証言
罪状認否から約1ヶ月。
第二回公判が行われた。
今回は検察側と弁護側から証拠品の提示が行われ、私たちの論告求刑が言い渡されることになる。
いよいよ自分の問われている罪の重さがはっきりと提示される。
検察側の求刑は事前に決まっているため、あとは裁判長に判決を少なくしてもらえかどれだけ反論できる証拠を提示できるか。
それが私と弁護士の役割だった。
拘置所の中で書き上げた虚構の反省文は情状証拠として受理された。
示談も被害弁済もしておらず、裁判まで罪を認めることもしていなかったわたしにとってできる減刑の手段はそれしか残されていなかった。
被告人質問
検察の被告人質問が始まった。
私は自分のしたことについて検察から聞かれたことに関してはすべて正直に認め、反省と更生の言葉を口にした。
マイクを通じて法廷に響き渡る私の言葉に心はこもってなく、ずっと前から拘置所の中で考え続けていた形式的な返答を繰り返した。
証言台に立っている私は法廷の主人公であり、中にいる全ての人の注目の的だということは間違いなかった。
こんな場所で話すことには慣れていないし、こんな大人数の前に立つという経験も私にはない。
自分の言葉をその場で紡ぐことなど不可能だった。
質問は次第に確信に迫ってきた。
共犯の調書に書かれていることはただの確認であって、検察側が本当に知りたいことは私が黙秘し続けてきた組織の中身、主犯格の正体。
畳み掛けるようにそれらのことについて検察からの質問が矢継ぎ早に飛んできた。
その全ての質問に私は壊れかけたラジオのように言えません、答えられません、そのフレーズだけを繰り返し続けた。
20分ほどの攻防の末、見かねた裁判長が検察の質問を制止して私の被告人質問が終わった。
握った拳のなかでは汗が吹き出し、足はガクガク震えていた。
ドラマや映画で見たような風景の中に自分がいることに妙な既視感があった。
佐伯
私の被告人質問が終わり、次の被告人質問が始まった。
主犯格と私、そしてもうひとり黙秘を続けた男で名前は佐伯(仮称)と言った。
佐伯は私たちと違い、恐怖から黙秘を続けていた。
借金を背負わされその代償に詐欺グループに強制的に入れられていた。
報酬も他の人間よりかなり少なかった。
少ない分は佐伯を仲介した人間がピンハネしていた。
そして残された報酬の中から借金を返済し、残された金の中から慎ましやかに生活を送る本当の意味で普通でそして真面目な人だった。
他の人間よりひとまわり以上年の離れた佐伯には家庭がありまだ幼い子供が5人いた。
仕事が終われば遊びに行かず真っ直ぐに帰宅し、休日は子供を連れて公園に遊びに行き帰りにファミレスで食事をとって帰宅する家族思いの父親だった。
彼が黙秘を続けた理由は定かではないがきっと私の理由とは別のものだったのだろう。
証言台に立った佐伯は終始涙を流しながら私と同じく反省の弁を述べつつ言えないことは言えない、というより本当に知らないと供述した。
主犯格と深くつながりすぎた私には言えないことが多すぎたが、佐伯は組織の内情を本当に分かっていなかった。
2人とも取り調べ調書はひとつもないがその内情は全くと言っていいほど違うものだった。
北村
そして、逮捕当日に全ての罪を認め私たちのことをチンコロした私の古くからの友人北村(仮称)が最後に証言台に立った。
彼は全ての罪を認め、そして私たちを売った。
私との出会い、私から詐欺グループに誘われた経緯、組織の中身、主犯格の素性、矢継ぎ早に投げかけられる問いかけにスラスラと本当のことを話した。
北村はもともと心の弱い人間だったこともあり、逮捕当時の恐怖感に耐えきれず苦渋の思いで罪を認めたと信じていたがその質問に答える姿を見てそれがただの保身であったのだとようやく分かった。
私と佐伯が隠し通そうとしていた事実は北村の証言によっていとも簡単に覆された。
罪の重み
そして、全ての証拠調べと被告人質問が終わりいよいよ検察側からの求刑が行われた。
3人並んで被告人席に並び順番に求刑の言い渡しを受ける。
私と佐伯に言い渡された求刑は6年だった。
そして、逮捕直後に供述した北村は私たちの半分の3年であった。
頭が真っ白になった。
足はそれまで以上に震え、意識が朦朧としだした。
チンコロした北村が心の中でベロを出しているのが簡単に想像できた。
悲しみよりも絶望よりも、怒りの感情がフツフツと湧き出してきて私の頭の中に初めて逮捕された時の光景が鮮明に蘇ってきた。
初めて逮捕された時に私のことを警察に売ったのも北村だった。
それは2度目の裏切りであった。
(続く)