ガダルカナル戦書籍一覧


勇〇三部隊戦史のご紹介を続けます。


昭和17年12月28日
昭和天皇
宛陸軍参謀総長、杉山元帥への伝言
「ソロモン方面の戦況はまこと重大である。従って速やかに大本営会議を開くこと、このため年末も年始もない。自分はいつでも出席する。」
年末気分に浸っていた大本営は俄かに騒然となり大本営会議が召集される。
昭和17年12月31日 午後二時 御前会議
海軍永野軍令総長、陸軍杉山参謀総長からの上奏文。
「南太平洋の作戦を研究検討した結果、遺憾ながら、ガ島作戦を中止し、軍隊を同島より撤退したいと存じます。謹みて御裁可仰ぎ奉ります」
「南太平洋方面の作戦は当初の見透しを誤ったために、このような結果になったことは申し訳なく重々お詫び申し上げます。これからは陸海軍緊密に共同して必ず戦局を打開することをお誓い申し上げます」
上奏文の説明を終わり永野軍令総長、杉山参謀総長は一安心している。
昭和天皇
「アメリカの航空戦力は優勢のように思われる。しかもアメリカ軍はわずかな時間で飛行場を建設しているというのに、何故日本軍は何ヶ月もかかるのか」
永野軍令総長
「申し訳ございません、善処致します」
昭和天皇
「敗因は何か?」
昭和天皇から、永野軍令総長、杉山参謀総長へ一時間に渡り執拗なまでに質問が相次ぎ両総長は冷汗三斗で戸惑っている。
この間、昭和天皇は終始無表情であったのに対し、両総長の顔は硬直し蒼白で両手はわなわなと震えていた。
最期に昭和天皇
「陸海軍共同して、この方針により最善を尽くせ」
この昭和天皇の決裁によりガダルカナル島からの日本軍撤退が決定された。

御前会議の直後、昭和天皇は侍従武官を通じ
「せめて今日まで悪戦苦闘して来たのだから勅語をやってはどうか」
とご意向を示された。
一般発表をしないこととし、1月4日勅語が第八方面軍司令官今村司令長官、連合艦隊山本司令長官へ伝達されている。


勅語
ソロモン群島並びにニューギニア方面に作戦せる陸海軍部隊は長期に亘り緊密なる共同の下に連続至難なる作戦を敢行し所有難苦を克服し激戦奮闘屡々(しばしば)敵に打撃を加へ克く其の任にあたれり。
朕深く之を嘉尚す。
惟ふに同方面の戦局は益々多端を加ふ、汝等愈々奮闘努力陸海其の力を以って朕か信倚に副はむことを期せよ。

この勅語は第一線将兵に伝えられる事はなかった。

こうしてガダルカナルの撤退が下命され多くの将兵が救われる事となる。
天皇陛下のご英断が無ければ、大本営ではさらに時間を浪費し、第一線では将兵の生命を浪費していたことであろう。
天皇陛下と両参謀長との戦局に対する温度差と、将兵に対する思いの違いに釈然としないものがある。

余談ではあるが、第二次総攻撃後ガ島を後にした大本営派遣参謀辻政信中佐は大本営に戻り遠まわしにガダルカナル撤退へと誘導していたようだ。

ガ島、第一線の将兵は撤退を知ることも無く、この日も生命の灯火を消し続けている。


南太平洋で戦没されたご英霊のご冥福を心よりお祈りさせて戴きます。




にほんブログ村 歴史ブログ 戦史(古今東西)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 歴史ブログ <br />近代 明治・大正・戦前へ
にほんブログ村