こんばんは。

ご覧頂きありがとうございます😊

 

本日も想像力と発掘良品の発掘⑳というテーマで

 

秘密の儀式(1968)

(原題:SECRET CEREMONY)

 

という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。

 

★発掘良品の発掘とは?

発掘良品とは、惜しまれながらも2022年3月に終了を迎えた、TSUTAYAさんによる新作・旧作、有名・無名、公開・未公開ではなく「面白い」を基準に作品をセレクトし、毎月紹介してくれている映画ファンたのための素晴らしいシリーズ。

本シリーズは、そんな発掘良品の全作品を5~6年かけてご紹介させて頂こうという超長期目標のシリーズの最終回となっております😄

 

↑今月のラインナップの詳細はコチラ!

 
 

 

 

ミア・ファローの怖い映画…

 

本作は1968年に公開されたイギリス映画。

 

ポスターからもお分かり頂けると思いますが、本作は「ローズマリーの赤ちゃん」や「キャリー」などで神経症的な女性を演じられているミア・ファローさんが出演されている作品。

 

ミア・ファロー。

 

美しい碧い瞳とスリムなボディを持つミア・ファローは、まちがいなく美形女優なのですが、60年代のカウンターカルチャーの雰囲気を色濃く持つ彼女は、一般社会から乖離したような女性を演じる事も多く「三人の女」や「見えない恐怖」などの作品でも、異才を放っていらっしゃいます。

 

「ジュリア 幽霊と遊ぶ女 (1976)」

という未DVD化作品もなんだか怖そう!

配信またはDVD化希望です😆

 

 

そんなミア・ファロー出演作品である本作も、観ている観客の心を不安にさせるサスペンス系の作品なのです。

 

1945年生まれのミア・ファローは

本作出演時23歳!

やっぱりちょっと怖いですね汗汗

 

 

 

アバウトなストーリー 

 

「キネマ旬報社」さんのデータベースによれば本作の解説は以下の通り。

 

マルコ・デネヴィの短編小説を、ジョージ・タボリが脚色、「できごと」のジョセフ・ロージーの監督によるサスペンス・ドラマ。

撮影は、ジェラルド・フィッシャー、音楽は、リチャード・ロドニー・ベネットが担当。

衣装は、スーザン・イェランド、編集は、レジナルド・ベックが担当した。

製作はジョン・ヘイマンとノーマン・プリゲン。出演は、エリザベス・テイラー、「ローズマリーの赤ちゃん」のミア・ファロー、ロバート・ミッチャム、他に英国の舞台女優のパメラ・ブラウン、ディム・ペギー・アシュクロフトなど。
 

 

 

 

 

そんな本作の冒頭のストーリーは以下の通り!

 

① 映画の冒頭、小さな部屋でレオノーラという名の中年女性が目を覚まします。化粧をするレオノーラの鏡台には、娘らしき女の子の写真が飾られていますが、その少女は見当たらず、レオノーラは喪服を着て墓場へと向かうバスに乗り込みます。

 

少女の写真が載っている鏡台は

あまり大きくありません。

 

 

② バスに乗車したレオノーラは、彼女を凝視する少女が乗っているのに気づきます。面識のない少女はレオノーラに向かって「ママ、帰ってきてくれたの。」と嬉しそうに話しかけてきました。

 意味が分からないレオノーラは彼女を無視してバスを下車して墓地へと向かいましたが、少女はこっそりレオノーラの後を追い、レオノーラが溺死してしまった自分の娘の墓の前にいる時に再び声を掛けて来ました。

 

バス内で突然見知らぬ子どもに

「ママ」と呼ばれたレオノーラは

動揺して少女を無視しますが…

 

レオノーラが娘の墓前で祈っていた時

再び少女が声をかけてきました。

 

 

③ 少女はレオノーラを自分の母親だと信じ切っており、家に戻ってきて欲しいと言って豪華な屋敷にレオノーラを向かえ入れます。最初は不審に思っていたレオノーラですが、家族や使用人はいないのかと聞いた時、少女が「自分の義理の父親のアルバートも執事たちもママが追い払ったのよ」というのを聞き、少女が屋敷に一人で住んでいるのを知り、どことなく親近感を覚えるようになります。

 

少女に招かれて入った屋敷は

とんでなく豪華な館!

 

 

④ 成り行きで少女の母親役を演じる事になったレオノーラですが、少女を訪ねてきた親戚の話によると。少女はチェンチという名前で、母親は既に亡くなっており、母親を崇拝していたチェンチは母を亡くしたショックによっておかしくなってしまっていたという事が分かったのです。

 

明らかに母親とちがうレオノーラ。

それでも自分を母だと慕うチェンチに

レオノーラは溺死した娘を

重ねてしまいます。

 

 

 

さて、果たしてレオノーラとチェンチの偽装母子は、果たして幸せになれたのでしようか?

 

それは是非、皆さん自身の目でご覧になって頂ければと思います。

 

自分を母親だと思い込んだチェンチに

愛情が芽生えてゆくレオノーラ。

本物の母子ではない二人は

果たして幸せになれるのでしょうか?

 

 

 

【私の感想】"あきらめの悪さ"は体力やスキルよりも強い

 

皆様がご覧になる楽しみを奪わないよう、これ以上詳細を書く事は差し控えさせて頂きますが、本作はキネマ旬報社さんの解説にある通り短編小説を映画化したもの。

 

マルコ・デネヴィ氏の小説を読んだことはありませんが、短編小説の多くは起承転結がはっきりしており、登場人物もシンプルな動機で行動するものです。

 

ですので本作の場合は…

 

起 娘を水難事故で失ったレオノールは生きる目的を失っていたが、そんなレオノーラの前に、実母を失って狂気に堕ちたチェンチという少女が現れた

 

承 最初は困惑したレオノーラだったが、自分を母と慕うチェンチに、亡き娘の姿を重ね合わせたレオノーラは、嘘を承知で母親の役を演じる事になった。

 

という展開になりますが、その後には「転」と「結」が待ち受けており、偽装母子の行く末に待っているのは、たとえ資産が残されていたとしても、最愛の人を失った人間にとって財産は虚無でしかないという事を物語っているようなラストを迎えます。

 

 

 

そう。

 

愛を補填する物質的なものは存在しないのです。

 

いくら母子のフリをしても

喪った娘の事を思い出してしまうと

レオノーラは涙が溢れるのです…

 

 

私見ですがそんな本作は最愛の家族を喪った二人の女性が疑似家族を形成してゆく過程を描いた作品であると同時に疑似家族によってもたらされた幸せは、本当の家族との思い出と比較した時色あせてしまうもので、楽しいければ楽しいほど、愛する人を喪った絶望蘇ってしまう事を描いた、人間の悲しさを描いた作品ではないかと思うのですが、皆様はどう思われるでしょうか?

 

どんなに楽しい思い出を構築しても

過去の最愛の人との思い出が

フラッシュバックすれば

それまでの関係も

嘘で塗り固められたものだったと

考えてしまうかもしれません。

 

最愛の人を喪った哀しみとは、

一生癒えない傷となって

当事者を苦しめる可能性があるのです…

 

 

 

 

 

という訳で次回は

 

変装、変装、また変装

 

というテーマで

 

秘密殺人計画

 

という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします😘

 

 

 

ではまた(*゜▽゜ノノ゛☆