1945年(昭和20年)8月6日の、戦争における人類初のウラニウム型原子力爆弾『リトルボーイ』の投下から77年を迎えました。≫
このウラニウム型原子力爆弾『リトルボーイ』は、77年前の8時15分頃に広島市の相生橋付近上空約600mで核分裂爆発し、多大な被害を齎しました。
(リトルボーイは、B-29エノラ・ゲイ(Enola Gay)に拠って広島市に投下されました。)
2005年(平成17年)から2006年(平成18年)の約1年7か月ほど、広島県に住み働いていた時に、何度が、現場付近を散策しました。
(未だに、その痕跡があり、とても切なかったです。保存されているのですが。)
そして、アジアの一部では、歴史修正主義者による試みや、新たな原子力爆弾の製造の試みが散見されます。
(『完全かつ最終的に解決』された賠償問題や『最終かつ不可逆的に解決』された慰安婦問題の掘り起しや廃棄と言いつつ新たに製造するなどは、争いを好んでいるとしか思えない。)
更には、今年2月からのロシア連邦に依るウクライナ侵攻や中華人民共和国の台湾近辺での大規模軍事演習と、共産主義者に依る平和に対する威嚇が続いています。
(歴史は繰返すと言いますが、1900年代初頭の国際関係の様相です。)
それに、新型コロナウィルスの感染拡大は、感染力が強まった様で更に拡大を続けています。