人間革命 第10巻
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質問の手は、各所にあがった。彼は、それに応えて、独特のユーモアで質問者を温かくつつみ、難しい仏法の法理をかみ砕きながら、次々と答えていった。
勤行の質問から始まり、子どもの盗癖の問題、胃癌の問題などの質問に続いて、折伏についての質問が飛び出した。
「折伏についてお伺いします。折伏の精神はよくわかりますが、強い折伏をしたらよいか、弱い折伏をしたらよいか、わからなくなりました」
「そりゃ、わからなくなるでしょう」と戸田は言って、にっこり笑った。
「もともと、折伏には〝弱い〟〝強い〟はないはずです。〝どこまでも相手を救ってあげよう〟〝どこまでも相手に御本尊様を持たせよう〟という精神さえあればよいのです。大声で、『やるか』『やらないか』と言う。こんなのは〝強い〟というのではなくて、〝乱暴〟というんです。ひどいのになると『ようし、やらなければ罰が当たるからな』と言う。こんなのは、〝脅し〟というんです。
そうではなく、『あなたは苦しんでいますね。この御本尊を拝めば幸せになれる。しっかり、おやりになったらどうです』と言えばよい。
ここのところを考えてください。わかりましたか」
質問者は、返事をしなかった。戸田は、さらに重ねて言った。
「相手の機嫌を取りながらする折伏は弱いというが、相手が、どんなことを言おうと、こちらはニコニコ笑いながら、相手の痛いことを言ってやる。『この信心をすれば、幸せになれますよ。あなたのような、根性の曲がったのも治りますよ』と。相手が怒ろうが怒るまいが、相手には構わず、悠然として天井を見ていればよい」
場内は、どっと爆笑に沸いた。笑いが収まると、質問者は、再び質問した。
「折伏の強弱はわかりましたが、もう一つ、幅の広いということと、御本尊様を、ただ真っすぐに信じていくということについてお願いします」
「あなたの〝仏法用語〟が、私にはわからんが、幅が〝広い〟とか〝狭い〟とか、反物ではあるまいし、そんな言葉は学会にはありません。ただ、教学を身につけてから折伏した方がよいか、ということだと思うが、そんなことを学会は言っていないはずだから、何かの間違いだろうと思う。
折伏には、そんな幅だとかなんとかは、なくともいいんです。『この御本尊を拝めば、あなたの病気は治りますよ。悩みが解決します。幸福になりますから、拝みなさい』──これ以外にはないんです。
教学が必要だというのは、教学があれば、信心が壊れない。信心を強めるためにやるんです」
戸田は、こう結んだ。そして、彼の周りを取り囲んだ人びとに目を移し、会場を見渡して続けた。
「このように、たくさんの人びとが増えると、指導に骨が折れる。しかし、どこまでも御本尊様を中心に、指導していってほしい。なまじっか枝葉の問題にとらわれることはありません。
たとえ、組織のうえで地区部長、班長という立場にあっても、聞かれてわからないことは、『 知らない 』と答えて差し支えない。それを、なんでも知っていなければならないと思っているのは、大きな誤りです。なんでも知っている方がおかしい。
なぜならば、仏法は非常に深いものであり、五年や十年勉強しても、到達することは難しい。だから、嘘は教えないこと。わからないことは、『 知らない 』でいいんです。
ただ御本尊を持って信じていけば、必ず幸福になる。これだけは間違いない。いずれ、五年、十年先には、私も、そうは生きられないから死ぬに決まっていますが、少なくとも、今の十倍の人が御本尊様を受持してほしい。
今、よく見ると、みんな蒼い顔をして、貧乏の巣のようでありますが、十年後には、みんな、〝自分ほどの幸せ者はない〟と胸を張れるようになってください」
幹部たちは、戸田の話に十分満足して、言いようのない懐かしさを胸にいだきながら、全国の、戦うべきそれぞれの部署へと散っていった。
五月の東京の活動は、形式的に座談会の回数は確かに増えたが、相も変わらず低迷を続けた。座談会を、活動のための一つのテクニックとしてとらえていたからである。