こんばんは
ご覧頂きありがとうございます

\(^▽^)/

 

 

 

 

 

 

本日も

 

想像力と辛苦の人生

 

というテーマで

 

ダンサー・イン・ザ・ダーク

 

 

という映画を

 

ご紹介させて頂ければと思います。

 

 

 

 

 

人生の辛苦とは

 

他者の目から観た視点と

 

その人自身で感じている事では

 

異なっているかもしれません。

 

 

 

 

 

特肉親の幸福を願っての辛い選択は

 

当事者にとっては

 

幸福な決断だったりするかもしれないのです…

 

 

 

 

 

 

このシリーズで

 

本作品を選ばせて頂いた理由は3つ。

 

 

推薦理由①
辛苦に満ちた選択も
当事者にとっては

必ずしも絶望ではない
という事が
描かれているから

 

 

 

 

 

本作はネットなどにおいて

 

後味の悪い映画として

 

常に上位にランキングされている映画。

 

(ノ_-。)

 

 

 

 

 

 

理由としては


切なくて感動的なミュージカル

 

という前知識だけで観た人にとっては

 

衝撃が強すぎる内容

 

だからだと思われます。

 

↑確かに美しいメロディーのミュージカルシーンと

感動的なストーリーなのですが

「みんなが好きな楽しいミュージカル」

という感じではありません。

 

 

 

 

 

 

本作の主人公は

 

次第に失明しつつあるセルマという母親。

 

↑セルマを演じるは

90年代の異能ミュージシャンのビョーク。

 

彼女の歌はジャンル分け不能の

「ビョークのオンガク」

なのです。

 

 

 

 

 

 

セルマには息子と二人暮らし。

 

裕福ではありませんが

 

母子は仲良く愛し合って暮らしています。

 

 

 

 

 

 

けれどセルマの目の病気は遺伝性。

 

 

 

 

 

 

彼女は、いつか息子も失明してしまうかも

 

という事を恐れ

 

つましい生活の中、必死で貯金をしています。

 

 

 

 

 


その理由は

 

息子が目の病気を発症する前に

 

有名な医師に手術をしてもらうため。

 

 

 

 

 

 

爪に火を灯すように貯めて

 

もうすぐ目標額に達成しつつありましたが

 

そのお金を狙う男がいたのです。

 

 

 

 

彼はセルマが住んでいる家の大家さん。

 

 

 

 

派手な放蕩の末にお金がなくなってしまい

 

セルマが大金を持っている事を知り

 

目が見えないのを良いことに

 

こっそりお金を盗み出してしまうのです。

 

 

 

 

 

 

さて、息子の手術代金を失ったセルマは

 

一体どうなってしまうのでしょう?

 

 

 

 

 

それは是非、皆さん自身の目で

 

ご覧になって頂ければと思います。

 

↑愛する息子の目を治すのが私の人生。

 

お願い!お金を返して!!

 

 

 

 

 

 

セルマにとっての生きる意味とは

 

息子の目を治療させる事。

 

 

 

 

 

 

ん?

 

 

 

 

 

 

と、いう事は

 

セルマ自身の目は治らなくてもいいの?

 

 

 

 

 

 

はい。

 

 

 

 

 

 

彼女にとっては

 

自分の目が治る事は重要ではなく

 

失明する事に関しては

 

心の中でしっかりと受け入れているのです。

 

 

 

 

 

 

大好きだったダンス教室でも

 

息子を養うために働いている工場でも

 

彼女はみんなに愛されていますが
 

そんな世界ももうすぐ見えなくなってしまうのは

 

とても寂しく辛いこと。

 

↑セルマの目が悪くなっているのを知っていて

友達はみんな助けてくれます。

 

 

 

 

 

 

けれど、心優しいセルマは
 

子供の幸福のために自分が犠牲になる

 

というのは受け入れており

いざ目が見えなくなったとしても

闇の中でも世界を観れるように準備をしています。

 

 

 

 

 

 

その方法は

 

何気ない音から世界の鼓動を感じる

 

豊かなイマジネーション。
 

 

 

 

 

 

汽車の音も、工場の機械音も

 

セルマの心の中では

 

すべてが美しいシーンとなっていきます。

 

↑たとえこの道が見えなくなったとしても

 

↑心の中では、みんなに祝福される道として

ずっと輝き続けるの。

 

 

 

 

 

 

 

彼女は、例え目が見えなくなった先にも
 

音で人生を楽しもうとしているのです!

 

 

 

 

 

 

推薦理由②
何気ない音を映像化する
ビョークの豊かなイマジネーションが
映画化されている

 

 

↑そもそもビョークは

卓越したイマジネーションを持つアーティスト。

 

彼女のビデオクリップは

彼女の脳内世界へのトリップでもあるのです。

 

 

 

 

 

 

↑ビョークの「ヒューマン・ビヘイビア」のPV。

 

製作したのは

「エターナル・サンシャイン」などの監督

ミシェル・ゴンドリーです

 

 

 

 

 

 

けれど…

 

そんな幸福感に満ちた世界で暮らせるのは

 

息子の目が治ったという

 

人生の目標が達成された後だから!

 

 

 

 

 

手術代が奪われるというのは

 

彼女の生きる意味を奪われる事でもあるのです。

 

 

 

 

 

ここから先、彼女の行った行為と

 

それに対する周囲の決断が

 

この映画の賛否の分かれさせるところ。

 

 

 

 

 

こんなのリアルじゃない!

 

あまりに酷い展開でセルマが可哀そう!

 

そして何より

 

こんな話を観たくない!
 

というのが、お怒りの方のご意見だと思います。

 

 

 

 

 

 

けれど…

 

もし本作が安易なハッピーエンド映画なら
 

皆さんの心に残る良い映画になったのでしょうか?

 

 

 

 

 

それは疑問に残るところです。

 

 

 

 

 

仮に、マッチ売りの少女が

 

最後には死ななかったとしたら

 

辛苦の人生だとしても
心の清い人間は
最後には暖かい光に包まれて
天に召される

 

という希望を描かない

 

という事になってしまいます。

 

 

 

 

 

 

辛苦の果てに臨むものは

 

誰もが一発大逆転の幸福とは限りません。

 

 

 

 

 

せめて自分の想いが届いて欲しい

 

そんな希望で生きてきた人にとっては

 

他者から観て絶望的な人生でも

 

私にとっては良い人生だった

 

という満足に満ちた最後なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

私自身がまだ、その境地に達してはいないのですが

 

辛苦のように見える他者の人生も

 

当人にとっては

 

やるべきことを叶えられた意義ある人生

 

なのかもしれないのです。

 

 


推薦理由③
他者にとっての意義ある人生とは
その人自身が生きる価値を
認識できたかどうか

 

 

 

 

 


と言う訳で次回は

 

 

社会の末端の辛苦

 

というテーマで

 

プッシャー

 

という映画を解説してみたいと思いますので

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

ではまた(*゜▽゜ノノ゛☆

 

↑本作の海外版ポスターの一つは

検眼表のようなデザイン。

 

例え視力がぼやけていこうとも

人生の目的を達成できたのだとしたら

人は笑顔になるのです。