昨日、出張先が長野市で商談も纏まり時間の余裕があったので、気になったいた「松代・大本営跡」へ行って来ました。
車のナビに「松代大本営跡」と入力して連れて行って貰ったのですが・・・
一般公開されている「象山地下壕」ではなく「舞鶴山」誘導され地元の方に路を訪ねてようやく辿り着きました。
駐車場は少し離れた市営駐車場へ停めるのが良いようです。
見学する壕の生い立ちから、入場料無料は頷けるものがありました。
ヘルメット着用で壕内へ・・・
入り口は狭い?
沖縄の海軍司令部跡に比べれば広いでしょうか。
少し進むと幅4メートルとなり、軽自動車であれば対面通行が可能な地下道が碁盤の目ように張りめぐらされておりました。
一般公開されている部分だけで五百メートル。

昭和19年11月着工、終戦の昭和二十年八月十五日まで工事は三交替の突貫で行われたとの事でした。
約十ヶ月・・・
コンプレッサと手持ちの削岩機はあったようですが・・・
とても人間業とは思えない工事量です。
恐らく安全対策など無視で進捗最優先であったことが窺えます。
突き当りまで行きますと、正面と左に「千羽鶴などを置いては駄目」との趣旨の張り紙。
ところが右には折鶴が・・・
関西方面の中学生の修学旅行なのでしょうか「祈・平和」の趣旨の書き物や折鶴が手向けられておりました。

此処へ日本の中枢を移転させ本土決戦に備えたのかと思うと・・・
当時の日本の思想が偲ばれる思いでした。

ご興味のある方は、一度見学されてみてはと考え記事にしてみました。
この工事で亡くなられた日本人・半島労働者の皆様のご冥福を心よりお祈りさせて戴きます。