No.26の国語は「そこに僕はいた」
息子はジーニアスの「合格する国語の授業」で一部抜粋されたものを読んでいたので、「ちょっとだけ知ってる話だったよ
」と嬉しそうに音読してくれました。
「そこに僕はいた」はロン毛で(今も?)パリに住んでいて中山美穂の元ご主人で、昔はバンドECHOESのボーカルだった辻仁成さんの同名のエッセイ集『そこに僕はいた』の中の1話です。
著者の初期作品が大好きでして(私が)、初期の文庫化された小説はリアルタイムで買って、今もほぼ残っています。少しだけエッセイ集も買っていて、『そこに僕はいた』もその中の1冊です。
ってかさ、文庫とはいえ新刊で買っていたようですが(単行本は高いし嵩張るしね)、発行年は
平成7年
つまり、1995年
約30年前、マジかよ
我が家にある辻仁成コレクションを見たら、軒並み90年代に文庫化され、購入したものばかりだった真実
これらを読んでいたのはつい最近と思っていたのに…
トシヲトッタワケネ…
息子が読みたがっているので、一部規制を入れつつ読んでもらおうと思います。
テキストでこの話が出てきた当時のお姉は本当にテキストを回すのにいっぱいいっぱいで。
テキスト以外の市販教材に手を出すのは自殺行為、週末のお出かけなんて無理無理、息抜きすら厳しかった。まぁ、ギャンギャンキーキー
で時間を取られていたのですが。お年頃でしたからねー。
だから、個別やコベツバをされている方、週末のスポーツを続けている方など「時間が足りない」と言っていても、当時の我が家と比べるとうらやましいくらい時間にも精神的にも余裕があると思います。我が家のお姉が中堅層以下の現実の姿じゃないかな。
その点、息子はやっぱり楽。
こちらは2人目なので「親が頑張っても焦ってもイライラしてもしょーもない
」事を分かっているし、息子の時間の使い方がお姉よりマシなので、時間にも精神的にも余裕がある。
お姉は一度たりともテキストの文章の続きを読みたい!なんてリクエストはなかったけれど、息子には何回リクエストされた事か。今回の様に手持ちで間に合うならいいのですが、廃版のため中古本を買ったり、地元の図書館では取り扱いなく所蔵している他の自治体の図書館をやっとこさ見つけて借りたこともあります。
息子を上位層というのは烏滸がましいのですが、嗚呼、これが(今の所の)上位層とボリュームゾーン以下の差か…と今更ながら痛感させられると同時に、お姉の時は本人も親も視野が狭くて余裕がなかったな、もう少しゆったりとしてもよかったなと反省してしまいます。多分、結果は大きく変わらなかったと思うんだよね。
あっ、お姉はお姉なりの精一杯の努力をして、今は楽しいJCライフを送っているので、結果オーライなんですよ

お姉と比べると余裕かましている様にしか見えない息子を見ると、ついついイラッ
としちゃうので(偶に派手にやらかすから尚更
となる)、そんな自分を戒める為の日記です
ここ数日は懐かしくなってECHOESをヘビロテ。
息子の鼻歌も「ZOO」です(笑)

