「はじまり」
1993年 PRADA/プラダのセカンドラインとして「miu miu/ミュウミュウ」を発表する。
「変遷」
ミュウミュウのブランド名はプラダの創業者の孫でPRADA/プラダのデザイナーを担当するMiuccia Prada/ミウッチャ プラダの子供時代の愛称に由来している。清楚でスタイリッシュなデザインが人気となり、若者の憧れのブランドとなる。
日本ではサンダル、パンプスなどの靴のコレクション、バッグ、財布、サングラスなどのアクセサリー系が人気である。
2007年 ミュウミュウ ブティック青山店がリニューアル・オープンする。
2008S/Sシーズンを持ってミュウミュウのメンズラインを終了することを発表する。
現在はニューヨーク、ロンドン、ミラノ、東京、神戸、福岡などにショップを展開するまで成長する。
「特徴」
「日常を贅沢に飾る」をコンセプトとし、現代的で革新的な素材使いやデザインの斬新さと、伝統や歴史等の過去とのみごとな調和で世界的なブームを巻き起こす。彼女ほど女性の内面を表現できるデザイナーはいない、と評される。
彼女は「ファッションは大好き。でも自分のすべてを支配されるようになっちゃだめだと思う。人生の素敵な一部分だけど、たんに娯楽であるべき」とインタヴューで答えている。
〈補足〉
Miuccia Prada/ミウッチャ プラダ
1950年 ミラノで生まれる。現在は「PRADA」、「Miu Miu」を手がける。
彼女の祖父マリオが高級皮革製品の会社をミラノに立ち上げたのは1913年だった。政治学で博士号を取得したミウッチャは78年、母親に乞われて、気乗りしないままファミリー・ビジネスを手伝うことになり思いも寄らぬ後継者となった。70年代にはパントマイムの勉強をしたり、共産党に入って女性解放運動もしていたが、ファッションの世界に転じてからは、新たな才能が開花した。85年に発表したナイロン製の黒いバッグは大評判になり、スーパーモデルや世界中のファッション・エディターたちの注目するところとなった。
ビジネス・パートナーでもあるのがパトリツィオ・ベルテリである。
「夫と出会っていなかったら、たぶん私はギブ・アップしていただろうし、少なくともこんな業績は残せなかったと思う」ベルテリの采配のおかげで、プラダは世界的な巨大複合企業となった。「FENDI/フェンディ」「HELMUTLANG/ヘルムート ラング」「JIL SANDER/ジル サンダー」などを傘下におさめていった。


