こんばんは。

ご覧頂きありがとうございます😊

 

本日も想像力と世界の写窓からというテーマで

 

アンジェリカの微笑み(2010)

(原題:O ESTRANHO CASO DE ANGELICA)

 

という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

★世界の写窓からとは?

 

自由に海外旅行を楽しめたのが、遠い昔の様になってしまった2020年代。

 

今海外は、一体どのような状況になっているのでしょうか…

 

「世界の写窓から」は、そんな世界各地の状況を、映画に写った画像を通して観に行こうというコンセプトで映画紹介をしてゆくシリーズです😊

 

↑本日の写窓はポルトガルのドウロ河流域です😊

 

 

 

101歳の監督に見えている世界

 

前回の「ぶあいそうな手紙」は、60歳のアナ・ルイーザ・アゼヴェード監督による、人生の最後をどう過ごすべきかについて描いた作品。

 

 

60歳と言えば論語では「人の言うことに逆らわず素直に聴けるようになる(耳順)」年齢であると言われいます😉

 

 

では、60を遥かに超え100歳となった時には、人はどのような考えに至るのでしょうか?

 

 

本日の作品は、105歳で亡くなられたマノエル・ド・オリヴェイラ監督が101歳の時に描いた心の中の想いを描いた作品なのです…

 

↑101歳に至った時の心の想いとは…

 

 

 

アバウトなストーリー 

 

「キネマ旬報社」さんのデータベースによれば本作の解説は以下の通り。

 

2015年に他界したマノエル・ド・オリヴェイラ監督が、半世紀以上温めた脚本を直し101歳の時に撮り上げた幻想譚。

早世した女性の撮影のため青年がカメラを向けると、死んでいるはずの彼女に微笑みかけられ、その美しさの虜になる。

オリヴェイラ監督の孫で「ブロンド少女は過激に美しく」「夜顔」など数々のオリヴェイラ作品に出演するリカルド・トレパが不思議な愛に没頭するユダヤ人青年を、魅惑の微笑みを浮かべる死んだ女性を「シルビアのいる街で」「女王フアナ」のピラール・ロペス・デ・アジャラが演じる。

第63回カンヌ国際映画祭『ある視点』部門上映作品。

 

 

 

 

はい。

 

キネマ旬報社さんの解説に「幻想譚」と書かれているように、本作はリアルな作品ではなく、ファンタジックなストーリー。

 

 

主人公のイザクは、最近ポルトガルのドウロ河流域の小さな町に引っ越して来た青年。

 

趣味で写真を撮ってるイザクの元に、ある晩、町の偉い人の館から、今夜写真を撮りに来て欲しいという依頼が来ます。

 

 

突然の依頼に驚くイサクですが、有力者からの依頼を断る訳にもいかず、迎えの車に乗ってポルタシュ館という古い館へ向かう事になります。

 

ポルタシュ館に到着すると、そこではアンジェリカという若い娘の死を悼む親類縁者たちが集まっており、イザクへの依頼は、急逝したアンジェリカの姿を写真に残して欲しいというものでした。

 

↑近親者の集まるポルタシュ館に招かれ

 アンジェリカの写真を撮る事となったイサク。

 

 

死後まもないアンジェリカの遺体は童話の眠り姫のよう。

 

カメラを取り出してアンジェリカに焦点を当てたイサクですが、その時突然アンジェリカは目を開いてイサクに向かって微笑んだのです!

 

↑まるで眠っているようなアンジェリカの遺体。

 

↑イサクが写真を撮ろうとすると

 アンジェリカが目を開けて微笑んだのです!

 

 

驚いたイサクは、周囲にいる人に見まわしますが、他の人にはアンジェリカの微笑みは見えていない様子。

 

怖くなったイサクは、早々にポルタシュ館を立ち去りますが、自室に戻って現像したアンジェリカの写真もイサクに向かって再び微笑みかけて来たのです!!

 

↑あっ!!また微笑んだ!!!

 

 

 

さて、果たしてイサクの見たアンジェリカの微笑みは、一体何を意味しているのでしょうか?

 

それは是非、皆さん自身の目でご覧になって頂ければと思います。

 

↑翌日、葬儀で見たアンジェリカは

 イサクに微笑みかけてきませんでした。

 一体何故なのでしょう???

 

 

 

【私の感想】 百にして迎死

 

皆様がご覧になる楽しみを奪わないよう、これ以上詳細を書く事は差し控えさせて頂きますが、前述しました通り本作はリアルな作品ではなく、ちょっと怪談めいた幻想譚。

 

写真が好きなイサクは、ファインダーやフィルム越しに、生前のアンジェリカに出会いますが、その後、部屋の窓から双眼鏡越しに見た農夫たちも、現実には存在しない人間だった事が明らかになり、イサクは既にこの世には存在しない人たちと、心を通わせられる事が分かってきます!

 

↑イサクが双眼鏡で観た鍬で畑を耕す農夫たち!

 

↑イサクは急いで現場に急行し

 古き良き農夫の姿をカメラに収めますが…

 

↑数時間後に同じ場所を訪れると

 鍬を持った昔の農夫はおらず、

 機械を使って農薬を散布していました…

 

 

恐らくですがこれは、長年映画監督を務められたきたマノエル・ド・オリヴェイラ監督自身が、かつて出会っていた人たちと、今の人たちを重ね合わせて見ている事を描いているのではないかと推測されます。

 

 

 

そう。

 

長く生きるという事は、多くの人を看取る事になるという事!!

 

 

 

1931年から映画を撮られてきたマノエル・ド・オリヴェイラ監督にとっては、彼がレンズを向けたほとんどの被写体の方は既に鬼籍に入っておられると思われますので、彼は自分の過去の作品を観る度に、死者の動いている姿を見るような想いに駆られていたのではないでしょうか…

 

 

論語において孔子は、年を取る事で悟っていく感情を

 

 私は十五歳のときに学問を志し始めました。

 

 三十歳にして独り立ちをし、

 

 四十歳で迷うことがなくなりました。

 

 五十歳のときに天命を理解し、

 

 六十歳のときに人の意見を素直に聞けるようになりました。

 

 七十歳の時にやっと自分の思うままに行動をしても

 人の道を踏み外すことがなくなりました。

 

と記されていますが、80歳以上についての記述はありません。

 

 

 

私見ですが本作は、孔子すら成し遂げられなかった100歳に至ったマノエル・ド・オリヴェイラ監督の胸中の想いを描かれた作品。

 

100歳になって思う事は、自分の作った作品も、出会った人たちも、今はフィルムや映像の世界の住人たち。

 

だからこそ、彼らと再会する事を望み死を迎え入れる準備が整った境地はこんな感じですよ、と後世の私たちに伝えているのが本作なのではないかと思うのですが、皆様はどう思われますでしょうか?

 

↑死者たちと話すのもまた楽しからずや…

 

 

尚、前述しました通り本作の舞台はドウロ河の流域。

 

そしてマノエル・ド・オリヴェイラ監督が1931年に作られたデビュー作のタイトルは「ドウロ河(Douro, Faina Fluvial)」なのです…

 

↑映画の冒頭はドウロ河の夜景。

 

↑そんなドウロ河の昔の景色は、

 若き日のオリヴェイラ監督の手によって

 作品の中で今も動いているのです😄

 

 

 

 

 

 

 

という訳で次回は

 

クロアチア生まれのSF

というテーマで

 

マイ・ロボット

 

という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします😘

 

 

 

 

ではまた(*゜▽゜ノノ゛☆

 

★おまけ★

併せて観たいマノエル・ド・オリヴェイラ監督の映画
「ポルトガル、ここに誕生す ギマランイス歴史地区」

 

101歳で本作を撮られたマノエル・ド・オリヴェイラ監督ですが、これが遺作ではなく、その後も2作の映画を撮られています。

 

この作品は、今のポルトガルのギマランイス歴史地区に住む様々な人に焦点を当て、時代は変わるものですよと語っているような、ライトタッチのショートムービー!

 

103歳のウィットに富んだ歴史館にご興味のある方は、是非ご覧頂ければ幸いです😘