本日は

「17歳」



という映画を通して

想像力と
アチュール・ランボーの
詩的世界


というテーマで考えてみたいと思います。






アチュール・ランボー

ご存知ですか?






19世紀の後半に

フランスで名を馳せた

「早熟の天才」

と呼ばれた詩人です。


↑アチュール・ランボー。
なんともカッコいい風貌ですね(^^)






彼の書いた詩の魅力は

大雑把に説明すると

想像力を刺激する
詩的イマジネーション
の世界

です。






例えば



蒼ざめた〈男〉が、

花咲き乱れる芝地に沿って、

燕尾服に身を包み、

葉巻をくわえて、とぼとぼと歩む。


『憤怒の皇帝』の冒頭より





…どうです。

この書き出しだけで

想像力を刺激しませんか?






想像力を刺激する

幻想的なランボーの
詩の世界


後世のイマジネーション系の作家たちに

大きな影響を与えた詩人なのです。





本日の

「17歳」


そんな

アチュール・ランボーの

「物語」

という詩をベースに作られた

思春期の女の子の物語です。






「物語」の冒頭は

こういう内容です。



17歳にもなれば、

真面目一方でなどいられない。



ある晩、

ビールもレモネードも、

まばゆいシャンデリアにさんざめく

カフェなんかも糞喰らえさ!


緑の菩提樹の下の

遊歩道を歩こう。






さて、

これは一体どういう意味

なのでしょう?





実はこの詩は

映画の中で

主人公の女の子が

学校の授業で教わる内容。






授業を受けている彼らも

17歳です。






もう子供じゃないよ

と、言いたいのでしょうか?




イラつく年頃なんだ

と、言いたいのでしょうか?






もちろん

そういう分析もできますが

分析することができない
感情の年頃

という観方も

できるような気がします

(^^)






この映画の主人公イザベルは

自分自身でも

分析できない
感情

の中で

17歳を迎えるのです。


↑主人公のイザベル。
17歳の誕生日はこんな顔で…

17歳の少女の心の中は
誰にも理解できないのです。






彼女は

17歳の誕生日に

夏休みの避暑地で

ドイツ人の青年と

一夜を共にします。





うれしい初体験?

恥ずかしい体験?

それとも忘れたい
出来事?





おそらく

彼女の中では

どれでもない

のです。






彼女にとっては


17歳にもなれば、

真面目一方でなどいられない。



まばゆいシャンデリアにさんざめく

カフェなんかも糞喰らえさ!



という心境なのだと思います。


↑イザベラは劇中
表情をほとんど見せません。

遠くを見るような年頃。
それが17歳…






理由は?





…論理的な理由は

恐らくありません。






彼女にとっての17歳は

自分自身でも理解できない

理由なき
感情だけの日々



なっていくのです。






彼女は

ネットを使って

援助交際をはじめます


( ̄_ ̄ i)






誰に出会うか?


どんな結果になるのか?






それは

彼女にも分かりません。


↑性に身を委ねるイザベル。

けれど、この表情…







何か欲しいものがあるの?



そうでもないのです。






彼女は、稼いだお金を貯めるだけ。



派手な豪遊も、無駄遣いも

一切しないのです。






彼女は何を求め

援助交際を続けるのでしょう?





ランボーの「物語」は

こう続きます。




17歳!

陶酔に身をまかせる。


血気はシャンパンによって盛んになり、

理性も消失…


たわごとを言い、唇には、

あたかも小動物のように

ぴくぴくと脈打つ接吻を感じる…





この感覚は

今、実際の17歳を生きている人にしか

わからないのです。


↑非常にシンボリックなシーン。

彼女は
「性」に対して向かっていくのです。






けれど

そんな日々は

突然のショッキングな出来事で

終わりを告げます。





一体、どんなことが起こったのか?





それは是非、皆さん自身の目で

ご覧になって頂ければと思います。






ランボーの「物語」の

ラストは



まさしく今夜

おまえはまばゆいカフェという

カフェに戻ってゆく、

ビールとレモネードを注文する…


17歳にもなれば、

真面目一方でなどいられないし

散歩道は緑なす菩提樹を戴いている。






こんな文章で幕を閉じます。




この映画は


論理では
説明できない

とても感受性豊かな

ランボーの詩の世界


と同様


イザベラという

17歳の女の子
心の中の

「論理的でない感情」

を覗き見るような
作品


なのです。



↑お母さんにも
イザベラの行動は
全く理解できません。

けれど、そもそも
理解できないのが
17歳の心の中なのです。






さて

皆さんの目には

イザベラ


どう写るのでしょう?






そんな楽しみ方ができるのも

映画の魅力の一つですね!





ではまた(*^ー^)ノ



※今回の内容に関しましては

ランボーの詩を詳しく訳されていらっしゃるサイト
「奇想の庭」さんの翻訳を
参考とさせて頂きました。


「奇想の庭」さんのサイトはこちらです。