済の大指導者・戸田会長の良き弟子として、その指導のままに一致団結、昭和三十一年(一九五六年)度学会闘争方針を実践するため、次の目標に向かって大闘争を展開する。
一、本年度折伏目標を六万世帯とする
一、大講堂建立に率先参加する
一、今年は一段と大功徳にあふれた生活を確立しよう
以上、堂々の大陣容をもって、全関西に御本尊の功徳をみなぎらせ、会長の意図にこたえよう。
右宣言する。
昭和三十一年二月十九日」
これで、全関西の決意は、公会堂に参集した人びとの胸のなかで、それぞれ固まっていった。
壇上を仰ぐ視線という視線が、にわかに強い光を放ったように注がれていた。その光芒を一身に浴びたなかで、山本伸一は、「宗教革命の道を歩もう」と、闘争の本義を宗教革命としてとらえて、語りだした。
「このたびの関西の戦いは、本格的な宗教革命であります。
革命といえば、直ちに暴動や流血の惨事を思い描きますが、日蓮大聖人の仏法による革命は、一人の犠牲者もなく、ことごとくの民衆を、すべて救済する革命であります。
民衆の幸不幸は、根本的には宗教によって決まるとする大聖人の哲理を、民衆に理解させ、真に正しい宇宙の根本法則、生命の法則たる大聖人の仏法に帰依させること、この活動を、わが宗教革命というのであります。
この活動の進むところ、民衆は、一人残らず蘇生の実証をもって、大聖人の哲理の偉大なることを知るにちがいありません。また、この活動実践ほど、私たちの人生にとって有意義なことはないのであります。
この弘教・折伏の実践を、いよいよ関西の同志が一丸となって、一人の落後者もなく、大いなる躍進をもって開始しようではありませんか。これは、学会のためにするのでもなく、大阪・堺の両支部のためにするのでもありません。それは、自他共の絶対的幸福を築くためであります。
正しい宗教に巡り合えなかったゆえに、人生観に迷い、つい先日まで、不幸と苦悩の底にあった私たちが、日蓮大聖人の仏法を知って、大きく境涯を開くことができました。
この仏法こそ、自他共に幸せになることができる最も確実にして、最も実践しやすい唯一の道であることを、大聖人がお教えくださっており、戸田先生が、手を取って指導してくださっているんです」
伸一は、なおも力強く訴えた。
「わが宗教革命は、即、私たちにとっての人間革命であります。それはただ、この仏法の実践いかんにあると、いわなければなりません。
皆さん、大聖人が、『湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く』(御書一一三二㌻)と仰せのように、御本尊様に向かって、不可能をも可能にするような、強い祈りある大信力を奮い起こして、関西の地に本格的な実践活動を展開しようではありませんか!
そして、わが生命を変革し、たくましい強い生命力を沸き立たせ、生きているこの一日一日が、楽しくて仕方がないといった生活を現出させ、昨日までの灰色によどんだ人生に、別れを告げようではありませんか!」
山本伸一の壇上からの訴えには、この一月以来の、関西の会員を思う、彼の祈りが込められていた。祈りの火は、一人ひとりの胸のなかに点火されたにちがいない。激しい拍手とともに、賛同を込めた潮騒のような、「ウオーッ」という叫び声が、公会堂にこだました。
これを受けて、大阪支部長の春木征一郎、堺支部長の浅田宏をはじめ、来賓幹部数人のあいさつがあってから、戸田城聖の講演となった。