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無名慰霊碑を後にし、管理人さんより教えていただいたもう一つの戦跡・・・
病院跡地へと向う。
此処は此の地を訪ねるまで存在すら把握出来ていなかった処。
903高地西麓に位置するので工兵第38連隊の病院、若しくは第38師団の兵站病院かもしれない。
兵站病院だとすると見晴台・アウステン山の第一線で戦傷・戦病された戦傷病者が入院された可能性がある。
第二師団の兵站病院が水無川だったので前線からの距離も踏まえ位置的に否定できない。
※903高地の南に位置する高地は南台地ではなく南高地と呼ばれていたことが工兵第38連隊史より判明致しましたので訂正させて頂きます。
工兵第三十八連隊 中野 寛 氏の手記
昭和18年1月21日、聯隊は九〇三高地西麓の拠点を撤収してコカンボナへ向うこととなり糧秣が支給された。
私は兵器委員付(通称兵器)の勤務なので詳しいことは解らないが、時期作戦準備のため転進することになったと知る。
部隊行動の出来る者は夜間隠密行動により移動する。
独歩の者は昼間歩き部隊に追及する。
動けない患者には敵襲に備え銃に弾込めし、手榴弾の安全栓を抜いたものを枕許に置き残して行く事になった。
手榴弾はいさ゜という時の自決用である。
兵器では福田勇次、堀江清治両曹長は部隊行動をし、私は陰嚢肥大で歩行困難な同年兵の堀井芳平兵技伍長の付き添いになり独歩患者として行く事になった。
堀井伍長は足が腫れて自分で編上靴を履くことが出来ない。
紐を緩めて無理に入れて履かせてやり、14:00、九〇三高地の宿舎を出発、中隊炊飯所の先の麓で暗くなり夜道では歩行困難のため露営す。
第一中隊、毛利少尉は当番兵と共に独歩し炊飯所まで来ていたが歩行あたわずと悟り、当番兵に水を汲みにやりその間に自決す。
(工兵第三十八連隊史より)
勇川(ホワイトリバー)の水源地・・・
ガ島戦当時の水源地ではなく、現代のホニアラ市の水道を賄う水道局の施設で建屋の中では大型の電動ポンプが音をたて稼動しておりました。
案内して戴いたのは水道施設の脇にお住まいのソロモンレディ
(御名前を失念し申訳なし)
ソロモンレディーの後に続いてジャングルの中へ・・・
さらに奥へ・・・
(ピンボケ申し訳なし)
ジャングルの中に一軒の農家と畑が・・・
この辺りが病院跡地だとのことである。
周囲を見渡して見ると・・・
ジャングルの中を開墾した芋畑・・・
此処が病院跡地なのであろうか・・・
現在は開墾されているが・・・
ガ島戦当時はジャングルであった筈・・・
畑は傾斜の多いジャングル内での平坦地を選んで開墾されている。
ジャングルに隠蔽された平坦地・・・確かに病院としては適地であろう。
米国映画「シン・レッド・ライン」の最期のほうのシーンで・・・
高地の塹壕において機関銃で抵抗する日本兵を撃破し、さらに前進し洗濯物が残る宿営地と思われる処で傷病兵が取り残されている場面がある。
おそらく映画はギフ高地を描写したと思われるが・・・
此処も同じような状況であったのではないか・・・
などと考えて居るとガイドの青年が畑の脇より三八式歩兵銃の薬莢を発見し、手渡してくれる。
嗚呼・・・此処も間違いなく日本軍将兵が宿営されていたのだ・・・
↓ガ島で発見した三個の薬莢
左右がエスペランスのサバウル病院跡地、中央の薬莢が現在地で発見した薬莢。
この病院跡地でも戦闘が行われたのだろうか・・・
または・・・
歩くことが出来ず、部隊と共に撤退が叶わず自決された時の薬莢かも知れない・・・
南冥のジャングルの地で、故郷を想い、家族を想い、果てて逝かれた・・・
残念であり・・・
無念であり・・・
断腸の想いであったことであろう・・・
病院跡地の中央と教えられた芋畑で・・・
ご焼香、読経、
御英霊のご冥福をお祈りさせて戴いた・・・合掌
つづく
※「福島の戦争資料室」というブログを綴られている伝三三七七さんが歩兵第29連隊および福島県出身のガダルカナル御戦没者名簿を公開開始されました。
当ブログの宮城・新潟御戦没者名簿と併せ御英霊のご冥福をお祈りして頂けましたら幸いです。
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉 長谷川榮作さまのホームページ
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。
新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。
平成23年8月20(土)~9月3日(土) 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ38柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
派遣隊の活動の様子を現役大学生フロッグクレーンさんが綴られております。
第二次派遣隊の募集が開始されました。
○原発関連情報○
独逸天気予報より → 放射能予報
文科省発表 → 全国放射能濃度一覧
武田邦彦教授の → ブログ
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