もう、最後のブログから1年が過ぎてしまいました。


パスワードが分からなくなりログインできなかったけど、死にかけの限界の中でなんとかして俺の生きてきた痕跡を残さないといけないと思い母親にブログとTwitterのアカウントを教えたのが次のブログを書くに書けない最大の理由だと思います。


俺は結婚もしてなければ子供もいないので憶測になってしまいますが、大事な人が突如この世を去った時にその相手のことを回想する中でその相手の本心を知りたいと思うことは当然だと思います。


当時、もう自分の死があと少しだと悟った俺ができるただひとつの親孝行だったんだと思います。


自分の口座に残された、出所しから頑張って貯めた微々たる貯金額が残された口座とその暗証番号、それにFacebookや、インスタみたいな上っ面の俺じゃない、その時その時の本当の気持ちを書いたTwitterのアカウント、そして動かない身体で看護師さんに書いてもらった、


「産んでくれてありがとう」


という、一言書いた手紙を残して俺はこの世を去る準備を終えました。



あれから1年。



図々しくも、いまだに俺は生きてます。


2ヶ月の入院生活の中でリハビリを続け、歩くこと、自分の力で排泄すること、食事をすることすら困難だった身体も奇跡的に動けるまで回復しました。


病名は横断生脊髄炎。

症状は限りなくギランバレー症候群という少し前までは難病指定されていた病気に近いと退院する際、主治医に告知されました。


今でもまだ足の痺れは残っているし、薬を飲まなきゃちんちんもあまりたちません。


しかし世の中には同じような症状で、一生残る後遺症や悪くすると二度と歩けなくなったり、自分の力で排泄することができなくなる人がいる中でここまで回復することができたのは本当に奇跡と呼ぶに相応しいと思っています。


看護師さんからあなたの生への執念は凄まじいものがあると言われました。


そう、俺はまだこの世にやり残したことが嫌になるほど残ってる、その想いをたくさんの人から寄せられた応援が後押ししてきっと今を生き続けていれるんだと思っています。



しかし、そんな執念だけでは太刀打ちできない数々の困難がこの1年待ち受けていました。


過去の醜態を笑い話に変えることは得意な俺だけど、今の困難に立ち向かうのはやはり大変だし本当は誰かに助けを求めたい、それにそんな現在の姿を母親や去年結婚して嫁いでいった妹に見せるわけにはどうしてもいかない。


そんな思いから、ブログの更新をやめ、Twitterのアカウントを消しました。



いいおっさんの泥臭く抗う姿は、フィクションとしてスマホの向こうの知らない人だけに届けばいい。


身近な大切な人にとって、現在進行形の俺の話はノンフィクションで今の話はもっともっと先。


本当に安心させることができる時に、ゆっくりと話せばよい。


そう思ってます。


ま、みんな知ってると思うけどおれにはどこでもそれなりに対応することのできるゴキブリ並の生命力を持っています。


次、みんなの前に現れる時はそれなりに前向きになる話を持っていきたいと考えております。


1ヶ月放置すると完全に消えてしまうからたまーにログインすると思うけど、もうしばらく抗って見ようと思います。


色々と、暗いニュースが多い世の中ですが


日本死すともしゃかびは死せず!!

しゃかびの夜明けは近いぜよ!!


2024.5.3

しゃか本龍馬よりありったけの愛を込めて。




最初から読む

 

 

 

 

 

 

※ブログの内容の殆どはせん妄と言われる幻覚症状が引き起こした被害妄想です。

 初見の方が見えましたらこちらから読んで頂けると幸いです。

 

 

 

 

 

  因果応報

 

 

 

 

 

 麻酔が効かない。

 

 

 

 

 

 緊急手術の段取りに入り、私の身体に麻酔の点滴が入ってもう1時間が過ぎようとしていた。

 

 

 身体の中に、新しく別の薬品が染み渡っている実感はあった。

 

 

 身体の動きは鈍くなっているようには感じていたし、あと少しで眠りに落ちるような気もしていた。

 

 

 しかし、麻酔の効果によって私が深い眠りに就くことはなかった。

 

 

 なんとか目を閉じて眠りに就こうと足掻いたが、瞼の裏にまで幻覚が進行してきて閉じ続けることはできなかった。

 

 

 

 

 

 これまでの覚せい剤や他の薬物の使用歴が原因でこんな事になってしまった。

 

 

 

 

 

 自分の人生の正念場、それも生きるか死ぬかの瀬戸際でこれまで自分が好き勝手に生きてきたツケが回ってきてしまった。

 

 

 研修医を信じて、命を預ける決意をした。

 

 

 難しい手術になるかもしれないが、研修医は私の命を救うために必死に動いてくれていた。

 

 

 全て台無しにしたのは私のせいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 私が好き放題生きてきたせいで病気にかかり、好き放題生きてきたせいで麻酔すら効かない身体になってしまった。

 

 

 

 

 

 因果応報だ。

 

 

 

 

 

 

 俺は病院に殺されるんじゃない。

 

 

 自分の生きてきた人生のツケを精算するために俺は死ぬんだ。

 

 

 手術すら受けることができず、このまま苦しみながら息絶えるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

  ・・せんせい、・・・おれ、・・ますいきかないや。

  ・・・しゅじゅつ、・・・できないね。

  ・・ごめんなさい、・・おれがしゃぶやってたからだ。

  ・・・・せんせい、ほんとうにありがとう。

 

 

 

 

 

 

 現実と無意識の間で、研修医にそう言った。

 

 

 

 ここまで足掻いた、叫んだし、暴れもした。

 

 

 

 もう、これ以上私にできることは何もなかった。

 

 

 

 

 

 迫りくる死を受け入れて待つ。

 

 

 いや、受け入れるなんてそんな心境では無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は生きることを諦めた。

 

 

 

 

 

 

 

  バグ

 

 

 

 時間は既に朝の5時を回ろうとしていた。

 

 

 手術はしない、というよりも私に意識がある以上できない。

 

 

 それが研修医の見解だった。

 

 

 

 

 今日の午前中に主治医が来るのでそれまで待っていてください。

 

 

 

 

 死期の近い患者にそんな悠長なこと言うのか、とも感じたがそれがこの研修医にできる最大の誠実さなのだと受け入れることにした。

 

 

 意識は虚ろだったが、もう眠るわけにはいかなかった。

 

 

 眠った時が私の最後かもしれない。

 

 

 生き続けるためには起き続けるしかない。

 

 

 

 

とても大袈裟に聞こえるかもしれないが、ネットも使えず誰にも相談ができない状況下で私の思考はとんでもないバグを引き起こしていた。

 

 

 

 黙って目を閉じいていたら眠ってしまう。

 

 

 起床前の薄明かりの中、私は虚ろな目を必死に開けて5感を研ぎ澄ませ周囲の様子を探った。

 

 

 すると、私を殺そうとした看護師と私を救おうと尽力してくれた研修医が話す内容が耳に入ってきた。

 

 

 

 

 

 

 その内容を聞いて私は耳を疑った。

 

 聞けば聞くほど絶望は深まった。

 

 そして私は誰も信じることができなくなった。

 

 

 

 

 

 

  虚偽

 

 

 

 

 私に投与されていた麻酔だと説明された点滴は、実は別の薬品だった。

 

 

 

 看護師と研修医の会話を聞いて私は驚愕した。

 

 

 麻酔効果のない薬品の点滴の上から、麻酔薬のカバーをかけたのを私に投与したのだ。

 

 

 実際に点滴を確認してみると透明なカバーに書いてある名称と内側の名称は違うものになっていた。

 

 

 私の中である疑念が浮かび上がった。

 

 

 

 

 

 最初から手術なんてするつもり無かったんじゃないか?

 

 

 

 

 

 手術すると言ったものの、私のカルテを見てとても自分には手が施しようがないと麻酔の代わりに別の何かを点滴した。

 

 

 点滴が効かないとなると手術どころではないし、執刀しなかった医者も責任に問われない。

 

 

 ・・・そうか、看護師もグルか。

 

 

 ICUには大量の薬が毎日届けられるため、医療廃棄物も多く発生する。

 

 

 本来であれば、廃棄物の発生原因をハッキリさせないといけないのだが、常に緊急の患者が収容されているICUにおいてそんな綺麗事は言っていられない。

 

 

 いかに、医療廃棄物のずれを誤魔化すことができるかが看護師の腕の見せ所なのだ

 

 

 直接、私のことを殺すのは不可能だし夜が明けてしまえば、死因を誤魔化すことは難しくなるからこの研修医と結託して自然死に見せかけて殺すつもりだったんだ。

 

 

 病院という閉鎖的空間の中で、医者と看護師という立場を使えば私のことを殺すのは簡単だし、それを自然死に見せかけるのも容易いことだ。

 

 

 

 

 

 これが、病院。

 

 

 

 それも重篤な患者を取り扱うICUという場所の現実なのか。

 

 

 

 ここでの死はそんなに軽いものなのか。

 

 

 

 人の命をそんなにぞんざいに扱うのか。

 

 

 

 常日頃から死と向き合っている職種だからこそここまで冷酷になれるのか。

 

 

 

 それとも、もともと私は助からない運命だったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私の中の被害妄想は留まることを知らなかった。

 

 

 とにかく朝が来るのを待つしかなかった。

 

 

 朝が来れば人が来る。

 

 

 主治医が来ればもっと詳細なことが分かる。

 

 

 絶対に目を閉じるな。

 

 

 一時は、生きることを諦めて迫りゆく死を覚悟したが、研修医と看護師とのやり取りを目の当たりにして生への執着が蘇った。

 

 

 

 

 

 絶対に生きてやる。

 

 

 

 

  

 

 

 

 朝7時、薄暗いICUに照明が灯った。

 

 

 夜を越えることができた。

 

 

 別の看護師が体温と血圧を測りにやってきた。

 

 

 自分の病気が原因なのか、それとも一睡もせず叫び暴れた披露なのかわからないが身体を動かすことはできなかった。

 

 

 ベッド上で宙を見上げて溢れ出す涙を抑えることはできず、嗚咽のままに交代でやってきた看護師に私はこう話しかけた。

 

 

 

 

 生きて朝を迎えることができました。

 

 

 本当に良かった。

 

 

 生きさせてくれてありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 紛うことなき本心であったが、私に巣食う譫妄はなにも消えてはいなかった。

 

 

 

 

 

 (続く)

 

 

 

※今回のブログは筆者がせん妄状態の中で起きた話です。

 事実とは異なる内容や文章に辻褄の合わない部分が含まれている可能性もあるのでフィクションとして読んで頂けると幸いです。

最初から読む

 

 

 

 

※ブログの内容の殆どはせん妄と言われる幻覚症状が引き起こした被害妄想です。

 初見の方が見えましたらこちらから読んで頂けると幸いです。

 

 

 

 

  手術

 

 

 

 時計は既に0時をまわり丑三つ時を過ぎていた。

 

 

 

 

 暴れるだけ暴れ、叫ぶだけ叫んだおかげで窮地を脱して、閉塞的空間で理不尽な殺され方をされることは回避できたが、その次に私を襲ったのは肉体的な苦しみだった。

 

 

 次第に息が苦しくなり、身体は更に締め付けられ、視界がどんどんとか擦れていった。

 

 

 今夜の当直だという研修医に体調の悪化を伝えた。

 

 

 明日の朝、主治医が来て診察方針を決めるのだがそれまで辛抱できないか問われたが、当時の私にあと数時間も待っていられるほどの余裕は無かった。

 

 

 きっと、朝までは身体が持たないかもしれません。

 

 

 正直に伝えた。

 

 

 この研修医に、自分の命を預ける。

 

 

 何もせずに命が尽きるくらいであれば、この医者に一縷の望みを託して賭けるしか無かった。

 

 

 そう決心をした、黙ってこのまま死ぬなんてまっぴらだった。

 

 

 

 

 そして研修医はどこかに電話を入れて手術室を確保した。

 

 

 

 手術は先生が執刀してくれるんですよね?

 

 

 

 

 そう尋ねると、研修医は黙って優しく頷いて緊急手術の準備に入っていった。

 

 

 

 

 

  戸惑

 

 

 手術の準備が整うまでに、新しい点滴が私の体内に追加された。

 

 

※写真はイメージです

 

 

 足元に点滴を入れるための管が挿しっぱなしになっているので、新しい点滴はそこに刺すだけで大丈夫だった。

 

 

 麻酔の点滴に、それを薄めるための溶液。

 

 

 それに、輸血のような赤い液体の入った点滴。

 

 

 よく見たら、赤十字の模様の下に(これは血液ではありません)との注意書きがあった、よくわからないがとにかく自分の身体にメスが入り、なにか悪い腫瘍を除去してくれるのだろうということだけは分かった。

 

 

 10日以上食事を取っていない私の体内に新しい薬液が入ってくる度に、薬品の無機質な味わいが身体を通じて広がっていった。

 

 

 麻酔が身体に染み渡るのを感じながら、目が覚めた時に自分がちゃんと生きているのか、死後の世界はどんなものか、今の一瞬が人生の最終地点であるかのような気がして、すぐそこで口を広げて待ち受けているであろう自分の死を想った。

 

 

 

 

 自分の病気がなんなのか

 

 これから始まるであろう手術が一体どんな手術なのか

 

 一体どこのどの腫瘍を切り取るのか

 

 

 

 なにひとつ知らなかった。

 

 

 今、聞いたところで理解もできなければ受け入れることもできない。

 

 

 なにより、本当の自分の容態を知ることは、当時の私にとってあまりにも残酷だった。

 

 

 

 

 

  麻酔

 

 

 

 麻酔の点滴が効いてくるまでの間、私は視線で研修医の動きを追った。

 

 

 疑り、というよりも研修医の言動から少しでも自分の状態を読み取りたい、そんな心境だった。

 

 

 研修医はナースセンターにあるPCモニターに映るCT写真を見ながら、看護師と何かを喋っていた。

 

 

 モニターに映る写真は私の場所からもよく見えた。

 

 

※写真はイメージです

 

 

 肝臓が異常なまでに膨張し、背骨周りもありえないほどの大きさの腫瘍が付いていた。

 

 

 

 まるでフォアグラみたい、それもここまで大きなのは見たことがない。

 

 

 ついさっきまでは私を殺そうとしていたあの看護師が、おちゃらけて話しかけるのを研修医が諌めた。

 

 

 しかし、それが誇張でないことは明白だった。

 

 

 私から見ても明らかに異常だった。


 

 その後。看護師が見回りでその場を離れて、ひとり残った研修医は私のCT写真を再度見ながら腫瘍をどう切除するのかシュミュレーションをし始めた。

 

 

 画像に赤いマーカーで線を入れて切除する箇所を決めていくのだが、どう考えても大手術になるのは明白だった。

 

 

 

 一見しただけで30箇所以上、私の臓器にメスが入る。

 

 

 

 

 手術というものをこれまでに受けた経験は無いが、CT画像と向き合う研修医の緊迫した表情を見て、もしかしたら手術したところで助からないのかもしれないという諦めに近い気持ちが湧いてきた。

 

 

 手術室へ搬送する手筈が整い、ICUのインターフォンが鳴ったが研修医は無視をした。

 

 

 これまでの経験で、ICUのインターフォンは鳴っても基本的に10分以上は放置しても構わないということは知っていた。

 

 

 とにかく、できるだけの準備をして手術に取り掛かるまで時間を引き伸ばしてくれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ時間は残されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ麻酔も効いていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ効いていない?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に麻酔の点滴を投与されて1時間近くが経過していた。

 

 

 麻酔が効いていない?!

 

 

 手術への不安と並行して、手術を受けることができないかもしれないという新しい不安が頭を擡げてきた。

 

 

  自業自得

 

 

 

 

 きっと、以前に覚せい剤を使っていたのが原因かもしれない。

 

 

 

 薬物依存症者は麻酔が効かなくなると聞いたことがある。

 

 

 

 因果応報だ。

 

 

 

 悔しくて涙が溢れて頬を伝った。

 

 

 

 頭上の心電図モニターに映る数値は無情にも下がり続けて私の命の終わりを予見していた。

 

 

 

 (続く)

 

 

 

 

※今回のブログは筆者がせん妄状態の中で起きた話です。

 事実と異なる内容が含まれている可能性もあるのでフィクションとして読んで頂けると幸いです。

 

最初から読む

 

 

 

※ブログの内容の殆どはせん妄と言われる幻覚症状が引き起こした被害妄想です。

 初見の方が見えましたらこちらから読んで頂けると幸いです。

 

 

 

 

 

 

深い幻覚から覚めた私は、薄暗いICUのベッドの上に両手両足を縛り付けられ拘束されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

  現実?

 

 

 

 自分の置かれている状況を理解するには時間が足りなかった。

 

 私を見つめる看護師の目は、まるで死んだ魚のように濁っていた。

 

 

 

 病院で縛られるなんてことが果たしてあるのだろうか?

 

 ましてや、俺は死にかけてるんだぞ。

 

 仰向けで固定されているせいで寝返りすら打てない。

 

 疲弊した喉を振り絞って、ロープを解いて欲しいと看護師に懇願するも私の声が届かないのか、それとも無視を決め込まれているのか返答は無かった。

 

 ベッドサイドをロープごと引き抜こうとしたがそれだけの体力が私には残されていなかった。

 

 身体中の力をふりしぼり叫んだ、病室に響き渡る声で殺されると何度も叫んだ。

 

 動く限りに手足をバタつかせて暴れた。

 

 

 それでも看護師は無視を決め込んだ。

 

 

 

 その時いたのは、看護師長に若い看護師がふたり。

 

 やはり、衰弱状態の私を縛り付け心不全と見せかけて殺害するつもりなのでは?

 

 普段ではありえないような妄想だが、ある日突然病気に倒れ10日近く意識がなかった私にとってその時の状況は、非日常のそれであった。

 

 

  勘繰り

 

 

 

 ふとしたことで、看護師長が患者の家族から袖の下を受け取ったのを私が目撃してしまった。

 

 夕方に見たその光景すら解像度の高い幻覚だったのかもしれない。

 

 それを隠蔽するために、看護師長が看護師ふたりと共謀して私のことを殺害しようとしている

 

 看護師は利用されている側だが、病院で出世していくにはそういうことも、もしかしたらあるのかもしれない。

 

   

 

 不信感に不信感が相まって被害妄想が増幅していった。

 

 

 

 そして、ここは病院。

 

 その中でも、重篤な急性機能不全の患者を24時間体制で管理するICUという場所は、という場所に一番近い場所でもある。

 

 そこで従事している看護師たちは日常的に死という事象と向き合い、シビアに対応している。

 

 彼らにとっての死とは、私の考える死の重みなんかよりも遥かに軽い。

 

 そう考えると一気に自分が殺害されるということが現実味を帯びてきた。

 

 

 

 死因なんてなんとでもできる。

 

 ここは病院。

 

 医療事故なんてどうやってでも隠蔽できる。

 

 殺されたのに、病死で処理されてしまう。

 

 

 

 考えれば考えるほど、逃げ道は無くなった。

 

 閉鎖的なICUという空間の中にいるのは共犯関係で当直の看護師、それに重篤な症状で眠っている他の患者数名、そして今日意識が戻ったばかりで全身を拘束されている私。

 

 

 

 

 身動きも取れず、叫んでも誰も反応してくれず、モニターに映る心拍数や血圧の数値が下がっていくのを目視しながら自分に迫る死を思った。

 

 

 

 数時間後にはこの世に自分はいない。

 

 

 

 明日またお見舞いに来てくれると約束した両親が次に見るのは、元気な私ではなく荼毘に付された冷たくなった私。

 

 せっかく生かされた命を、こんな看護師たちのエゴで奪い去られるのは嫌だ。

 

 タイムリミットは朝の交代まで、そこまで生き延びれば次やってきた看護師にすべてを伝えてこの件を事件化してもらえる。

 

 

 

 

 そこまで、何が何でも生存してやる。

 

 

 

 死んでたまるか。

 

 

 

  抵抗

 

 

 ベッドの視界に入るナースルームから聞こえる声が、すべて私をどう殺害するかに聞こえてくる。

 

 5感から入ってくる情報すべてが私を死へと導いていく。

 

 自身の体力が明らかに落ちていることが分かった。

 

 きっとこのままでは、なにもしなくても朝には私は死んでしまうだろう。

 

 体力も時間も限られている。

 

 有限の体力と時間、使い切った時が私が死ぬときだ。

 

 ICUの中にいる看護師は全員グルだ、たまに巡回で回ってくる女性看護師も看護師長に懐柔されているのか私の声が届かない。

 

 あとはときおり、入り口のインターフォンが鳴り、夜勤の研修医と看護師が外で雑談するのが聞こえた。

 

 

 

 チャンスはそこしか無い。

 

 

 

 さすがに研修医までグルになって私を殺害しようなんてするはずもないだろう。

 

 なんとか外にいる研修医を、大声で中まで呼び込み縛られている現状を知ってもらう。

 

 そうすれば応急措置もしてもらえる。

 

 意識の朦朧とした中でたどり着いた最後の抵抗だった。

 

 

 

 

 無駄に騒げば体力が減り死期が早まる。

 

 私のすぐ側で死神が微笑んでいるような錯覚がした。

 

 眠ってしまわないように意識を働かせながらその時を待った。

 

 

 

 そして、遂にその時が来た。

 

 

 

 インターフォンが鳴り、看護師が扉を開ける。

 

 ベッドからおよそ20Mくらいか、カーテンがあって光景は見えないが温厚そうな男性の声がこちらまで響いてくる。

 

 

 

 おーい

 

 おーい

 

 たすけてくれー

 

 

 

 力が入らずか細い声だが静かなICUには十分な声量だった。

 

 その声に気が付いた研修医が大丈夫か看護師に問う。

 

 幻覚症状のある患者なので大丈夫と看護師は返答して中に入れようとしない。

 

 しかし、私にとっては文字通り生死を左右する瞬間だった。

 

 全力で手足をバタつかせ、全力で声を振り絞りなんとしてでも手足を縛られ自由を奪われ今にも殺されかけている現状を見てもらいたかった。

 

 

 

 

 救ってもらいたかった。

 

 

 

 生かしてもらいたかった。

 

 

 

 死にたくない、生きて明日を迎えたい。

 

 

 

 なりふり構うことなどできなかった。

 

 

 

 私の原動力は生への執着、それだけだった。

 

 

 

  研修医

 

 

 私の懸命な抵抗が功を奏し、研修医を病室に入れることに成功した。

 

 まだ20代後半と思われる若い研修医はとても優しかった。

 

 入院して医療としての恩恵は授かっていたものの、医療従事者から人間としての優しさを施してもらったのは初めてだった気がした。

 

 

 自然と涙が溢れ出た、堰を切って溢れ出た涙は止まることを知らなかった。

 

 

  命が繋がった。

 

 

 この研修医にすべてを委ねよう。

 

 

 心からそう思えた。

 


 看護師からどう説明を受けたのかわからないが、手足の拘束は私が看護師に暴力を振るったのが理由だと説明を受けた、外してくれなかったのは私がまだ錯乱状態な中で解放するとまた暴れて点滴やモニターの線を抜いてしまいかねないからだという。

 

 

 理由はどうあれとにかく拘束を解いてもらうのが最優先だ。

 

 

 暴れてしまったのは幻覚のせいで、今は正常だし暴れることは絶対にしない。

 

 そう約束し縄を解いてもらうことに成功した。

 

 そして朝までの間、看護師以外の第三者にICU内に常駐してもらう確約を取り付けることに成功した。

 

 ようやく掴んだ生き延びるための蜘蛛の糸をそう簡単に手放すわけにはいかない。

 

 

 生きるか死ぬかの正念場に倫理もモラルも関係なかった。

 

 

 

 

  急変

 

 

 これで、看護師から殺されることは回避できた。

 

 研修医に幻覚や不安なことをすべて吐露したことで一旦気持ちは落ち着いた。

 

 しばらく研修医が、ICUに常駐してくれるという。

 

 それまでに具合が悪くなったらいつでも対応してくれるという言葉を聞いて、一気に私は安堵した。

 

 

 

 ようやく眠れる。

 

 

 

 明日を迎えることができる。

 

 

 

 

 

 

 しかし、死神はそう簡単に私のことを許さなかった。

 

 

 

 安堵した途端に容対が悪化した。

 

 

 胸が苦しくなり、呼吸が乱れた。

 

 

 心拍計が不穏な数値を刻み、額からは脂汗が止まらなくなった。

 

 

 

 

 せんせいたぶんおれだめかもしれない

 

 

 

 

 最後の力を振り絞って研修医に助けを求めた。

 

 

 研修医は黙って頷くと、ICUの壁にあるボタンを押して携帯電話でどこかに電話をかけた。

 

 

 

しゅじゅつですか?

 

 

 

 研修医は小さく頷いた。

 

 

 

せんせいをしんじます。

しっぱいしてもうらみません。

よろしくおねがいします。

 

 

 

 

 虫の声で研修医に伝えた。

 

 

 

 私の隣には永遠と死神が纏わりついて離れようとしなかった。

 

 

 

(続く)

 

 

 

 

※今回のブログは筆者がせん妄状態の中で起きた話です。

 事実と異なる内容が含まれている可能性もあるのでフィクションとして読んで頂けると幸いです。

 

 

 

最初から読む

 

 

 

 

  譫妄(せん妄)

 

 

 

せん妄譫妄、せんもう、英: delirium)

 

とは意識混濁に加えて奇妙で脅迫的な思考や幻覚・錯覚が見られるような状態。健康な人でも睡眠中に強引に覚醒されると同症状が発生する場合がある。特に集中治療室(ICU)や冠疾患治療室(CCU)で管理されている患者によく起こる[1]

急激な精神運動興奮(カテーテルを引き抜くなど)や、問診上明らかな見当識障害で気がつかれることが多い。大手術後の患者(術後せん妄)、アルツハイマー病、脳卒中、代謝障害、アルコール依存症の患者にもみられる。

 

 

 

 

 

症状

 

覚醒水準の低下の亢進、見当識障害、注意の散漫、判断力・集中力の低下、思考や気分の不安定化、錯覚や幻覚などの意識障害が発生し、攻撃的になったり暴力を起こすこともある。突然生じ経過は短いが、命にかかわることもある緊急事態である。

 

高齢者にはせん妄がしばしば出現するが、その状態像は認知症と重なる部分が多いため、高齢者の軽い意識障害は仮性認知症と呼ばれる。せん妄の特徴として、発現が急性または亜急性であり、症状の発現に浮動性があり、夜間に増加する傾向があることから、せん妄と認知症の鑑別は時間の経過によって行われる。 「入院した途端、急にボケてしまって(認知症のように見える)、自分がどこにいるのか、あるいは今日が何月何日かさえもわからなくなってしまった。」というエピソードが極めて典型的である。

 

また、高熱とともにせん妄を体験する場合があり、とくに子供に多い。大半の患者はせん妄を覚えており、苦痛な経験だったとの調査報告があり、せん妄は意識障害だから記憶がないというのは誤解である。

 

こういった症状をおこすせん妄という病態の背景には意識障害、幻視を中心とした幻覚、精神運動興奮があると考えられている。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

 

 

  不安の坩堝

 

 

 入院直後のカルテに、私が譫妄状態にあると記載されていると最近になって教えられた。

 

 当時の私の言動を振り返ると、明らかにおかしかったり、自身の被害妄想や幻覚、幻聴に

起因すると思われるようなことばかりだった。

 

 しかし、当時の私にとっては目に見えるものが全てであり、耳に聞こえる音や声が全てであった。

 

 それに、最初に救急搬送された病院の対応があまりにも酷かったということもあり、病院というものに対する信頼が著しく低下していた

 

 家族も友人も誰も近くにおらず、ネット環境さえ繋がらない中で小さな不安は収まることを知らずどんどん大きなうねりになって私の脳内に侵食していった。

 

 

 

 自身の中にある不安が一つも解消されないどころか、被害妄想や幻覚幻聴によって不安がどんどんと蓄積されていく。

 

 

 

 その不安に抗うことは不可能だった。

 

 

 

 

 

  再発

 

 

 約1週間ぶりに意識が戻り、呼吸器の管を体内から摘出してすぐということもあって本当は心身ともに衰弱状態だったのかもしれない。

 

 その間、栄養はすべて点滴で補われ身体は恐ろしいほどに痩せていたし、体力も低下していたはずだった。

 

 しかし、ベッドの上に寝かされたままの私が自身の体力低下に気づくのには時間が必要だった。

 

 勝手に自分の容態が良くなったと錯覚し、面会に来てくれた両親にも自己判断でもうあとは良くなるだけだから、なんて適当なことを伝えた。

 

 

 まさか意識が戻った夜にまた容態が悪化するなんて思っても見なかった。

 

 

 

  長い夜

 

 

 両親が帰路につき、長い夜が始まった。

 

 テレビもラジオもない、スマホなど触ることのできる元気すらなかった。

 

 食事も取ることは許されていない、水ですら飲めない、口の乾きを癒すのは看護師が綿棒に付けたローションで咥内を濡らしてくれる。それだけだった

 

 身体には点滴やら機械へ伸びるコードやらが伸びていて迂闊に体勢を変えることもできない。

 

 数日もの間、意識がなかったおかげで眠気は全く無かった。

 

 しかし、なにもすることのできない私にとって目が冴えてしまうのは空虚との戦いでもあった。

 

 自分の病状も、救急搬送されてからこれまでになにがあったのかもわからない。

 

 夢なのかとも思ったが、確かに入院前の記憶は残っている。

 

 だが、これまでに起こったことが非日常的すぎて、自分の中の現実と妄想を区別するハードルが無くなってしまったのかもしれない

 

 

 

 

 

  幻覚

 

 

 意識はある。

 

 

 いや、あったはずだ。

 

 

 私は看護師に殺された。

 

 

 点滴を注入する箇所から注射で直接よくわからない薬物を投与されて。

 

 

 そしたら意識が遠のいて・・・。

 

 

 ベッドに突然蓋が閉まり棺桶になった。

 

 

 棺桶が霊柩車に向けて運ばれていく。

 

 

 子供の頃にやったドラゴンクエスト。

 

 

 仲間が死んだ時に入る棺桶と同じだった。

 

 

 運ばれる途中も外の景色はなぜか見えた。

 

 

 深い森の中を亡骸の私を入れた棺桶は運ばれていく。

 

 

 私は死に装束の袈裟を着ている。

 

 

 棺桶の中も実にリアルだ。

 

 

 頭上を見ればドラゴンクエストのライオンのオブジェが装飾してある。

 

 

 草むらを抜け、毒の沼を抜け、私を入れた棺桶は霊柩車へ向け進んでいく。

 

 

 まだ生きてるぞ、と必死に私は叫んだ。

 

 

 私の視界にドラクエの装備に身を包んだ私を殺そうとした看護師が、何かを語りかけるように近寄ってくる。

 

 

 必死に腕を振り回し抗った。

 

 

 霊柩車に到着した。

 

 

 見たことのない人たちが、私の入った棺桶を霊柩車に移動する。

 

 

 しばらく霊柩車の安定した走りに身を任せるうちに教会にたどり着いた。

 

 

 小さな教会だった。

 

 

 どうやら、私の葬儀を執り行うのだろう。

 

 

 参列者は10人もいなかった。

 

 

 両親や妹もいた、しかし顔は別人だった。

 

 

 別人の顔をした家族が私の死を偲んで泣いている。

 

 

 そのとなりでは私を殺そうとした看護師が喪服を着て笑っていた。

 

 

 いよいよ私を乗せた霊柩車は火葬場へ向かう。

 

 

 

 

 

 

 悔しかった。

 

 

 病気で死ぬならまだしも、病院で看護師に殺される。

 

 

 両親にまた明日会おうと言って別れたはずなのにもう生きて会うことは許されないのか。

 

 

 死にものぐるいで叫んだ、自分にあるだけの力で棺桶を殴った、蹴飛ばした。

 

 

 まだ俺は死ねない。

 

 

 生きたいという執念だけが身体を奮い立たせた。

 

 

 

 

 

 遂に火葬場に到着した。

 

 

 燃やされたら灰になる。

 

 

 もう、生き返ることはできない。

 

 

 せっかく死の淵から生還させてもらったのに、その夜に死ぬなんて・・・。

 

 

 散々、暴れて大声も出してもう私に体力は残されていなかった。

 

 

 悔しいけれど死を受け入れるしか無い・・。

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

  拘束

 

 

 本人確認及び死亡確認で棺桶の蓋が開けられた。

 

 

 目を開いた私の視界に飛び込んだのは、もともといたICUの部屋だった。

 

 

 幻覚だった。

 

 

 やっと気がつき理解できた。

 

 

 死んでない。

 

 

 生きている。

 

 

 

 

 そう安堵したのもつかの間。

 

 

 私の両手両足はロープのようなものでベッドに縛り付けられ一切の自由が奪われていた。

 

 

 そして、目の前には私のことを殺そうとした看護師が仁王立ちしていた。

 

 

 

 

 

 

 長い長い夜はまだ始まったばかりだった。

 

 

 

 

 

 

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

初めから読む

 

 

 

 

 

 

 

お願い

 

今回からのブログは私の意識が戻ってから2,3日の間の話です。

 

人工呼吸器を装着していた一週間ほどのうちに、主治医が許可した限界量の鎮静剤や麻酔薬を投与されていたらしく、ブログの内容の殆どが私の意識が朦朧とした中での幻覚や幻聴によって引き起こされた被害妄想です。

 

ブログの中で、入院先の職員を誹謗中傷してしまうような表現をしてしまいますが、すべて私の被害妄想が原因です。

 

今では本当に多くの方の尽力によって命を救っていただいたと感謝しています。

 

その反面、被害妄想に縛られ何度も自分の死を覚悟したことで自分の死生観が大きく変わったことは確かです。

 

そこで、今回はあえて幻覚、幻聴が見えていた当時の私目線だけの内容にてブログにさせてもらいたいと思います。

 

配慮が足りない表現や支離滅裂な箇所もあると思いますがそこまで含めて当時の逼迫感を知ってもらえたら有り難いです。

 

 

 

 

 

  蘇生後

 

 

 

自宅に救急車を呼び、救急車に乗り込む直前に記憶が途切れた。

 

記憶が戻ったのはその約10日後だった。

 

不思議な感じだった、時間の感覚はあの日から一瞬で時間の中を飛んできたような錯覚に陥っていた。

 

三途の川なんて無かった、夢すら見なかった。

 

何もない無の中を飛び越えて気がついたら時間だけが過ぎていた。

 

 

 

 

起きてからしばらくの記憶は現在になってもぼんやりしているが、看護師さんに今日は何日ですか?なんて質問してそんなに経ったんですね。なんて返答したり雑談をしたことくらいは覚えている。

 

自分の今の状況も訪ねてみたが、誰も教えてはくれない。

 

原因も病名も、看護師からは説明することは許されていないし、詳しいことは主治医しかわからない。

 

そんな言いぶりだった。

 

教えてもらえたのは、緊急入院してきてすぐは意識もあり会話もできた。

 

その後2,3日で容態は悪化し、自発呼吸をすることができなくなった。

 

そこで、人口呼吸器を装着するために喉から管を入れて投薬によって私を眠らせていた。

 

そのくらいだろうか。

 

今日は日曜日で、主治医が不在なので翌日改めて主治医からの説明があると思うのでその時に詳しいことは聞いてほしい。

 

それが、その時の私が説明を受けたすべてだった。

 

ICUのベッドの上で、私にできることは空白の記憶を辿り、自分に取り付けられた点滴や器具を眺めながら、自身の病状を危惧することだけだった。

 

  夢か真か

 


 

ベッドの周りには何本もの点滴がぶら下がり、10日近く食事をしていなかった為、完全に胃袋は空になっており体内に注がれる点滴の無機質な味がダイレクトに身体を刺激し、全身へと広がっていた。

 

意識は戻ったものの、許可が出るまで食事を取ることは許されず、飲水すら止められていた。

 

急な容態の変化に対応できるよう、常に心拍や血圧が把握できるよう胸には3本のコードが伸びてなにか大きな測定器に繋がっていて、そのデータが看護師のもとに常に送られるようになっていた。

 

耳から伸びる線で酸素量を測り、窒息を防ぐために両鼻に伸びたチューブからは酸素が自動的に送り込まれていた。

 

 

 

知らない間に何かが起きていたんだ?

 

 

 

 

ある日突然尿が出なくなり歩けなくなった、もともと至って健康だったし健康診断の数値だって悪くなかったはず。

 

どこかで転んだわけでも、ましてや車にはねられた記憶すら無い。

 

考えれば考えるほど思考のループに嵌っていった。

 

 

 

しかし私は、股間の違和感で現実を受け入れなければならなくなってしまった。

 

尿道から伸びる、自力できなくなった排尿を促すカテーテルのチューブだった。

 

それは紛うことなき、私が入院前に別の病院で差し込まれたものそのものであった。

 

 

 

  

 

 

 

喉の奥に管が入っているのでそれを抜きます。

 

看護師にそう説明され、はじめて自分の喉になにか異物が入っていることを認識した。

 

確かに喋るときに違和感もあったし、声の張りも以前の調子とはまるで違っていた。

 

やってきた医師が喉になにかしらの道具を入れて管を取り出してくれた。

 

 

 

その時の気持ちはとても晴れやかだったことを覚えている。

 

久しぶりの自発呼吸。

 

ちゃんと呼吸ができることがこんなに嬉しいことなんだと気が付かされた。

 

 

病気の山場は過ぎたと完全に思いこんでいた。

 

 

 

  両親

 

 

しばらくしたら私の意識が戻った連絡を受けた両親が駆けつけてくれ、緊急搬送されたぶりの再会を喜びあった。

 

これまで、刑務所での塀越しの面会は多々あれど入院中の面会なんてしたことないし、高齢になった両親に自分が先にお見舞いに来てもらうこと自体が少し照れくさかった。

 

この時点で私自身の調子はかなり安定しており、麻痺の後遺症や今後の入院生活などは楽観的に考えていた。

 

それに、入院前から私の意識が無かった間、両親は胸の締め付けられる思いだっただろう。

 

聞けば、意識のない間も毎日面会訪れてくれていたという。

 

そんな、高齢の両親を前に私のできることといえば、とにかくできる限り元気な状態をアピールして不安を取り除くことだけだった。

 

コロナの対策で両親同時に面会することは許されておらず、寡黙な父親の面会はそこそこに入れ替わりやってきた母親に今回の件を訪ねてみたが、母親からの回答もあまり的を得ないものだった。

 

今になって考えれば、その時の私にどんな説明をしたところで理解できていなかったと思うし、高齢の母親が医師から難しい説明を受けてもそれを伝言するのは難しかっただろう。

 

そして、息子が急に救急搬送され意識不明にまでなって生死の境を彷徨っている状況で病名やその先のことまで気が回らなかったのは仕方がないことだと思う。

 

とにかく今を凌いで欲しい。

 

それだけの思いで毎日面会に訪れてくれた両親。

 

刑務所に入っていた時は一度たりとも面会に来なかった父親も毎日面会に来てくれていたらしい。

 

きっと、その愛情が死の淵から舞い戻してくれたんだろう。

 

だからもう、これ以上は悪化しないだろう。

 

あとは時間が解決してくれるだろう。

 

自分の病名も、こうなってしまった原因も、なにひとつ具体的なことがわかっていない中でその時の体調だけを根拠に自分の回復を確信していた。

 

 

 

もう山場は越えたはずだから。

 

もう死ぬことはないから。

 

 

 

それを聞いた両親はひとまず安心して帰路についた。

 

 

無理矢理にでも元気な様子を両親に見せることが安心を与えるために自分にできる唯一の手段だった。

 

 

  急転

 

 

 

目覚めたのが日曜日ということもあり、主治医のくる翌日まではそれ以上の措置はできないと伝えられた。

 

病名の説明は何一つされなかった。

 

これまで自分の喉に管が入れられていた理由も目的さえ説明されなかった。

 

 

何もわからない状態でICUの看護師スペースの一番側のベッドの上で長い夜を過ごすことになる。

 

時計を見たらまだ18時を過ぎたばかりだった。

 

食事も取ることができない、スマホを触る元気すら残っていないしスマホがどこにあるのかさえわからない。

 

 

 

  精神崩壊

 

 

 

無音の病室に、ときおり木霊する他の病人のうめき声が耳に入る度に、精神がおかしくなっていった。

 

ICUの中で交される看護師同士の会話がすべて自分のことに聞こえるようになっていった。

 

 

こんなにひどい症状は見たことない。

 

他の専門病院に転院して治療した方がいい。

 

肝臓がフォアグラみたいになっている。

 

 

そんな言葉が自分の事を言われている錯覚に陥った。

 

被害妄想による幻聴に加え、幻覚も見えるようになった。

 

自分の状態がわからないまま被害妄想に襲われ、幻聴、幻覚まで見えるようになり私は狂ってしまった。

 

 

 

 

 

 

狂った身体と心で死を直感した。

 

 

 

 

これまで生きてきた人生の中で一番長く、一番怖く、そして一番死を覚悟した一晩が始まった。

 

 

 

 

(続く)

 

 

 

 

 

 

はじめから読む

 

 

 

 

  一時帰宅

 

 ほぼ全身が麻痺し、尿すら自分で排泄できないため尿道からカテーテルを入れてその先には尿を貯める袋がぶらさがっている。

 

 満身創痍状態で、むりやり搬送先の病院から帰路につき、わずかながら腕に残された力を振り絞ってベッドの上にたどり着くことができた。

 

 一階で段差の少ない入り口だったことが唯一の救いだった。

 

 それ以上の段差や二階以上の部屋だったら確実に途中で諦めていたことだろう。

 

 外は少し雨が降っていて着ていた服も濡れていたが、着替えることはできなかった。

 

 濡れた上着だけを投げ出し布団に潜り、帰りに購入してきた水分を摂った。

 

 買ってきたものが減るにつれて、これが無くなった時どうしたらよいのか不安が襲った。

 

 もうベットから降りる力すら残されていない。

 

 藁にもすがる思いで実家の母親に連絡をした。

 

 実家からアパートまで車で約30分、連絡してすぐに母親が駆けつけてくれた。

 

 しかし、最初に搬入された病院からは休み明けに一般外来で受診してくれと既に予約もとってあるのでそれ以上のことはできないし、70歳を越えた高齢の母親をいつまでもいさせるのも申し訳がない。

 

 ひとまず、今日一日過ごせるだけの十分な水分をベッドの上に用意してもらい、トイレにすら行けない状態だったので溜まった尿や吐瀉物を貯めることができるように側にゴミ箱も用意してもらい、一旦母親には帰宅してもらった。

 

 正直、その時点で自分が何が原因で、どこの調子が悪くなって、なんの病名なのか、すらわかっていなかったし、緊急搬送された病院から帰宅させられるということはそこまでひどい病気ではなく、時間の経過と共に症状も緩和されるのではという淡い期待もあったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

  限界

 

 

 母親を帰宅させ、一人で夜を越した。

 

 次第に体中の感覚が鈍っていく、嘔吐したいが腹筋の力が入らず身体の中で不完全燃焼を起こす。

 

 過去に、過労やストレスが原因で顔面神経麻痺を発症したことがあった。

 

 その時も発症は突然だった。

 

 急に顔の半分が動きづらくなり、半日も経たないうちに全く動かなくなった。

 

 顔だけならまだいい、不便だけど息はできるし歩くこともできる。

 

 それに、その時は2ヶ月もしないうちに回復して後遺症もほとんど残っていない。

 

 その時の経験則から、少しの間様子を見ようとしたのだが限界は近づいていた。

 

 

 

  2度目の救急搬送

 

 正午過ぎに心配した両親が様子を見に来てくれた。

 

 私は既にベット上から動くことができず、固形物はほぼ口にできる状態に無かった。

 

 母親が切って持ってきてくれたりんご。

 

 塩のまぶしてある甘いりんごの味が最後に私が味わうことのできた味覚だった。

 

 

 

 

 

 次第に呼吸が苦しくなっていく。

 

 休み明けまで待つことはできないと判断し、昨日緊急搬送された病院に問い合わせるも受け入れ拒否される。

 

 自分の足で行くことができれば受付できるが、救急では受け入れできないとのこと、そして休日ということもあり専門医不在でどこまで処置できるかわからないとのこと。

 

 事態は緊急を要する。

 

 目の前に死を直感した。

 

 最後の力を振り絞り、自分の力で119番へ通報した。

 

 

 

  死を彷徨う

 

 

 2月11日17時30分頃

 

 救急車が到着したのを境に記憶が無い。

 

 気がついたのはそれから約1週間後。

 

 2月19日の午後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 入院してから何度もツイートはしていたようだが、全く記憶にない

 

 後に家族から聞いた話では、入院後次第に全身への麻痺は進行し自発呼吸もできない状態になり最後のツイートを機に、私の呼吸器には人工呼吸器が装着され、喉に入れた管が抜けてしまわないように強制的に眠りにつかされていたらしい。

 

 

 まる一週間近く、機械によって生かされていた。

 

 文字通り生死の境を彷徨っていた。

 

 一時的に三途の川を渡りかけていたらしいけど、死後の世界なんてどこにもなかったと思う。

 

 夢さえ見なかった、気がついたら現実にいて10日近く時間が経過していた。

 

 相変わらず身体は動かないので、看護師さんに訪ねてようやく今日がいつなのかがわかった。

 

 声もほとんど出なかった。

 

 入れ替わりやってくる看護師さんに、自分の名前、生年月日、今いる場所、今日の日付を毎回聞かれた。

 

 自分の名前と生年月日はわかるものの、救急車に乗ってすぐから記憶が無いのでここがどこか分かるはずもなかった。

 

 

 貼ってあるカレンダーを見て日付を答えたが、眼球が落ちくぼみ焦点が全く合わないので正確に答えることができない。

 

 19日の日曜日なのは把握できているが、カレンダーの19日がどうしても水曜日に重なってしまう。

 

 ぼやけた瞼を腕でこすると眼球がこぼれ落ちて取れてしまいそうなほどだった。

 

 そこからの記憶はまた定かではないが、喉に入った管を抜いてなんの目的で付けられているかわからない点滴をいくつもぶら下げて私はICUと言われる場所にいた。

 

    


ICU

 

“生命の危機にある重症患者さんを、24時間の濃密な観察のもとに、先進医療技術を駆使して集中的に治療するもの”であり、集中治療室(ICU)とは、“集中治療のために濃密な診療体制とモニタリング用機器、ならびに生命維持装置などの高度の診療機器を整備した診療単位”と定義されています

 

 

 

 

 そこから3日間の間、今度は麻酔による幻覚、それに被害妄想により、精神崩壊寸前に陥ってしまう。

 

 ビョウインニコロサレル

 

 

 目覚めた当日の夜中に深い幻覚から目覚めた私は、ベッドに両手両足を紐で拘束され動けなくなっていた。

 

 (続く)

 

 

  発症

 

 

約一ヶ月前のことでした。

 

足から背中にかけて突然の異変が起こりました。

 

こそばゆい、というかなんというか日頃あまり感じないような違和感を感じたものの、酒の飲み過ぎ(当日は自宅にてストロングゼロ2本とビール2本ほどを摂取)していたのでお酒の影響なのかとも思いしばらく様子を見てみることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

  おしっこが出ない

 

 

 

 

 

 

時間が経っても違和感が収まるどころか、次第に身体の様子がおかしくなっていきました。

 

昨夜、2リットル近く飲酒したはずなのにおしっこが出ない。

 

膀胱に尿が蓄積される感じは分かるものの、どうがんばってもおしっこが出ない。

 

いよいよ不安が極限まで達し病院へ行くことに決め、119番へ通報。

 

自分で自分を通報するなんて初めてだし、迷惑通報になってしまわないか事前に救急安心事業センターへ相談した上で緊急性ありと判断された。

 

 

 

 

 

身体に違和感はあるものの、足も動くし理性も残っていたので、住居の目の前まで歩いていき救急車の到着を待った。

 

自分の考える救急搬送は動けなかったり意識のない人が、誰かの通報で駆けつけた救急隊員に運び出されて連れて行かれるといったイメージだったからとても申し訳ない気持ちになった。

 

救急車が到着し、自力で中のストレッチャーに乗り込み、血圧やら各種測定を行い、氏名や症状を聞かれた。

 

その間に、別の隊員が搬送先の病院を探してくれて、私は市内の某病院へと搬送された。

 

 

  カテーテル

 

 

 

 

搬送先の病院では、応急処置と言うことで尿道からカテーテルと言われる管を入れ、強制的に尿を抜くという処置をしてもらった。

 

カテーテルの先には袋がついていて、膀胱に溜まった尿が自動的にカテーテルを通じて袋に溜まり、溜まった尿は自分でトイレに流す、そんな感じ。

 

あとから聞いた話だけど、900mlという量はかなりの量だったみたいであまり放置し続けると膀胱炎や感染症のリスクが大幅に上がってしまうとのこと。

 

一旦、尿を抜いてもらい一安心したのかツイートは明るめだけど、その後次第に様子がおかしくなっていく。

 

 

 

  歩行困難

 

緊急外来でひとまず尿を抜いてもらい、応急処置はしてもらった。

 

しかし、その後の診察は一般外来で診察を受けるようにと一旦解放された。

 

時間は朝の6時すぎ、一般回診の受付の始まる8時半まで院内のソファーに腰掛けその時間を待った。

 

尿意は収まったものの、それまでしばらく微熱が続いておりそれに加えて尿道から管が出ている状態で喫茶店で時間を潰したりすることは選択肢には無かった。

 

そして、時間となり受付に他の患者さんが並ぶ列に自分も並ぼうとした時、

 

足元から崩れ落ちるように倒れてしまった。

 

気絶とは違う、純粋に足の感覚がわからなくなっていた。

 

立とうとしても力が全く入らなかった。

 

 

 

病院の職員にお願いして車いすを借りた。

 

緊急搬送だったのですぐに外来で診てもらえると思ったが違った。

 

あさイチで受付を済ませたはずなのに予約優先ということで自分の順番が回ってきたのはもう昼を過ぎ、13時時に差し掛かるところだった。

 

緊急搬送され、熱発していることを伝えても他の患者と同じスペースで待たされた。

 

途中で気絶しそうになり、これ以上待つなら帰らせてもらいたいと申し出てようやく臨時でベットを用意してもらうことができ1時間くらい横になることができた。

 

 

  診察

 

搬送から約8時間。

 

待ちに待った診察は10分程度で終わった。

 

簡単な問診にCT画像を撮っただけ。

 

土日を挟むので、週明けにまた来てください。

 

普段、病院に罹ることがあまりないのでこの対応が普通が異常か判断できなかった。

 

しかし、当時の自分はとにかく家に帰りたかった。

 

具合が悪いのを改善してもらおうと訪れた病院でますます具合が悪くなってしまうなんて予見できなかった。

 

 

  這いつくばる

 

この時点で、完全に歩行することはできなくなっていた。

 

看護師さんに車いすを押してもらい、病院の精算を済ませタクシー乗り場まで連れて行ってもらった。

 

 

乗り込む前に1階にあるコンビニに寄ってもらいありとあらゆる健康に良さそうなものを購入した。

 

野菜ジュース、ヨーグルト、ウイダーインゼリー。

 

藁にもすがる思いだった。

 

 

せっかく緊急搬送されてまで病院へ来たというのに五体満足で帰れないもどかしさ。

 

病院がこんなんなら自分でなんとかする以外に方法はないといった防衛本能が働いたのかもしれない。

 

 

車いすからむりやり押し込められるようにタクシーに乗り込み自分の住むアパートへ帰宅。

 

 

タクシーを降りて部屋の扉まで約20メートル。

 

その距離が果てしなく遠かった。

 

既に、腕以外の感覚がほぼなくなっておりタクシーから降りることすらできない、転がるように地面に降り腕だけの力で小雨の中を必死に這いつくばり15分ほどかけて自宅までたどり着くことができた。

 

もう70歳近いと思われるタクシーの運転手さん。

 

荷物を運んでくれたり、自宅に入る最後まで見届けてくれたり本当に助かりました。

 

 

感謝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてその後、どんどんと容態は悪化していくことになる。

 

 

 

 

 

 

(続く)

 皆様、お久しぶりですしゃかびです。

 

 昨年末よりブログの更新が止まってしまい誠に申し訳ございません。

 

 実は、2月の初旬に急な病に襲われてしまい現在は入院して闘病中です。

 

 病名はまだ確定していませんが、【脊髄炎】の疑いということで治療を続けています。

 

 ある日、突然尿が出なくなりそのまま一気に全身が麻痺状態になり、救急搬送されて病院で遂に呼吸器まで動かなくなり呼吸器を使用してなんとか息伸びさせてもらった。

 

 そんな状況です。

 

 発症後、約一月がたちある程度回復はしてきたものの自力で尿は出せず、四肢の痺れは寛解まで至っておらずこの一ヶ月はベッドから降りることができず、入浴すらできていません。

 

 ブログの更新についても右手の反応が絶望的に悪くキーボード入力が困難なため諦めていました。

 

 発病から約ひと月がたち、再度キーボード入力に挑戦してみました。

 

 ここまで書くのに約30分。

 

 以前に比べれば途方もない時間がかかっているけど少しづつ回復しているのは確かだということだけは確信しました。

 

 私は今回の病気で、本当に自分の死を覚悟しました。

 

 覚悟したけれど、生への執念が強すぎて今こうしてブログを再開するまで回復できることができました。

 

 それは、家族や友人、そしてSNSを通じて私のことを心配し祈ってくれた皆様のおかげだと思っております。

 

 私のことを生かしてくれて本当にありがとうございました。

 

 今回の件で、私の中にどれだけ障害が残ったとしても何が何でも生きてやるという決意が固まりました。

 

 それが、色んな人の尽力で生かされた自分にできるただ一つの恩返しです。

 

 

 

 長くなりましたが、3月9日時点でのしゃかびの現状です。

 

 もう少し指先の回復を待ちつつ、闘病記をもう少し具体的にブログに残したいと思いますがなかなかエネルギーを消費してしまうので、ハンターハンターの再開を待つくらいの気持ちで気長に待っていただけると幸いです。

 

 

 それでは皆様、またお会いしましょう!!

 

 



💬ちゃっかりお見舞い受け付けしております🙇‍♂️

 



 

 

 

 ◀振り込め詐欺の全工程を最初から読む▶

 

 

 

 ◀続・回想を最初から読む▶

 

 

 

 ◀詐欺で私腹を肥やし続けた結果逮捕され人生終了仕掛けた話を先に読む▶(完結)

 

 

 

 ◀薬物の怖さがまじまじとわかる体験談▶(完結)

 

 

 

 

 

  設定

 

対象からすべての資産情報を奪い、銀行名から支店名、そして振り込んである金額まですべてが記入してあるメモを見ながら、その中でどれだけの金を奪うことができるかをリーダー格の男を中心として話し合う。

 

全財産を奪うことはしない。

 

対象の全財産を奪い相手が路頭に迷うことになれば、警察に通報されるリスクが高まる。

 

ましてやその挙げ句、自殺などされてしまえば自ずと事件化してしまうかもしれない。

 

 

当時は振り込め詐欺グループが群雄割拠していた時代。

 

被害者措置もまだ黎明期で、捜査が始まり逮捕まで結びついた事件など氷山の一角であった。

 

 

被害者自身も、被害にあったことがわかっても恥ずかしくて誰にも言えない。

詐欺に引っかかってしまったことが家族に知られたら、家族から責められてしまうといった心境で詐欺被害にあったことすら公にできず、警察や行政の関与の無いまま詐欺行為が簡潔してしまうということも稀ではなかった。

 

我々が目指すのは、金銭をだまし取ったうえで警察にも通報されず事件自体が有耶無耶になることだった。

 

いわゆる、泣き寝入りさせることが私達にとっての大成功だった。

 

 

  思案

 

 

騙し取る金額は最低でも100万円。

 

その後は相手の資産を鑑みて増額させていく。

 

手元に200万以上の現金があれば銀行へは行かせない。

 

手元にある現金をすべて奪う。

 

銀行に行かせなければ現金が動いた証拠は残らない。

 

対象が銀行へ向かい、現金をおろして戻ってくるまではこちらとは一切連絡が取れなくなってしまう。

 

詐欺の工程の中で唯一、他の人間と接触してしまうリスクがなくなるのはこちらにとっては好都合であった。

 

 

手持ちの銀行の口座数が多いときは、そのうち預金残高の特に多い2口座に絞り、その口座の中から幾ら捻出させるかを考える。

 

銀行や郵便局もバカではない。

 

もう、10年以上前から振り込め詐欺は横行しており、社会問題化すればするほど高齢者の高額引き出しに銀行側も慎重になり、場合によれば警察と連携して引き出しを抑止させることもあった。

 

よって、たとえ高額な預金残高があっても全額引き出させてくるようなことはしない。

 

これまでの通話の中で、相手の生活環境がどういったものなのか、銀行に行ったときにこちらが指南した引き出し理由をきちんと説明できるかどうか、それにこれまでの電話の中でこちらの話をきちんと理解して、心配した上で自ら協力的になってくれているか、そして心配しすぎて銀行へ行った時に平常心を保っていられるか。

 

ありとあらゆる事を踏まえながら騙し取る金額を決めていく。

 

完全歩合で奪った分の金額に対して報酬が決まるため、奪う金額は多ければ多いほどよい。

 

しかし、高額になればなるほど失敗するリスクも高まる。

 

そんなジレンマを抱えながら最適解を探る。

 

失敗も成功も終わってみなければわからない。

 

もしかしたらもっと少なめの金額にしたら成功してたかも。

 

この金額で成功したならもっと多めに奪えたかも。

 

案件が終わったあとにどれだけ反省しても後の祭りだ。

 

たらればになってしまわないように、金額の決定はアポ者である最初に電話をかけた本人に委ねれれる。

 

絶対的な成功を目指すなら手元の現金のみ。

 

欲張れば、現金プラス銀行ひとつ。

 

対象が元気で、なおかつ2行以上の銀行に高額預金があればそれ以上

 

時間が開けば開くほど対象は平常心を取り戻してしまい詐欺だと気づいてしまうかもしれない。

 

短ければ短すぎるほど焦りすぎて銀行員に疑われてしまうかもしれない。

 

限られた時間の中で思考を巡らせ、奪い取る金額を決定する。

 

 

  金額設定

 

 

奪い取る金額が決まったら、次にすることは今回紛失した手形の額面とそれを補填する部長、部長の母、そして本人の負担額の設定。

 

例えば、奪う金額が500万円だと仮定する。

 

手形の額面 2000万円

 

そのうち

部長の母親の負担 800万円

部長の負担 400万円

本人の負担 300万円

 

の合計1500万円を補填として用意できているが残りの500万円が足りないので一時的に補填してほしいと要求をすることになる。

 

ポイントは、本人より部長、対象より部長の母親のほうが高額を用意するということ。

 

そして、残りの金額はすでに用意ができていてあとは対象が金銭を用意する約束だけしてくれれば事態が解決する方向へと進むということ。

 

対象が断ってしまえば何もかもが立ち消えになってしまう。

 

これまで部長が庇ってくれたことも。部長の母親にまでお金を用意させてしまったことも。

 

そして、今の不祥事が発覚したら本人だけでなく部長にまで迷惑がかかってしまう。

 

もはや、根本的に詐欺だと気がつく以外に対象に後戻りする道は残されてはいない。

 

そして、他人への相談や本人への連絡はできないようにこれまでの会話の中で嫌というほど刷り込んで洗脳してある対象に詐欺だと気がつくほどの余裕はすでに残されていない。

 

お金さえ用意できれば問題は解決して、元の平穏な時間に戻ることができる。

 

 

解決するには自身がお金を用意する他に手段はない。

 

 

もうそこに、対象に警察や他の誰かに相談する選択肢はない。

 

そこにあるのは今やることを終わらせなければと言う使命感だけだ。

 

 

 

最後に、部長の名前をと母親の住んでいる場所を細かく設定する。

 

部長の名前はとにかく権威がありそうな名前、鈴木や佐藤では箔が付かない。

 

勅使河原や道明寺。

 

ここまできたらやりすぎでも構わない、どんな手段を使ってでも部長の存在感を際立たせる。

 

部長の母親の住所は本人が今いる設定の駅から1時間以上掛かる場所を設定する。

 

それが、現金受け渡しの際に本人ではない別の人間、いわゆる受け子を向かわせる理由に結びつく。

 

 

  4度目の架電

 

 

すべての設定を決め、いよいよ対象に4度目の電話をかける。

 

次に電話を切ったあと対象は銀行に走る。

 

仲間全員とグータッチをして電話をかける、一旦これで私の出番は終わる。

 

 

もしもし。

 

事情を説明してこちらからもこれだけ協力できるって話をしたら、なんとか無くした手形の補填全額できそうだって。

 

それでさ、お金にかかわることだし部長の口からきちんと話しがしたいって。

 

だから、今から電話を代わるから。

 

今回本当に迷惑をかけているし、会社の中でも特に偉い人だから失礼のないようにね。

 

じゃあ、代わるから・・・。

 

(それでは、部長。よろしくお願いします)

 

電話を離してよそ行きの声色に変えて部長へと繋ぐ。

 

 

もしもし、お電話替わりました。

 

部長を勤めさせてもらっております道明寺と申します。

 

まだ20代前半のリーダー格の男が精一杯の低音で部長に扮する。

 

これまでの神格化と、身内の不祥事の申し訳なさでもう対象に自分の意志を伝えることはできない。

 

 

これ以降の話はすべて部長がする。

 

 

人間は権威に屈する。

 

それこそが振り込め詐欺の真骨頂だ。

 

 

(続く)