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 彼はこの支援活動の指揮を、どうしても山本伸一に執らせたかった。掌中の珠である伸一に、あえて未来への開拓の苦難の道を進ませ、その健気なる勇姿と、地涌の底力とを、彼の没後のために確かめておきたかったのである。戸田は、広宣流布の高遠な未来の一切を、山本伸一という二十八歳の青年にかけていた。
 山本伸一は、ここ十年近い歳月、戸田の内意に応えなかったことは、ただの一度もなかった。戸田と共に、一九五〇年(昭和二十五年)から五一年(同二十六年)の、苦闘と苦難の極点に達したさなかにあっても、伸一は、身をもって応えた。彼は、これまで、無理難題と思える数々の要望のすべてに、多くの障害を排除する先兵となって、血路を開いてきた。
 関西での戦いに対する、戸田の期待にも、伸一は、ためらうことなく即座に応じた。
 しかし、遠大な目標と現実との間には、あまりにも懸隔がありすぎることに、気づかざるを得なかった。 伸一は、まず苦悩に沈んだのである。口には出さなかったが、いかに戦うべきかという難問が、昼となく、夜となく、彼を苛み続けた。