生々しい表現が多々あります。







前々回のブログ 


↓コメントの返信(一部)


忘れたままで良かった。

思い出したくなかったこと


あります。


でも


きっと自分の氣持ちを整理したい。

(年齢を重ねたからでしょうか)

たぶん自分の感情をなかったことにしたくない。


あの時の自分を責めずに攻めずに

「もう攻めへんでもえぇんやで」


10歳の自分にそう言ってあげたかったのかもしれません😌








前回のブログ



あたしが1歳にもなってへん頃


母はある会社で勤めていた。


そこの上司は


家庭の事情も知っていたので


いろいろと親切にしてくれていて


あたしを保育園に送ってくれたりしていたと。




年齢はわからへんけど


母より10歳上?


いや、それ以上かも?



その上司とは


家族ぐるみ?の付き合いやったんかな?





その会社を辞めた後も


その元上司との付き合いは続いていた。








父が亡くなった後


母はその元上司の男を頼りにしていたので


母がやっている店と


あたしら家族が住んでいる


家の鍵を渡していた。





あたしは


おっちゃん、おっちゃんと懐いていた。









 







忘れたままで良かった

思い出したくなかったことは





小学校4年生の10歳のとき


その男から性的虐待にあった。





















あたしの両手を力ずくで抑え


嫌がるあたしの口の中に


舌を入れてくる。





嫌や


やめて


嫌や


やめて




何度も何度も言った。





口を塞がれ


体を触られ


舐められ



下着に手を入れられ


陰部を触られ


膣に指を突っ込まれた。




あたしの手を捕まえ


自分の陰茎に触らせた。








何度も何度も


嫌や


やめてと




抵抗したが


10歳の女の子の力では


敵うわけもなく




段々と


抵抗することを諦めた。 








そんなことをされたのは何度もあったが


陰茎の挿入はなかった。











母が頼りにしていた


その男に


そんなことをされたなんて言うたら






母は発狂するのか


あたしが攻められるのか


あたしの言うことを信用してもらえへんのか


わからんかった。









ただ


それを言うたら


どうなるのか


どうなっていくのか


わからへんという


強い不安があったのは確かやった。









お母ちゃんには

絶対に言えへん。






















母がいない時に


何度もそんな事があった。


抵抗したけど無駄やった。




段々と


抵抗することも少なくなり


嫌がらへんようになった。






そんな自分が許せへん。


そんな自分が


大っ嫌い!













その出来事がなくなったのは


ハッキリ覚えてへんけど


10歳の時で終わった。



 




母はそんなことがあったなんて


知りもしないし、氣づいていない。




(コメント欄も読んでみてください)







あの出来事を


何度も何度も思い出し


何度も何度も自分を責めて攻めた。



そんな自分のことを


好きになれる訳がない。


自分のことが嫌いやった。







あ、そうか、わかった。





あたしは

生まれて来いひんほうが良かったんや。










そう思ってきてたんや。



今氣づくやなんてアホやなぁ笑





そら


自己肯定感1ヨクトメートルやわな。



そら


ちょいと道を外してしまうわな。


























あの男は


その後も


家に出入りしていた。


顔を見るたびに


憎悪と嫌悪。




そして


自分自身に嫌悪。


自分を責める。







母に気づかれないよう


小学生のあたしは平静を装う。






中学生になり


あの男の顔をみると


露骨に嫌な顔をした。


いや、できるようになった。




そんなあたしを見た母は


「おっちゃんのこと嫌いなんか?」






嫌いに決まってるやろ!






あんたのせいやっ!


あんたがあの男を家に入れるようにしたからやっ!




せやから

あんな目にあったんやっ!



お前のせいや!








母にも嫌悪と憎悪があった。









しかし


「別に…」と答える。





「嫌いやっ!」


と言いたかった。




でも


それを言ったら


「なんでや?」


と聞かれるに決まってる。




聞かれても話せへん。



露骨に嫌な顔をするしかなかった。



















41年間


あの出来事を忘れている時期もあった。


でもまた思い出し


自分を責める攻める。




その繰り返し。




段々と


思い出す時期が短くなり


忘れていた時期が長くなった。























2年くらい前に


タレントのシェリーさんがテレビで



子どもが嫌がって


「やめて、嫌だ」


と言ったらすぐにやめていると。




子どもが


「嫌だ、やめて」


と言ってやめずにいたら


自分の


「嫌だ、やめて」


が通用しないから言わなくなり

 


いじめや性犯罪のときに


「嫌だ、やめて」


と言わなくなる。





みたいなことを言っていた。

(うろ覚えで、すみません)











月日が流れ


氣づいた。




あたしの


「嫌、やめて」


が通用しなかったら


言うても無駄なんやな


と虚しくなる。




そうか


それはあの時の事も原因なんや。
























 



あの男は


とっくの前に死んだ。


いつ死んだかなんて覚えてへん。




母から死んだことを聞かされて


あたしは




嬉しかった。


安心した。






やっとあの男が

おらんようになった。



この世からおらんようになった。



死んで嬉しい。







長生きしやがって糞ジジイ。





ジジイやったら死ぬわ。





もっと早よ死ねや。
























今も母には言うてへん。


少し認知の疑いもある。


言うたら認知が進み


氣がおかしくなるんとちゃうやろか。




なんで言わへんかったんや!


って責められるんやろか?




あんたからそんなんしたんか!


って疑われて攻められるんやろか?




そんなことないっ!


って否定されて信用してもらえへんのやろか?






51歳になろうとしていても


あの頃と考えてることは変わってへんな。







母に言うことは絶対にない。






今更


言うたところで


あの時がなかったことにならへん。



言うたところで


あの時のあたしの氣持ちは


わかってもらえへん。


















性的虐待、性被害にあった人みんなが


同じ思いや感情をもつ訳やない。


状況や環境が全く同じではないから。






性的虐待、性被害にあった人も


あわへんかった人も


想像はできても


当事者の痛みを


同じように


共有して共感することはできひん。





でも


寄り添うことはできる。

































なんでブログに書いて公にするのか。



歳を重ねたこともあり


公にすることの抵抗感が薄くなった。




そして




思い出しては


自責と自分のことを攻撃して


自分で自分を傷つけてきたことが


あまりにも酷く辛いし悲しい。




もう自分のことをそんな扱いはしたくない。








41年という長い、長い月日をかけ


やっと


10歳の自分と


嫌悪と自責と攻撃していた自分に





もう自分を責めて攻撃せんでもえぇんやで。


あなたは悪くないんやで。


大丈夫やで。安心して。


自分自身を許そう。


責めて攻撃してた自分も許そう。


大丈夫。


あなたは大丈夫。




よー今まで頑張ってきてたな。







そう言って自分を癒し、許したかった。








公にしても


あたしの存在価値は変わらへん。


大丈夫な自分でいたい。


大丈夫な自分でいる。



そういう


大丈夫な自分を体験したい。


自分自身が大丈夫な自分を証明したい。









今まで生きてきた自分に言う。




あたしは生まれてきてよかったんや



















旦那とよりが戻ってから


旦那はあたしのブログを読んでいる。


このブログを読んで


旦那が何を思うのかわからへんけど



そんな思いでブログを書いた。








最後までお読みいただき

ありがとうございます😊