こんばんは
ご覧頂きありがとうございます
\(^▽^)/
本日も
想像力と
謎解きヘプバーン
というテーマで
ローマの休日
という作品の
脚本に関する謎について
ご紹介させて頂ければと思います。
ローマの休日は
アカデミー脚本賞を受賞した映画。
表彰されたのは
イアン・マクレラン・ハンターさん!
という事は、きっと他にも
名作映画の脚本をたくさん…
と思うかもしれませんが
実は彼は、
本当の脚本家に
名前を貸した影武者
だったのです!
↑イアン・マクレラン・ハンターは
B級テイストの脚本家。
その後の彼の作品は
「サムライコップ~おとぼけくん~」
という感じのテイストです。
本物の脚本を書いたのは
ダルトン・トランボ
という人。
↑ダルトン・トランボの作品は
「スパルタカス」や「ジョニーは戦場へ行った」など
骨太の名作ぞろいです!
ダルトン・トランボは
第二次世界大戦後にアメリカで巻き起こった
共産主義者狩り(赤狩り)の際
反体制的な人間だと疑われ逮捕され
禁錮刑を受けた男。
投獄された理由は
他の仲間の名前を言え!
と強要された聴聞会で
証言を拒否して仲間を守ったから!
↑多くの映画関係者が権力に負けて
仲間の名前を言っていく中
証言を拒否したのはトランボ他10人だけ。
彼らは「ハリウッド10」と呼ばれました。
けれどその結果として
ハリウッドで彼の作品を使う映画会社は
なくなってしまったのです!
仲間を守ったことによって孤立無援となり
ハリウッドから去らくてはならない…
と思った時に
彼を助ける人が現れたのです!
この映画の監督のウィリアム・ワイラーは
危険を承知でダルトンの脚本の映画化を承諾!
けれどもし、このことがバレれば
映画の公開は不可能になってしまいます。
だから…
ローマの休日は
イアン・マクレラン・ハンターの脚本として公開され
トランボが映画業界に復帰してからも
脚本を書いたことは秘密にされていたのです!
この秘密が公表されたのは
なんと1993年!
トランボが亡くなったのが1979年ですので
彼が死んで10年以上
ローマの休日の脚本家だった事は
秘密だったのです!
↑亡くなる前に公表すれば
賞賛されたかもしれないのに
何も言わずに黙って死んでいったトランボは
「信念の男」でした。
そう!
つまりダルトン・トランボ自身こそが
孤立無援の絶望の中で
友情に助けられ
自らの戦い(脚本を出すこと)を
諦めなかった男。
だからこそ
ヘプバーン演じるアン王女もまた
孤立無援の絶望の中で
ヨーロッパの人々が手を取り合うという
友情を信じて
自らの戦いに向かうことを決意する
という素晴らしいラストに
繋がってったのだと思います
\(^▽^)/
↑ありがとう。
あなたにもらった勇気のおかげで
私、一人でも戦っていきます!
という
ローマの休日のラスト。
そして
そんなダルトン・トランボの
想いが宿ったアン王女を
初の主役映画で演じきったヘプバーンは
その後の女優人生でも
困難な役からも決して逃げずに
果敢に立ち向い続けていきました!
↑誤解される事を恐れずジェンダー問題の映画
「噂の2人」に出演する。
尼僧物語では修道院に入ったり
実際にコンゴに撮影に行き
現地の人々と交流する。
「許されざる者」では
実際に乗馬をして、落馬する。
すべての事に
危険を承知で立ち向かったヘプバーン。
そう考えると
ヘプバーンはやっぱり
類まれな
運命に導かれた女優
だったのではないかと改めて思うのです
(*´∇`*)
↑ヘプバーン自身は、この映画の脚本家が
ダルトン・トランボだと知っていたのでしょうか?
賢明なる彼女は
その事について言及する事なく亡くなりました…
という訳で次回は
観る事ができない
ヘプバーン映画
というテーマで
ニューヨークの恋人たち
という映画を解説してみたいと思います。
ではまた(*゜▽゜ノノ゛☆
↑ダルトン・トランボに関しては
2015年に映画化され
2016年には日本でも公開されました!
以前書いた「脚本家の秘密」についてはコチラです。
↓