討ち入りの日 | GTZ&RSのブログ

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赤穂事件(演劇群忠臣蔵)で知られる赤穂浪士が、江戸の吉良邸(東京都墨田区両国)に討ち入りした日(1720年(元禄15年))とされる今日、新潟県新発田市(越後国新発田藩)では堀部安兵衛(中山武庸)を偲ぶ『義士祭』が行われました。

堀部安兵衛(中山武庸)の縁の地・長徳寺では、地元の剣道教室に通う47人の子供たちが討ち入り装束に身を包んで集まり、太鼓に合わせて勝ち鬨を挙げている様子がニュースで放映されていました。

なお、新潟県新発田市議会では、7日(木)には市長や議員などが討ち入り装束を模したハッピを着て本会議に臨んでいる様子がニュースで放映されていました。

なお、赤穂事件(演劇群忠臣蔵)とは、高家旗本吉良上野介義央(領地:三河国幡豆郡吉良庄)の吉良邸(東京都墨田区両国)に、赤穂藩主浅野内匠頭長矩の家臣・浪士47人が押し入り、高家旗本吉良上野介義央(領地:三河国幡豆郡吉良庄)を打ち取ったとされるものです。

因みに、若い頃に住み働いていた地の近くに高家旗本吉良上野介義央(領地:三河国幡豆郡吉良庄)の所領がある訳ですが、その地元では治水・開墾に精を出した名君として語り継がれていました。